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すべてを失った令嬢は騎士の愛を選ぶ——その愛は、もういりません  作者: 円花なまり
第三章 穏やかな日々に差す影

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29. 次の約束

 街の市を歩くのは、楽しかった。買い食いをして、売られているのを見て回って、必要な物も買って、重くなった足を引きずって、帰りのヴィオラの上では意識が飛びそうになるのを、グランツ卿に支えてもらいながら何とか帰宅出来た。

 夕食後にそのままソファーで寝落ちしたのをグランツ卿に起こされて夜も早くに寝たのだけれど。


「おはようございます」


 翌朝、中々私が起きてこないからグランツ卿が様子を見に来た。


「体調は?」

「筋肉痛でお尻まで痛い……足が浮腫んで痛くて辛くて全然寝付けなかった……あとお腹の調子も悪くて何回かトイレに……」


 目は覚めていたのだがベッドの上で起きれなくなり、そう答えると、グランツ卿からため息が聞こえた。


「足や筋肉痛は、仕方ないとして……腹の調子は昨日内臓の煮込みを食べたからではないですか?」

「だって、絶対美味しそうだったもの。……少し生っぽいような食感のもあったけど」

「ああいう所の物は、気を付けないと当たるのですよ」

「そうなの?」

「そうです」


 グランツ卿の言葉に布団を深く被る。前世のもつ煮込みやもつを煮込んだ料理が好きだったので、それと同じだと思って頼んでしまったのだ。……よくよく考えれば、この国は現代日本よりも文明や衛生状況が未発達だから、食べる物によっては気を付けないといけない、と言うことか……。と言うか日本がおかしいのか。


「加熱処理されているから大丈夫だと思ったのに……」

「生っぽいとおっしゃっていましたから、その加熱も怪しかったのでしょうね」

「ちゃんと処理して料理すれば美味しいのに……処理の仕方が分からない自分が悔しいわ……」

「……公爵家の御令嬢が牛や豚の内臓を扱おうとしないでください」

「ああいうのは大抵腸よ?」

「尚更駄目です」


 下から持ってきた水差しからコップに飲み物を注いで、グランツ卿がこちらに渡す。上半身を何とか起こして中を覗くと、ほんの少し白濁している。


「脱水を起こしていると思い、水に塩と砂糖と混ぜました。それと朝の分の薬です。こちらで間違いないですか?」

「……ええ。間違いないわ。ありがとう」


 薬の種類を確認して、一気に口に放り込んでからコップの中身を口にする。本来飲めないそれがごくごくと喉に吸い込まれていった。相当身体の水分が奪われていたらしい。


「助かったわ。ありがとう」

「お役に立てて光栄です。ゆっくり休んでください。侯爵邸に連絡して医者を呼びますか?」

「それほど酷くないから、大丈夫……。大人しく横になっているわ」

「……………………」

「大丈夫だから、もう行っていいわよ」

 

 笑みを浮かべながら伝えて、布団を頭からすっぽりと被った。布団の中で分からないように深く息を吸う。

 足が、本当に痛い。浮腫んでぱんぱんに張っているのが分かる。痛み止めを飲む程ではないけど、これをどうにかしないと眠れない。布団の中で足を引き寄せて、親指で押して揉む。これでちょっとは楽になってくれればいいけれど。


「エリシア様」


 布団の向こうから、私を呼ぶ声がくぐもって聞こえた。そっと布団を捲って顔を出す。


「差し支えなければ、足をお揉みしましょうか?」

「……………………」


 いいの!? と思いかけたけど、飲み込んだ。この国は短いスカートなんて論外、足首が見えただけで大騒ぎだ。それ以前に、恋仲ではない異性に身体を触られるのは、やはり抵抗がある訳で。


「その、揉むのは布団か布の上からで直接触らないようにしますし、見ないようにします。足が張って眠れないほど辛いのなら、少しでも楽になればと、思ったのですが……」

「……………………」

「……………………」


 じ、と横になったまま布団から頭半分だけ出して見つめる私に、挙動不審になりながらも話していたグランツ卿が、最後は言葉が尻切れになり、無言になる。


「やはり、足を触られるのはお嫌ですよね……。街に行って医者や按摩師を探して連れて来ましょうか?」

「……いいえ。そこまでする必要はないわ」


 街に按摩師がいるのか、どこにいるのか分からない。それだけで日が暮れそうだし、それほど重篤でもない。


「一応聞くけれど、下心はない、わよね?」

「……………………」


 グランツ卿の視線が揺れて、思いっきり視線を逸らされた。そして小さく「全くないとは言い切れません……」とまで言われる。

 あるんかい。

 思わずため息をついてしまった。


「馬鹿正直」

「申し訳ありません…………張ってる所以外は、触らないようにします」

「分かったわ。お願いできる?」


 身体を起こして寝巻きを整えると、グランツ卿が部屋を出て下からブランケットを持ってきた。うつ伏せでいいか確認してから、ベッドに横になり枕に顎を載せる。「では失礼します」と声がかかり、腰から下にブランケットが掛けられた。みしり、とグランツ卿がベッドに乗ることで軋む音がする。思わず身体に緊張が走って強張る。右足をブランケット越しに持ち上げられて、足の裏を親指で押された。


「強さは、これくらいですか?」

「もう少し、強めで」

「……これくらい?」

「ええ。ちょうどいいわ」


 足の裏を丁寧に押され、時々来る強めの感覚に眉根を寄せる。足って、内臓のつぼが集約されているのだっけ。あちこち痛いから、かなり内臓がやられているようだ。


「それにしても、グランツ卿は色々出来るのね。多才だわ」

「……そうですか?」

「そうよ。経口補水液を作れるなんて凄いなって思ってるわ」

「……経口、補水液?」


 後ろから疑問符を浮かべた声が聞こえたので振り返ると、グランツ卿が首を傾げる。


「作ってくれた水差しに入っている飲み物のことよ。体液に近いから脱水症状に効果的でしょ?」

「ああ、恩寵の水のことですか」

「恩寵の、水?」


 聞き慣れない言葉に今度は私が首を傾げる。


「昔流行病が広まった時に、薬が追いつかないからと王都から配給があったのです。何でも、恩寵を持つ者が陛下に進言して出来た物だとか。体調の具合を確かめるためにも、熱が出た者の症状を和らげるのにも役立ったので重宝されていました。その時に作り方を聞いて、熱を出して寝込む弟や自分のためによく作っていたのです」

「そう……そうだったの」

「経口補水液という名前は初めて知りました。王都や貴族の間ではそう呼ぶのですか?」

「そうね……正式名称のような物よ。気にしないで」


 枕の上に頭を戻して、そうか、と反芻して実感する。

 ――恩寵持ちだと分かった時に陛下に呼び出されて、未だ収束しない流行病の対抗策を聞かれた。薬の知識もうろ覚えでチートなんて物はなかった私は、現代での流行病対策を伝えて、「薬の代わりに民に配れる物」として、石鹸と経口補水液を提案したのだ。――まさかそれが、本当に誰かを救って、巡り巡って自分も助けられるだなんて思いもしなかった。


「昨日はどうでしたか?」

「楽しかったわ。本当に!」


 即答して、枕に顔を埋めて息を吐く。


「あの小麦粉を薄く伸ばして焼いたのも食べたかったし、肉の串焼きも美味しそうだったわ……私の胃が健康だったら、食べられたのに」

「もしよければ、次は分け合いますか?」

「いいの?」

「ええ、構いません」

「やったわ。次の楽しみが出来たわ」


 私の言葉に、グランツ卿が小さく笑うのが聞こえる。


「次の市はいつかしら?」

「月一で行われると聞きましたから、ひと月後だそうです」

「ひと月後、か……」


 高揚していた気分が、すぅ、と落ちて行く。


「行けるかしら」

「……行けるのでは?」

「この間半年と言われてから、もうひと月が経とうとしているわ。そのひと月後なら、どうなっているか分からないわよ」

「……でも、思うのですが」


 グランツ卿の手が、足の裏を終えて足首へと移る。……結構、張っているのが自分でも分かる。


「護送されてこちらに来たばかりの時よりも、今の方が元気ではないですか?」

「……やっぱり?」


 振り返って訊ねると、グランツ卿が首を縦に振る。


「食べる量も増えましたし、身体つきもしっかりとして来ました。動けるようにもなりましたし、最近寝込んでいるのは筋肉痛で、病が原因で寝込むのは減ったような気がします」

「私も、王都にいた頃より朝はすっきりと起きられて、夕方動けなくなることは減った気がするのよね……王都にいた頃より忙しくないからかしら?」

「療養で身体を休めているから、かもしれないですね」

「そうね」

「お医者様は、何と?」

「特に何もないわ」


 医師とのやり取りを思い出す。


「ここ最近は『元気ですか?』『ええ、割と』『では薬も変更なしで。また来週お会いしましょう』で終わっているわ」

「診察が早いと思ったらそうだったのですか……それはちゃんと診て下さっているのですか?」

「恐らく……あの眼鏡を着けているからそうだと思うわ。今度来た時に状況を聞いてみましょうか」

「そうですね。いい結果が聞けるといいですね」

「そうねぇ……」


 枕に頭を預けて、息を吐く。

 治る病気ではない。それは分かっている。でも、ひょっとしたら小康状態になってこのまま過ごせるのではないか……。畑に植えたじゃがいもが収穫できるまでは身体が動けるといいなと思っていたけれど、もし、もしそれ以上に元気に過ごせたら……。

 そうしたら、ヴィオラに乗る練習の時間もあるから、遠乗りにも行ける。この間行けなかった湖に、グランツ卿と一緒に行ってみたい。もうじき秋だから、紅葉がきっと綺麗だろう。昼食を持って行ってもいい。遠くの山々を望みながら、丘の上を駆けるのは絶対気持ちがいい。

 毎月市が開かれるのなら、あと数回は行けるだろう。この間行った時に糸や布を扱う店があった。足が限界だったから見れなかったけれど、時間が許す限り、眺めてみたい。本屋もあったし、髪飾りやアクセサリーを取り扱っている店もあった。もっと歩けるようになったら、全部のお店を見て回れるだろうか。時間があるなら、そうしたら……



「……エリシア様?」


 急に静かになったと思ったので声を掛けたが、返事はなかった。顔を覗き込むと眠っていたのでアルベルトはほっとする。

 昨日は街に行って疲れた様子だったので体調に影響しないか心配していたが、症状は筋肉痛とお腹を下しただけで会話も元気そうだった。……いや、気がつくとエリシアはすぐ無理や隠そうとするから油断は出来ないが、ひとまず悪化はしてなさそうだったから安心はした。


「……………………」


 無言で、アルベルトは足の指圧を続ける。エリシアが安眠出来るように。


 下心なんて、あるに決まっている。

 最近、抱き上げることや抱き寄せることが増えたのを、彼女は気付いているのだろうか。

 全部、彼女ともっと一緒にいたくて、腕の中に入れたくてやっている行為だ。

『――グランツ副隊長。もしかして、エリシア様に惚れていますか?』

 つい先日、オスカーに定期報告をした際に、そう言われてしまい言葉に詰まった。……そんな感情は、出さないようにしていたのに。

「……どうして?」

『エリシア様が乗馬に挑戦した、とか、一緒に散歩した、とか、作ってくれた食事が美味しかった、とか。口にする度に声色が優しいのに気付いてます? あと報告の内容が惚れている男のそれですよ』

「……そうか?」

『そうです。惚けてんなー、と思って聞いています』

「……………………」

 少し気が緩んでいたか、とアルベルトは目を瞑る。

『……一応、これは部下としてではなく、同期のよしみとしての忠告ですが』

 通信珠越しに、オスカーが声を落として口を開く。

『あんまり、深入りするのも、溺れるのも、辞めた方がいいですよ』

「何故?」

『身分が違います。例え騎士爵を取ったとしても、相手は王族の血が流れている公爵家の一人娘ですよ? 一緒になるのはまず不可能です』

「……………………」

『それに、もうじきいなくなる相手です。苦しくなるのは貴方ですよ』

「……………………」

 目元を手で覆って、アルベルトは深く息を吐き出す。

「最近、元気なんだ」

『ええ。聞いています』

「寝込むのも減って、よく笑うようになったんだ」

『存じています……でも、残り数ヶ月です』

 声が、出なかった。喉から出そうになるのを、押し殺す。

『……念の為の、忠告です。惚気も愚痴も相談も、聞きます。辛い任務ですが、どうか……』


「……………………」

 足を、揉み終えた。ベッドを軋ませないようにそっと降りて、彼女の寝顔を覗き込む。先程までの辛そうな表情は少し緩んで、静かに寝息を立てながら、深く眠っている。

「……………………」

 そっと、彼女の頬に触れようと、指の背を近付けてみた。しかし以前の会話を思い出して、その手は触れる寸前の所で止まる。

「……………………」

 触れたいのに、触れられない。宙に浮いた手はしばらくその場に留まった後、ゆっくりと離れた。アルベルトは息を吐く。

 ……せめて、せめて元気になっているのだ。次の医師の診察で、良い結果が聞ける事を願う。そうすれば、もっと今の生活を、もっと一緒に続けられるのに。

 ため息を吐いた時に、通信珠から応答の音が聞こえた。眉根を顰め、アルベルトは静かにエリシアの自室を出る。

『グランツ副隊長、聞こえますか? こちら諜報部のオスカーです。応答願います』

「アルベルト・グランツだ。どうした?」

『緊急の情報が手に入りました。ルヴェリア公爵令嬢について女神の神託が降りたそうです』

「……女神の神託が?」

『はい。救う手立てについての話だったとか。しかしそれを受けて……』

 通信珠越しのオスカーが、唾を飲み込んだ。


『王太子殿下が、ルヴェリア公爵令嬢を迎えに侯爵領へと発ちました』

これにて三章終了です。続く四章もお楽しみください。

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