30. 迎えの知らせ
王太子が、エリシアを迎えに来る。
一瞬、何を言われたのかアルベルトは理解出来なかった。言葉を何とか飲み込んで、飲み下して、状況を把握するために頭を回す。
「この件は北部侯爵は知っているのか」
「知りません! 神託の内容を知った殿下が側近を連れてすぐに城を出ました! 部下に追わせた所、神殿に立ち寄ってから侯爵領へと向かったそうです!」
あまりの事態にアルベルトは額に手を当てて息を吐く。一体何処から指摘すればいいのか。
「そもそも、殿下はどうやって神託の内容を知ったんだ。あれは国家機密で陛下と神殿の上層部しか知ることが出来なかったはずだ」
「それが、当日陛下の護衛に当たった近衛騎士が親王太子派だったらしく、聞いた内容を殿下に報告したようです」
「……情報が漏洩したと言うことか! そいつは?」
「殿下に従って城を出ています! 団長の命令で現在追手を派遣しました」
頭が、痛くなってきた。王からの信頼だけでなく、下手すると神殿側からも言及される可能性がある。眉間に眉根を寄せてアルベルトは空を睨み付ける。
「何を考えているんだ、一体……! 殿下の行方は侯爵領の何処だ? まさかエリシア様の屋敷を知られたのか?」
「いいえ。それはご存知ないはずです。まずは令嬢を監督している侯爵家に向かったと考えられます」
「侯爵が王都にいるのにどうして領地の侯爵邸にすぐ向かったんだ! 兵を連れて侵入すれば敵意ありと見做されたって可笑しくないんだぞ!」
「そこで、団長から副団長へ命令が出ています」
「……なんだ?」
「まずは王家からの正式な通達の前に侯爵へ緊急の報告を、そして現地でのルヴェリア公爵令嬢の護衛を強化せよ、とのことです」
「分かった。すぐにそうしよう」
通信を切ったアルベルトはひとつ息を吐く。ちらりとエリシアの自室を振り返るが、今寝付いたばかりで体調はまだ万全ではないと判断し、まずは侯爵への報告を先にする事にした。
エリシアが起きないよう音を立てず、しかし足取り荒く階下へと降りる。そしてエリシアが使っている伯父の侯爵との通信珠を手に取った。
「侯爵様、聞こえますか? 俺です。アルベルト・グランツです!」
『どうしたんだ? 珍しい。何かあったのか』
通信珠はすぐに繋がり、侯爵が訝しみながら返答する。
「緊急事態です! 王太子殿下がエリシア様を迎えに侯爵領へ発ちました。現在領地の侯爵邸に向かって側近を連れて馬を走らせているそうです」
『――何だって? そんな話は王家から来ていないが……』
「俺もたった今部下から報告を受けました。つい先程のことだそうです」
『何っ⁉︎ 元々エリシアを取り戻したがっていたのは知っていたが、どうしていきなり動き出したのだ?』
「――――――――」
アルベルトは、息を呑む。神託は国家機密だ。何処まで話していいか分からない。言葉を選びながら「詳しい事は私も存じておらず」と発する。
「王家からの正式な通達の前に内々で閣下に緊急の報告をするよう上から指示されました。近いうちに王太子殿下の来訪の通達があるはずです」
『通達を待っていると後手に回ると判断されたか。感謝する、グランツ卿。すぐに領地にいる妻に連絡しよう。侯爵邸からの迎えや対応については追ってこちらから連絡する』
「畏まりました」
『エリーは?』
侯爵からの問いにアルベルトはひとつ息を吐く。
「本日は体調を崩されまして、つい先程眠りについたばかりです」
『大丈夫なのか?』
「昨日少し身体を動かして疲れている状況です。恐らく起きる頃には回復されていると考えます」
『ならいいが……。侯爵邸からの迎えも配慮するように手配しよう。目が覚めたらエリーに状況を報告するように』
「畏まりました」
『……なぁ、卿よ』
通信珠から、侯爵が静かに問いかける。
『もしエリーが王太子の元に戻るとなったら、卿はどうするんだ?』
アルベルトは、言葉を失った。喉から声が、出てくれない。何も、考えられない。
「……わかり、ません」
何とか絞り出した答えに、侯爵が息を吐いたのが聞こえた。
『そこもエリーと話し合っておけ。分かったな?』
「はい……畏まりました……」
通信は、そこで終わった。ふらりとしたアルベルトが、力なく居間の椅子へと腰掛ける。
エリシアが、王太子の元へと戻る。それはすなわち、辺境での生活を辞め、再び王太子妃の座に舞い戻る事だ。
余命はどうするんだ? とアルベルトは自身に問いかけるが、救う手立てが見つかったのなら余命も解決するのだろうと考え直す。
……辺境に来る前は、王太子妃、ゆくゆくは王妃となるエリシアに仕える事を、夢見ていた。楽しみにしていた。しかし今では、手を伸ばせばすぐ近くにいるエリシアが、離れる事を身体が拒否している。誰かの物になるのは嫌だと胸の内が叫んでいる。
これでは駄目なのだと、アルベルトは顔を覆う。彼女は公爵家の令嬢で、自分は庶民だ。元々、住む場所が違う人間だ。一緒になれる事はこの先絶対にない。――今が、夢みたいな状況なのだ。それが元に戻るだけだ。病でこの世からいなくならずに、生きているだけいいじゃないか。
理解しろ。納得しろ。飲み込んだ。
「……………………っ」
どうして、こんなにも。身体全身で拒絶しているのを、止められないのだろうか。
どのくらい考えていたのだろうか。階上の扉が開く音が聞こえ、規則的で軽い階段を降りる音が耳に届いて、アルベルトは顔を上げた。
明るかった室内は、日が沈みかけて暗くなっている。状況を飲み込むには、アルベルトの今の頭では時間がかかっている。
「おはよう、グランツ卿。ごめんなさい。よく寝たわ」
寝間着姿のまま、エリシアが眠い目を瞬かせて居間へと降りてきた。
「こんな時間までぐっすり寝てしまったわ。もしかしてお昼は起こしても起きなかったのではなくて?」
「…………いえ」
声が、上手く出なかった。違和感に気付いたのか、エリシアが顔を上げたが、すぐに「そう……」と呟く。
「夕飯は? もう作ったかしら?」
「いえ……すみません。まだ何もしていなくて……」
「……どうしたの? 体調が悪い?」
アルベルトに近付いたエリシアが、顔を覗き込む。いいえ、と答える前に、アルベルトの額に手が当てられた。ほっそりとした小さな手だが、温かく熱を持っている。
「熱はなさそうね。具合が悪いのなら横になっていてもいいわ。食欲はあって?」
「あ……いえ……その……」
「簡単でいいなら粥かスープを作るけれど、どちらがいい?」
「…………粥、が」
「分かったわ。きっと疲れが溜まったのね。出来たら起こしに行くから、休んでいて?」
優しい声音で、エリシアがアルベルトの肩に触れて話しかける。寝間着に服が汚れないようにエプロンを取り付けたエリシアが、部屋に明かりを灯し、台所に立って調理を開始した。……それだけで、冷えていた部屋の温度が上がっていく。
「……………………」
調理をするエリシアの後ろ姿を、ただ静かに、アルベルトは見つめる。体調はまだ万全ではなさそうだが、食材を探して、包丁を使い、分量を測る姿は楽しそうだ。……ずっと、こんな時間が続けば良かったのに。とアルベルトは瞳を閉じる。そして意を決して目を開いて立ち上がった。
「……エリシア様」
調理をしていたエリシアが、手を止めてアルベルトへ身体を向ける。
「どうしたの?」
……淡青で澄んだ瞳が、アルベルトに向けられる。それを曇らせる事を覚悟して、……視線を逸らしたのをすぐに戻して、アルベルトは口を開いたのだった。




