28. 賑わいの中で
ヴィオラに揺られて丘を二つ越えると、目の前には街が広がっていた。
石造りで出来た家々が集まった、小さな街。視界に映ったその光景に思わず歓声を上げた。
「うわぁ! 見てアルベルト! 街よ! 素敵ね!」
「そうですね」
「馬車の窓は小さかったから見えてなかったけれど、結構大きいのね! 市はもう始まっているのかしら?」
「朝早くからやっていると聞きました。まずはヴィオラを預けてから向かいましょう」
「そうね!」
街の門に着くと、入り口の衛兵に身分証を見せてから中に入る事になった。馬車の中から見聞きしていたそれだけど、現代ではなかった物に、ほー……とヴィオラの上から感心してしまった。身分証を見た衛兵が、びしりとこちらに敬礼をする。
「ようこそいらっしゃいました! お通りください!」
「ありがとう。市は何処で開かれているの?」
「中央の広場に続く通り沿いです! よろしければ案内役を付けましょうか?」
グランツ卿、と言いかけたのを飲み込み、降りてヴィオラの手綱を持つアルベルトに声を掛ける。
「アルベルト、どうする?」
「市に行く前にパン屋に挨拶をしましょう。遅くなると休憩に入るかもしれません」
「分かったわ」
「案内はいらない。もし分からなければ尋ねるから教えてくれ」
「はっ!」
「ではヴィオラ、少し買い物をしてくるからいい子で待っていてね」
ヴィオラの首を叩いてそう言えば、少しだけ不服そうにヴィオラが鼻を鳴らす。ヴィオラから下ろしてもらい、ヴィオラは門の近くにある厩舎に預ける事になった。他の馬と比べても、ヴィオラは一回り程大きい。それに優雅で品があるせいか、厩舎に預ける時に他の人達がヴィオラに視線を向けていた。
「では行きましょうか」
「そうね。早く帰ってこないとヴィオラが拗ねてしまうわ」
差し出された手に私の手を重ねて、エスコートを受ける。……少しは慣れたと思うけれど、近くなった距離に胸が小さく時めく。
「パン屋は何処か聞いていて?」
「はい。門の近くに店を構えていると言っていました。ほら、あそこのようです」
グランツ卿が指を差す先に、小さなパン屋があった。客が途切れなく来ている様子から、繁盛しているようだ。店先に見知った配達の少年の姿がいたので、挨拶するために近付いた。
「あ! お姉さんにお兄さん! いらっしゃい!」
「こんにちは、ご機嫌よう」
「今日は市に来たの?」
「ええ。その前にいつもお世話になっているから挨拶に来たわ。親御さんはいらっしゃって?」
「呼んでくる!」
そう言って、少年は店の奥へと踵を返す。
「おっとーう! おっかぁ! 来たよー! 丘の上の貴族様!」
少年の言葉にびくりと肩を跳ねさせる。周りに居た客の視線が一気にこちらに向けられた。「こちらへ」とグランツ卿が囁いて私を自身の近くに引き寄せる。
奥の方で「馬鹿っ! 大声で言わない!」と叱る声が聞こえたから、少しだけほっとする。
ややあって、恰幅のいいご婦人が出てきた。
「どうも〜。初めまして。いつもお世話になっています〜」
「いいえこちらこそ。いつも美味しいパンをありがとう。配達を楽しみにしているわ」
スカートを持って、ご婦人に一礼する。ゆっくりと、奥からご主人も現れた。
「……わざわざ来てもらいすみません。私が腰をやってしまって息子に配達を任せましたが、何か不都合がありましたでしょうか?」
「いいえ。そんな事はないわ。今日はお世話になっているから挨拶に来ただけなの。腰の具合はどう?」
「いたた……元々腰痛持ちでしたが、今回は特に酷くて……パンは何とか焼けますが、接客や配達はまだ無理で息子や妻に助けてもらっています」
「屈む事が多いとどうしても腰に負担がかかるわよね。あまり無理はしないでね」
私の言葉に店主のご主人が目を丸くする。……何か可笑しな事を言っただろうか。
「はい……お気遣い、感謝、します……」
「その、配達の回数を減らしたのは、こちらの味が悪かったとか……」
「いいえ。二人では食べきれなかったから、調整させてもらったの。そちらの不手際ではないわ」
ね? とグランツ卿に振ると、小さく首を縦に振った。
「二人……と言う事は、そちらは旦那様ですか?」
「あ……えっと……」
どう答えようかと思ってグランツ卿を見上げると、肩を跳ねせさせて、視線を彷徨わせてから、そっぽを向かれてしまった。……まぁ、貴族だとばれている様子だし、変に取り繕わなくても、いっか。
「私の護衛よ。訳あってあの丘の上で二人で暮らしているの」
「そう、でしたか……」
「なぁんだ。夫婦じゃないんだ」
横で聞いていた少年が、後頭部で手を組んで口を開く。
「駆け落ちしてきた貴族か罪人が都落ちして住んでるって聞いたけど、違ったんだな」
「こら!!」
「いてっ!」
ごつ、と少年の頭にご婦人の拳が落ちた。すぐに少年の頭を掴んで、店主とご婦人が深々と頭を下げる。
「申し訳ございません! 息子がとんだ無礼を!」
「いいえ。気にしてないから問題ないわ。来た経緯も経緯だから、そんな噂を立てられても仕方がないわよ、ね?」
グランツ卿に振ると、戸惑いながらも、頷いている。少年が「ほらな? 優しいって言っただろ?」と言うと「あんたは黙ってな!」とご婦人にさらに頭を下げさせられていた。
「……周囲の人の数が増えて来ました。ここを離れた方がいいかと」
「分かったわ。では私達はこれで。またよろしくね」
「はい! また明日息子にパンを届けさせます!」
「楽しみにしているわ」
グランツ卿を伴って、その場を離れる。パン屋から見えない・聞こえない場所に来た所で、ふ、と息を吐いた。
「結局、貴族として振る舞ってしまったわね」
「……仕方ないのでは?」
私の言葉にグランツ卿が反応したので、私も反論する。
「どうして? 今日の私は街娘のエリーを気取るつもりでいたのよ?」
「街娘はエスコートされませんよ」
言われて、私は自然と手を回していたグランツ卿の腕を見る。……それは、そうか。手を離そうとすると、グランツ卿が反対の手でそれを押さえた。
「人が多いので離れないでください」
「……でも」
「口調や立ち振る舞いからして到底無理な話です。何かあってからでは遅いので、絶対に俺から離れないでください」
「……分かったわ」
だったら、街に到着する前に言ってくれたっていいじゃないかと、少し口を尖らせる。別に、元は一般庶民なんだから、ちょっと時間と練習があれば公爵令嬢っぽさなんて消せるはずなのに。……多分。
「見えてきましたよ。あれが市です」
「……………………」
見えてきた光景に目を丸くする。通りの両側に屋台のように店が立ち並び、あちらこちらで野菜や肉、干し魚、本、雑貨、瓶詰め、果物と様々な物が売られている。
「買うのは足の速い野菜や新鮮な肉でよろしかったですか?」
「……………………」
「エリシア様?」
「街娘のように、振る舞えばいい……んでしょ?」
グランツ卿の顔を見て、何とか変換しながらそう言えば、グランツ卿がしまったという顔をする。
腕からするりと離れて、小走りで近くの野菜屋に近付いた。
「エリシア様!」
「すみませーん! キャベツと人参と……そこの菜っ葉もください。人参は馬も喜びそうな甘いやつで!」
「あいよ。幾つだ?」
「キャベツは一つ、人参は……」
振り返るとすぐ後ろにグランツ卿がいる。
「人参は幾つ買う?」
「……そんなに多くは持てない。五つだ。そちらの葉物は一束で」
店主から袋に入れられた野菜をグランツ卿が受け取り、金額を支払う。……私は、銀貨や銅貨の使い方が分からないので財布はグランツ卿に渡している。
「毎度あり」
「ありがとう」
店から離れたので、どうだと胸を張った。
「ほら、私にだって出来るでしょ?」
「……………………」
私の言葉にグランツ卿が目を見開いてから、少しだけ目元を緩めて息を吐く。
「……分かりました。無理だと言って申し訳ありません」
「分かればいいのよ。分かれば」
「しかし、基本重たい物は後で買うのが定石です」
「……それはそうね。肉類だけ最後に買うのは頭に覚えていたわ。ごめんなさいね」
「いえ、別に……」
「惚けていると言われているのだから、腕の鍛錬だと思って許してね?」
「……………………」
茶化してそう言えば、グランツ卿は何も言わずに袋を抱え直す。
「今度こそ、俺から離れないようにして下さい。いいですね?」
「分かったわ」
腕にしっかりと手を絡めて、人の波に飲まれないように身体を寄せる。ほんの少し、馬に乗って門からここまで歩いただけ。それなのに私の身体はもう息が荒くなっていて、足が少しだけ言う事を聞かない。
「体調は如何ですか?」
「思ったよりは良好よ。でも、帰る前に休憩が欲しいわ」
「丁度昼時も近いから、後で何か食べましょう。まずは歩いて一通り見てみましょうか」
「賛成よ。……! ねぇグランツ卿! あれ!」
見つけた物を伝えるためにグランツ卿の腕を引いて示す。その屋台では、円形の鉄板のような物で生地を薄く丸く伸ばして焼いている。前世にあったクレープだ!
「屋台飯の一つです。ハムやチーズを巻いて食べたり、クリームに果物やジャムを塗って巻いたのを食べる物です」
「美味しい?」
「ええ、美味しいですよ」
「塩気が強いのもいいけど、甘いのもいいわね……! あれは私の第一候補ね」
「かしこまりました」
グランツ卿が、歩き出す。その歩みは、先ほどよりも遅くなった。私の足に合わせてくれている。その事実だけで、心の中が温かくなる。
「名前呼びは、もういいのですか?」
こちらに尋ねるグランツ卿に、目を瞬いてからすぐに思い当たる。
「しまったわ。咄嗟に慣れている方で呼んだわ」
「そうだと思いました」
「……アルベルト?」
小さくそう呼ぶと、アルベルトの背筋が伸びた。緊張した面持ちで、視線をあちらこちらへと向けている。
「どう? ちゃんと呼んだわよ」
「……そう、ですね」
「どちらがいい、と言うのはある?」
「………………どちらでも」
視線を彷徨わせていた彼が、一呼吸置いてからこちらを見た。深い灰色の瞳に、私が映っている。
「あなた様に呼ばれるのなら、どちらでも構いません」
「……そう」
視線を前に向けて、その言葉を噛み締める。胸の中が、むず痒い。
「今後はアルベルトと呼べるように、練習するわね」
「練習はしなくて結構です」
「ではそうするわ」
「?」
「あなたの好きなように、呼ばせてもらうわね」
絡ませた腕に力を入れてそう言えば、グランツ卿の頬が赤くなる。
――私に残された時間は、長くはないけれど。こんな時間が続けばいいと、そう、願ってしまった。




