32. 仮面を纏う
翌日には、侯爵家からの連絡が来た。
王太子の到着に合わせて馬車でエリシアを迎えに来るらしい。
ヴィオラも連れて行きたいと相談した所、返事は快諾だった。畑の水遣りはパン屋の少年に駄賃を渡して頼んだから、心配はないだろう。
そうして迎えた、当日。
ヴィオラの支度を済ませてアルベルトが室内に戻ると、二階の自室からエリシアが丁度降りてきた。
細い腕で重そうなトランクを運んでいたので、すぐに手助けに入る。
「ありがとう、グランツ卿」
「声を掛けてくれたら俺が運びましたのに」
「これくらいなら自分で出来るわ」
重い荷物から解放されて、エリシアが息を吐く。豊かで絹のようなプラチナブロンドの髪は後ろでしっかりと編み込まれて纏められ、顔も薄らとだが化粧をしている。服は街に出た時と同じ物で、町娘の装いだが見るからに上等で上品なそれだった。化粧をしなくても美しいとは常々思っていたが、装いが変わるとさらに品の良さが際立つ、とアルベルトは思う。
「それは近衛騎士団の制服でしょう? 久々に見るわ。今日はそれを着ていくの?」
「はい。侯爵家への訪問であれば、この服が一番いいかと思いまして」
「間違いないわね」
国王の側に控える事を主とする、白を基調とした金糸で彩られた騎士団の制服。念のために持ってきていたが、数ヶ月ぶりに袖を通したら少しきつさを感じた。
……鍛錬や畑作業を行っているからか、腕の筋肉が増えたようだ。
「似合っているわよ。その服でヴィオラの支度に行ったの?」
「鞍の装着とすぐ連れ出せるように係留するだけなので、この服装で行きました」
「大丈夫? 外で声がしていたけど、汚されなかった?」
「……何とか、躱しました」
ヴィオラに鞍を装着するのはまだ良かったが、敷地の入り口に係留しようと手綱を引くと、普段見慣れない服だからか飾りに興味を示して唇で食んだり咥えようとしていた。お陰で、少し服が湿っている。
「お疲れ様。他に準備する物はある?」
「こちらは終わりました。エリシア様は?」
「私も終わったわ」
「では後は迎えが来るまで待つだけです」
「そうね……ふぅ」
手持ち無沙汰になったエリシアが居間のソファーへと深く座る。その側に控えると、エリシアはクッションを抱き込みながらソファーに上半身を倒れ込んだ。
「行きたくない……」
漏れた本音にアルベルトは苦笑しながら近寄る。
「絶対面倒くさいもの。行く前なのにもう帰りたいわ」
「まだ出てもいませんよ」
「出たくない家にいたい。人を突き放したくせに何で今更来るのよも~~~~!」
仮にも、エリシアは公爵令嬢だ。なのにクッションを抱き締め、悶える姿は何処か愛らしいと、アルベルトは思う。
「面会を謝絶することも出来たのでは?」
「出来る……とは思うけれど」
エリシアが瞼を伏せて、クッションを抱きしめる。薄い淡青の瞳は、揺れている。
「断った所でまた来るのが目に見えているわ。ただでさえ伯父様と伯母様に迷惑を掛けているもの。ここでしっかりと断って二度と来ないようにしなくちゃ」
「……………………」
しっかりとしたエリシアの言葉に、アルベルトは小さく微笑みながら、視線を合わせるために屈む。
「侯爵夫人と会うのは如何ですか?」
「それは楽しみよ。伯母様とのお茶を楽しみにして乗り切るわ」
「とてもいいと思います。何があろうとお守りしますから、どうか安心してください」
アルベルトの言葉に視線を下げたエリシアが、そっと、上目遣いに彼を見る。
「無いとは思うけれど……もし、殿下が私を無理矢理連れて行こうとしたら、その時は引っぱたいてでも助けてくれる?」
「勿論です」
アルベルトが跪いて手を差し伸べた。それを見たエリシアが身体を起こし、アルベルトに手を差し出す。
華奢で、折れそうだった腕は、辺境に来てから少し肉付きがよくなった。白かった肌は最近や散歩に市と外に出かけた結果、少し日焼けをしている。
その変化が愛しいと、アルベルトは思っている。
「この身に変えてでも、あなた様をお守りします」
差し出された手を握り、アルベルトは口づけを落とす。――侯爵家に着いたら、しばらくはいつものように触れにくくなる。それが名残惜しくて手を握ったままでいると、エリシアが小さく笑った。
「ありがとう。でもあなたに何かあったら私は嫌だわ。自分の身は大切にね」
「畏まりました。自身を守りつつ、エリシア様をお守りします」
「難題だけど、頼りにしているわ」
優しく微笑むエリシアにアルベルトもつられるように微笑む。が、遠くの方で車輪が地面を跳ねる音がした。
そちらに視線を向けて耳を澄ますと、馬の蹄鉄の音も混じってこちらに近づいて来るのが分かる。
「迎えが来たようです。エリシア様、ご準備を――」
視線を戻した瞬間、アルベルトは息を呑んだ。
先程までの穏やかな空気は消え失せ、ソファーに沈み込んでいた少女は、もうそこにはいなかった。
クッションから手を離し、居住まいを正し、背筋を伸ばし、淡青の瞳を伏せている彼女がそこにいる。張り詰める雰囲気と気圧される様子に、アルベルトは思わず息を呑んだ。
――『冷媛』と、彼女が王都で呼ばれているのを耳にした事がある。笑みも殆ど浮かべず、発言はどこか冷たく、誰にも靡かず、媚びも売らないからそう囁かれたのだと。
なるほど。確かに王城で王太子に接する時の彼女は、こんな冷ややかな表情をしていた。ひょっとしたらこれは、彼女が公爵令嬢として振る舞う時の仮面なのだろう。――あの穏やかで優しい気配を、少しも感じさせない程に。
「……外に出ましょうか、グランツ卿。荷物をお願い出来るかしら」
自身に向けられた声音が、少しだけ柔らかかった。それでようやくアルベルトは我に返る。
「畏まりました」
立ち上がり、エリシアのトランクを手に持ち、玄関へと向かう。――やけに荷物が重たい気もするが、女性で貴族の物となれば当然だろう。
そう考えてドアに手を掛けて開けると、エリシアは手を前に組んで、視線を真っ直ぐに前に向けたまま、優雅な足取りで屋敷を出たのだった。
原稿と仕事が修羅場のため、来週の更新はお休みします。
次の更新日は2026/6/13(土)です。よろしくお願いします。




