31. 戻るくらいなら、蹴落として
女神の神託で私を救う手立てが発見された。
それを元に王太子殿下が私を迎えに辺境に向かっている。
グランツ卿からの報告を聞いて、額に手を当てて息を吐き出した。
「一体何をやっているのよ……」
「北部侯爵様には俺から事前に報告しました。王城から通達が来る前に動けているはずです」
「ありがとう、グランツ卿。通常は通達や打診があってからの来訪になるのに……」
あの、バカと言いたい唇を必死で合わせて抑える。下手に悪口を言ってしまえば不敬罪だ。これ以上罪を重ねたくない。
「そんな大変な事が起こっていたのに、悠長に寝ていてごめんなさい。次から起こしていいわよ」
「いえ。体調が悪そうだったので、回復を優先させました。俺の判断です」
「ま、ここで出来る事は限られているわね。よく動いてくれたわ。……しかし、本当に私を救う手立てが見つかったと神託が降りたの?」
「国家機密にて細かい所は伝えられていませんが、恐らく」
「そう……でも変ね」
食材を用意しながら首を傾げる私に、横に立つグランツ卿も同じように首を傾げる。
「どうしました?」
「グランツ卿は神殿での神託の会議に参加した事はあって?」
「副団長になってから数える程です」
「なら知っていると思うけれど、女神の神託は個人については言及しないのよ」
用意した食材を、切っていく。グランツ卿が、さらに首を傾げた。
「何故です?」
「神託は聖女の口を通して歌で伝えられるのはご存知?」
「はい。言葉にならない音と音階で紡がれるので、過去の神託の例から内容を予測や解明を行い、神殿側から陛下に報告される、ですよね?」
「そう。私も以前神託の解釈について陛下に相談された事があるから知っているのだけど、神託はその特性上明確な名前や指示が出てこないのよ」
包丁を持ちながら、そう言うと、グランツ卿が顎に手を置いて考える。
「音だから、ですか?」
「そう。暗号化もされていなくて、不規則だから明確な記号や単語を表現出来ないみたい。いつの王の時に戦争が起こる、となれば『血に濡れた王冠が君主の上に載せられた時』だったり、秋に大雨が降る、となれば『野が金色に染まる時』だったり、詩的な表現が多いの。それに大抵が国家に関わる内容だから、個人に対して神託が降りる事はまずないのよね」
肉類は後にして、野菜を刻んでいく。ミルクスープでいいか、とグランツ卿に尋ねると、首を縦に振った。
「確かに。俺が陛下の護衛で同行した時に聞いたのも詩のようでした。ではどうして今回はエリシア様に?」
「それが分からないわ……私を名指ししても、国家に対して何か利益が……あ」
顎に手を当てて考えていると、一つ思い当たる節があった。
「何かございました?」
「私が助かれば、他に同じ病気や症状で苦しむ人を助けられるわね。でもそれなら私個人に言及する事はないわ……もっと大まかな言い方で、すぐに私が救われる内容には繋がらないはず……特効薬が見つかったとしても研究して本当に効果があるのか実証してからになるからこんなに早くは……」
考えてはみたが、答えは出ず、憶測にしかならない。考えるのをやめてため息を吐き、グランツ卿を見上げた。
「実際の神託を聞いてみないと答えが出ないわね。考えるのは止めましょう。伯父様や伯母様から何か連絡は来ていて?」
「待機を命じられたまま、その後連絡や指示はありません」
「そう。今頃領地の侯爵邸で伯母様が出迎えの準備に追われている頃だわ。こちらに迎えが来るのは……明日以降って所かしら? それまでに出かけられる準備をしておきましょうか」
「畏まりました。……畑はどうにかなるとして、ヴィオラはどうしますか?」
「伯父様や伯母様に話をして、一緒に連れて行けないか打診しましょう。でないと、ひとりでここに残されるのは可哀想だわ」
「そうですね」
細かく切った野菜やベーコンを、水を張った鍋に入れていく。これなら、火の通りも早いだろう。
「数日空けるのなら、明日から忙しくなるわね。市で買った肉や痛みやすい野菜を消費しないと」
「……帰ってくる、おつもりですか?」
「そうよ? どうして?」
「……殿下が、迎えに来るのに?」
包丁を洗おうとしていた手を止めて、グランツ卿の問いに、眉根を寄せる。
「王都に行かないわよ。当たり前じゃない。どうして?」
「……あなた様は、本来ここにいるべき方ではないはずだ」
私の横に立って、俯いて、絞り出すように、グランツ卿が口を開く。
「もし救われて、助かって、余命も気にしなくて良くなったのなら、元の地位に戻るのが当然ではないですか?」
「……………………」
「だから、……その、殿下が迎えに来るのなら、再びその隣に……」
手に持っていた包丁を、流しの上に置いた。そうしたら思った以上に大きな音を立てたので、私が怒っているのだな、と少し判断出来た。
「……グランツ卿、それは本気で言っているの……?」
グランツ卿を睨むと、彼の肩が竦み上がった。
「それ、は」
「誰が、誰と一緒になる、ですって?」
「……エリシア様、どうか」
「話にならないわ! どうして私があんなクソ馬鹿……んんっ、あんな馬鹿と一緒にならないといけないのよ!」
隠しきれなかった不敬にグランツ卿が動揺しながら、視線を彷徨わせる。
「殿下が、エリシア様を愛しているから……どんな形でも側に置きたいと……」
「…………は?」
「そう、以前仰っていたので……健康になられたら元の地位に戻るのかと……」
「はぁああああ⁉︎」
私の声に、グランツ卿の体がびくりと跳ねた。包丁を置き、思わずグランツ卿に詰め寄る。
「グランツ卿! あなた、自分が何を言っているか分かっていて⁉︎」
「こ、言葉通りの意味、かと」
「そうね。確かに言葉通りの意味よ! でも貴族や王族のその言葉はね、第二夫人や側妃、愛妾にするってことよ!」
「!」
グランツ卿の深い灰色の瞳が、大きく見開かれた。
「は……?」
「この、王族と血縁があるルヴェリア公爵家の令嬢で、王太子妃になる予定だった私を、蹴落とした後適当な貴族に嫁がせて愛妾にする? もしくは側妃にする? 馬鹿にするのもいい加減にしなさいよ!」
グランツ卿の眉尻が、下がった。少し私に近寄るが、その姿がぼやけて見えない。
「エリシア様……」
「王太子妃に選ばれたから、向いてなくても必死で頑張って来たわ……なのに、なんで、私のこと酷い扱いをして、虚仮にして、今までの行い全部無碍にして、辛い思いばっかりさせた奴の所に、戻らないといけないの……愛してるだなんて信じられないわ……あんまりよ……もう顔も見たくないのに……」
「……………………」
グランツ卿が、私の前に跪いた。そしてポケットからハンカチを取り出して私に差し出す。
「どうかお使いください」
「……………………」
「先程は失言でした。大変申し訳ありません。どんな罰も受けます」
「……次、同じ事を言ったら口を縫うわ」
「畏まりました。是非そうして下さい」
グランツ卿からハンカチを受け取って、潤んでしまった目元に当てる。
「井戸の水で冷やしてきましょうか?」
「そこまでしなくていいわ。……あなたには、いつもハンカチを借りてばかりね」
「……一度お貸ししてから、いつ何時でもお助け出来るように、常に持ち歩くようにしています」
そう言われて、思わずハンカチを改めて見る。
――数年前。殿下の近衛騎士団に対する扱いに苦言を呈した事があった。騎士になりたければ、養成所に入るか学園の騎士科を受ければいい。近衛騎士の休憩時間や鍛錬の時間を邪魔する形で殿下の鍛錬に巻き込むのはどうかと思う。彼らは殿下や王城にいる人を守るために働いてるのだ。と。
結果は、反逆や不敬に当たると言われ、殿下からの頬への平手打ちで終わった。
このまま帰る訳にもいかず、逃げ込んだ図書館の隅で放心状態になりながら、腫れが引くのをただぼんやりと待っていた。すると、見回りに来た新人の騎士に見つかり、心配されて濡らしたハンカチを貸してもらった。……名前を聞いても断られて去ってしまったから、どうする事も出来ず、せめてお返ししようと、王都でも有名な焼き菓子を付けて騎士の詰所に渡して下さいとお願いしたのだった。
――あの時のハンカチは、言われてみればこんな色だったと思う。
「――あなただったの」
ハンカチ越しに彼を見ると、少し照れた表情でこちらを見つめている。
「贈った焼き菓子は無事に届いていて? ずっとそれが気になっていたの」
「ご安心ください。無事に届いて同室の者に食べられないように死守しました」
「死守って……! カビが生える前には食べ終わったの?」
「勿論です」
「それなら良かったわ」
ハンカチを握って微笑むと、彼が渡すように手を差し伸べてきた。ありがとう、と礼を言って返すと、お構いなく、と返される。
「今後お守りする方向性として確認させてください。殿下が来ても戻るつもりはありませんね?」
「ええ。勿論」
「――何を言われても、ですか?」
そう言われて、胸を張って息を吐く。
「私だって貴族で王族の血筋よ? もし国が危機に陥って私が必要であれば、その時は帰るわ。この体内にある魔力を持ってすれば、王都を包む程の結界を数日保つ事は出来るでしょうね」
「……そんな事態が起こらないよう祈ります」
「ええ。だから私が帰る時は彼奴……あんな奴の隣じゃない」
鋭い視線を、グランツ卿に向ける。
「私にだって王位継承権があるのだから、蹴落としてのし上がってやるわ。精々それまで胡座を掻いている事ね」
私の言葉に、ぽかんとした表情でグランツ卿がこちらを見上げた。……ちょっとだけ居た堪れなくなって、調理に戻る。鍋はぐつぐつと沸騰していたので、慌てて火を弱める。
「……冗談よ。まず余命があるから帰れないし、継承権の順位も低いわ。また反逆だなんて言われたら堪らないから、聞かなかった事にしてちょうだい」
「……畏まりました」
小さく、グランツ卿が笑ったのが聞こえた。跪いていた姿勢から立ち上がり、私の隣に立つ。
「もし女王になった姿を見たい、と言ったら、俺も反逆を問われますか?」
「……聞かなかった事にしてあげるわ」
グランツ卿の方を向いて「だから報告しないでちょうだい」と言えば、彼は微笑んだまま首を縦に振る。
「お互いのために報告しないでおきましょう」
「そうね。それがいいわ」
「……落ち着いたらお腹が空きました。もう一品作ってもいいですか?」
「いいわよ。何にするの?」
「簡単にパンにハムとチーズを乗せても?」
「いいわ。私もお願いしてもいい?」
「体調はよろしいのですか?」
「……やっぱり、パンをスープに浸して食べようかしら」
「無理はどうかなさらないで下さい。元気になったらまた作りますね」
「お願いするわ」
目が合うと、グランツ卿の瞳がとても優しかった。私も小さく微笑んでから、スープの味付けを始めたのだった。




