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すべてを失った令嬢は騎士の愛を選ぶ——その愛は、もういりません  作者: 円花なまり
第三章 穏やかな日々に差す影

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27. 名前を呼ぶ距離

 数日後に、街で市が開かれる。そう、配達に来てくれた少年が教えてくれた。市では遠くから来た店や屋台が立ち並び、ちょっとしたお祭りのように賑わうらしい。――久しく縁のなかった話が、舞い込んできた。

 そして私はその話を、ソファーに凭れてぐったりしながらグランツ卿から聞いたのだった。


「行けますか?」

「……行くわ。行けるうちに行っておきたいもの」


 ソファーの上でブランケットに包まり、丸まりながらそう答える。


「本当に、行けますか?」

「体調不良ではなくて、筋肉痛だから、そのうち治るわ」

「……ちなみに、痛むのは」

「お尻と内腿とお腹……」


 馬に一回乗ってその辺散歩しただけで、すぐに筋肉痛がやって来て寝込んでしまった。とても楽しかったから、ついて行けない私の身体が恨めしい。


「俺の身体に寄りかからないで背筋を伸ばしていたのも原因では?」

「……だって」

「街はこの間の倍以上の道のりですよ?」

「……頑張る」


 ブランケットに包まりながら呻く私に、グランツ卿が息を吐く。


 それが、数日前の話。

 そして、今日が――屋敷を出て、外の世界に踏み出す日だ。


「よし!」


 筋肉痛も治った。服も綺麗なものを選んで、下ろしたての外套も羽織った。髪も編み込んで纏めた。前世で自分の髪をアレンジするのが好きだったから、自力で出来てよかったと思う。――こうして自分の髪で遊ぶのも、久々だ。前日から練習したから、今日は綺麗に纏まっているはず。


「お待たせ、グランツ卿。後ろはどう? 綺麗に纏まっている?」


 ヴィオラの準備をするグランツ卿の前に立ち、振り向いて後ろを見せる。


「はい。問題ありません」

「ならよかったわ。待たせたわね、ヴィオラ。一緒にお出かけするわよ」


 手を伸ばしてヴィオラを撫でると、鼻先を私の顔に近付けてくる。私に甘えてくるのが、本当に可愛い。こうやって、動物を触れ合える時間が来るだなんて、思っても見なかった。


「もう行けますか?」

「ええ。財布も持ったから、準備万端よ」

「では乗せますね」


 ヴィオラの手綱を柵に括り付けて、グランツ卿が私を抱き上げる。


「っ、台は?」

「向こうにない可能性がありますから、練習させてください」


 台から引っ張り上げる時よりは力を使う様子だったが、それでも簡単に高い位置にあるヴィオラの鞍に乗せられてしまった。……私の先日の苦労は何だったのだろうか。遠い目をしながら鎧に足を掛けようした時に、お尻の柔らかさにふと気付いた。

 鞍の上にクッションが敷かれている。


「これ、いいの?」


 後ろに跨ったグランツ卿に指差しながら尋ねると、頷いた。


「その方が負担が減ります」

「使っていい物なの?」

「馬を乗りこなすのであれば不要ですが、安全に負担なくあなた様を運ぶのであれば必要な物です」


 ……あれかな? バイクのシートにクッション敷くのと同じ感覚かな? と思っていたらグランツ卿が身を寄せて自身の方へ私を抱き寄せた。


「移動が長いのと、到着してから買い物もありますので、今日は遠慮なく俺に寄りかかってください」

「……………………」


 背中の温もりと、太い腕に挟まれる状況に心臓がどうしても慣れてくれない。背筋をそっと伸ばして離れようとしたら、お腹に回った腕に力が入った。


「エリシア様」

「……後ろは駄目かしら?」

「え?」

「後ろでしがみついている方が、まだ気が楽かな、と思ったのだけれど」


 見上げてそう訊ねると、考えるように視線を上げたグランツ卿が、こちらを見る。


「後ろは揺れますし、何かあった時に対応が遅れますから、やはりこのままでお願いします」

「そう?」

「嫌ですか?」

「嫌……ではない、けれど……」

「では我慢してください」


 そう言って、グランツ卿はヴィオラの脇腹を蹴って前に進ませる。……グランツ卿は、緊張なんてしないのかしら? 慣れている? そう思って顔を上げると、前回よりも近くにグランツ卿の顔があった。その表情は、ほんの少しだけ、固い。


「どうかしましたか?」

「慣れている? と思って」

「……女性と二人乗りをするのはこれが初めてです」


 そう言って、グランツ卿は私から手を放して両手で手綱を握る。


「俺も探り探りなので不手際があるかと思います。何か問題があればすぐに言ってください」

「分かったわ。……グランツ卿」


 見上げてそう呼べば、視線が私の頭に降りてくるのが分かる。


「緊張してる?」


 顔ははっきりと見えないが、表情が強張って、すぐに視線が逸らされた。


「……何故」

「声と言葉がいつもより固いもの。そうかな、と思っただけよ」

「……………………」

「グランツ卿」

「何です」

「話があって」

「何でしょう?」

「街ではエリシアであることは隠そうと思うの」


 驚いた表情をする彼に、見上げて小さく笑う。


「だって、追放された令嬢がここにいるだなんて、街の人がびっくりしてしまうわ。ひょっとしたら護送馬車が丘に行ったから気付いている人もいるかもしれないけれど、念のためよ」

「……………………」

「だから、私のことはエリーと呼んでちょうだい。私も、あなたをアルベルトと呼んでもいいかしら?」

「……………………」


 無言でグランツ卿が、視線をあっちに向けて、そっちに向けて、考えている。


「……そういう事でしたら、俺の事はそう呼んでください。俺は難しいので考えます」

「それなら仕方ないわ。……もしくは」


 悪戯っぽい笑みを浮かべて、後ろを振り返る。


「こういうのって、恋人や夫婦って設定が定石よね? あなたとか、旦那様とお呼びする?」

「エリシア様!」

「ほら、街中で呼んだら駄目よ。今のうちに気を付けておかないと」

「……………………」


 難しい顔で、眉根を寄せてグランツ卿が考えている。


「少しは緊張が解けた?」

「……緊張とは別の問題が浮上しました」

「頑張って。私はちゃんとアルベルトと呼ぶわ。……一応あなたの方が年上だから、敬称を付けた方がいいかしら?」


 ぶんぶん、とグランツ卿が首を勢いよく横に振るので、思わず随分久々に、声に出して笑ってしまったのだった。

街へのお買い物編、長くなりそうなのでここで切ります。続きは次回に。

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