20.離したくないと思った
2026/4/5 加筆修正済
「……は?」
私の言葉に、グランツ卿は目を瞬かせる。
「何を」
「私がダンスを教えてあげる」
「はい?」
「早速したい事が見つかったわ」
グランツ卿の手を引きながら、ふふと笑う。
「そうすれば、夜会や晩餐会で壁の花にならなくていいでしょう?」
「男なので壁のシミです」
「まぁ、ひどい言い方なのね」
「結構です。踊れなくても何も支障ありません」
「本当にそうかしら?」
「?」
どういう意味だ? とグランツ卿が深い灰色の瞳で問い掛けたので、私は目元を柔らかく細める。
「あなたは優しくて魅力的よ。私だけそれを知っているのは勿体無いわ」
「……俺は、別に」
「グランツ卿」
視線を逸らしたグランツ卿の手を、さらに引いた。剣だこのある大きな手を、そっと握る。
「……私は、もうじきいなくなるの」
グランツ卿の目が、揺れながらこちらに向けられる。
「だから……これは、私に付き合ってくれるお礼よ。こういう形でしか返せないけれど、どうか受け取って?」
「……エリシア様」
「いいでしょう? お願い」
そう言って微笑めば、グランツ卿は深い灰色の瞳を伏せる。じっ、とそれを見つめていると、ゆっくりと、こちらに向けられた。
「……俺は本当に踊れませんよ?」
「いいのよ。完璧に踊れる人なんて貴族でも少ないわ。こういうのは、やってみようと考える事が大事よ?」
戸惑いながらも、グランツ卿が首を縦に振る。それを見て、私の顔も華やいだ。
「しかし、ご体調は? 病み上がりなので無理はしない方が……」
「大丈夫よ。ぐっすり寝たもの。それに、まずは姿勢と動きの確認をするだけだから室内でも出来るわ」
「それなら……」
「では決まりね」
そう言って、室内を見渡す。
「少し狭いから、テーブルを端に寄せましょうか。反対側を持ってくださる?」
「いいです。俺が運びます」
「でも……」
言うや否や、テーブルの前後を掴んで簡単に持ち上げてしまった。部屋の端に移動するのを見て、ほう、と息を吐く。
「すごいわ。本当に力持ちね」
「鍛えていますから。それで、どうしましょう?」
「では、まず円舞曲の姿勢や組み方から。肩の力を抜いて楽にして……そうそう。胸を張って。この状態で組んでいくわね。あなたの左手と私の右手の親指の手の腹を合わせて、私は上から、あなたは下から指を添わせて?」
近付いて私の右手とグランツ卿の左手を合わせると、グランツ卿の大きな手にすっぽりと私の手は納まってしまった。意識してしまって思わず顔に熱が集まる。
「これで簡単に離れなくなるから、お互いに支えられるわ。ほら」
手を引こうとしてみせると、動かない。確認するためにグランツ卿の顔を見る。
「……………………」
すごく、難しい顔をしていた。私の説明が難しかっただろうか。
「難しいかしら?」
「いえ、問題ありません」
「そう? 次に進んでいい?」
「はい」
「次は反対の手ね。私の肩甲骨の下辺りに添えて?」
「……本当に?」
戸惑った視線を、こちらに向けられる。
「ええ。夜会でダンスを踊る時に手を添えているでしょう? あれと同じよ」
「…………本当に、触れてもいいのですか?」
「もちろん」
恐る恐る、グランツ卿の手が私の背中に手を回す。自然と、グランツ卿との距離が近くなった。胸が高鳴りそうになるのを、息を吐いて抑える。
「では、私はあなたの肩に手を添えるわね」
そっと、左手をグランツ卿の肩に添える。——触れた指先が、彼のシャツの下にある筋肉の硬さを教える。思わず、息が漏れてしまった。
「すごいわね、あなたの腕。しっかりしているわ」
「……………………」
「グランツ卿?」
見上げると、グランツ卿が眉間の皺を深くして、すごい表情で固まっていた。私の背中に回された手は、触れるか触れないかの所で止まっている。
「グランツ卿?」
もう一度呼び掛けるが、返事がない。視線を合わせようとしたが、私の肩辺りに向けられていて、私が動こうにもホールドされているから視線が合いそうにもない。
グランツ卿、と呼び掛けた言葉を飲み込んで、恐る恐る、名前を口にする。
「——アルベルト」
ようやく、グランツ卿が我に帰った。視線がゆっくりとこちらに向けられる。
「ダンス中に余所見をするのは厳禁よ? 私だけを見て」
「……………………」
返事はなく、喉仏が上下するのが見えた。相当緊張しているらしい。
「身体が固くなっているわ。力を抜いて。目が合わせられないのなら私の旋毛や額でもいいわ。私に回した手はちゃんと触れておかないと」
「……恐れ多くて」
何とか絞り出したようなグランツ卿の声は、掠れていた。思わず小さく噴き出す。
「そんなに怯えなくても大丈夫よ」
「そういう訳ではなくて」
「では何かしら? 抱き心地が悪そう?」
「え? いえ、そんなことはありません」
「細すぎて気持ち悪いと言われるのよ。不快にさせてしまったら、ごめんなさい」
「……は?」
グランツ卿の顔が、信じられないと瞳を揺らしながらこちらを見る。
「誰が、そんなことを?」
「——さぁ、誰でしょうね」
視線を伏せて誤魔化す。
——まぁ、そんな事、言うのなんてたった一人しかいないのだが。
——デビュタントの日。殿下とのダンスが終わった私は、先ほどのダンスの感想が聞きたくて殿下を探していた。
——聞いてしまったのは、後学友に話す殿下の感想。まるで鶏がらが踊っているみたいだったと話すのが聞こえてしまって、私の内にあった熱が、一気に冷めていくのが分かった。
背中の手が、しっかりと私に触れて現実へと戻された。顔を上げれば、グランツ卿がこちらを見つめている。
「グランツ卿、大丈夫? 不快にはならない?」
「なりません。そんな事全くもってありません」
「そう」
「すみません。女性に触れた事があまりなく、先ほどは触っていいのか躊躇っていました。もう大丈夫です」
そう言って、グランツ卿の視線が揺れる。
「俺よりもずっと細くて、壊れそうだと思ったのは事実です。謝ります」
「いいのよ。そんな事。正直に話さなくてもいいわ」
「——俺は」
背中に添えられた手と、繋がれた手に力が入った。グランツ卿との距離がさらに近くなった。胸と胸が触れそうで、息がかかりそうだ。心臓が飛び跳ねてしまいそう。
「あなた様とこうして触れ合える事が、まるで夢みたいだと思っています」
「——夢?」
その言葉の意味を測りかねて、思わず問い返す。グランツ卿の頬が、赤い。
「……俺は」
深い灰色の瞳が、私から外れて揺れている。でも一呼吸の内に、その瞳が真っ直ぐに私を射抜いた。
「あなた様は——とても美しいです。触れていることが、現実だと思えなくなります」
「!」
体温が、上がるのが分かった。嬉しい反面、困ったと眉尻を下げる。
ぼろぼろになってしまったこんな私でも、そう言ってくれる人がいた。その事実に胸が痛い。苦しい。そう言ってもらえてとても嬉しい。
でも、私には先も時間もない。
「……ご迷惑、でしたか?」
「ううん……そんなことないわ」
静かに首を横に振る。目元に溜まった涙に気付かないように祈って、顔を上げる。
「ありがとう、グランツ卿。あなたにそう言ってもらえて光栄だわ」
「——喜んでいただけて何よりです、エリシア様」
グランツ卿の切れ長の瞳が、柔和に細められる。
「この後はどうすればいいですか?」
「ここまで来れば、もうほぼ出来たと同じよ。後は音楽に合わせて踊るだけ。円舞曲はゆっくりとした三拍子よ。基本となるステップは——」
いち、に、さん、とカウントを取りながら、彼女はゆっくりとアルベルトを誘う。その表情が優しげで、楽しげで、アルベルトはずっと見ていたい気持ちになった。
先ほどは、本当は、抱き締めたいとすら思ってしまった。でも、自分は任務で来ているのだと何とか自制する。
左手に包まれた、彼女の小さな手。右手に触れる、彼女の柔らかで華奢な背中。暖炉の灯りに照らされた、彼女の銀糸のような髪は動くたびに揺れて煌めく。白い肌は動くせいか頬が上気し、時折ふわりと花の香りが鼻をくすぐった。
——今、目の前に、すぐ近くに、彼女はいる。
——でも、彼女はもうじき、この世からいなくなる。
胸が痛くなって、思わず彼女の背中に回した手に力が入った。それに気付いた彼女がアルベルトを見上げて、優しく微笑む。
……彼女が、視界から消えないでほしい。ずっとこの、腕の中に居て欲しい。
どうすれば、この想いは、叶うのだろうか。
ここで二章終了です。読んでいただきありがとうございます。
続く第三章もお楽しみください。
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