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すべてを失った令嬢は騎士の愛を選ぶ——その愛は、もういりません  作者: 円花なまり
第三章 穏やかな日々に差す影

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21.私が私を守るために

 ——久々に触れた人の温もりが、夜に眠りについても肌を温めている気がした。

 だから私は、母の夢を見たのだろう。


 母は私を産んでから身体が弱くなり、よくベッドの上で過ごしていた。

 私が会いに行くといつも微笑んで、「私の宝物」と呼んで抱き締めてくれた。父もどんなに忙しくても帰って来て、母を抱き締めた後、「私達の子供」と私の頭を撫でてくれた。父も母も、優しかった。幸せそうだった。特に母の周りはいつもきらきらしていて、温かくて、とても優しかった。

 愛してくれていた。

 だから母が好きだった。


 全てが変わったのは、王国を襲った、あの流行病だろう。感染力が強く病状の進行も早く、国民の三分の一近い人口が亡くなったと聞いた。

 私の母も、その一人だった。

 母を世話していた侍女が感染したと聞いてから、隔離されて、あっという間だった。母の葬儀は人知れず行われた。当時幼かった私にとっては、気付いたら母がいなくなっていた状況だ。

 父は、打ちひしがれていた。元々外交官で忙しい人であったが、今まで以上に家に帰らなくなった。当たり前だ。母のことをとても愛していたからだ。突然失って、母の面影や思い出が残る屋敷にいるのは辛いだろう。

 今の私なら、父が母を失って屋敷に帰れなかった気持ちも分かる。でも当時四歳のエリシアには、それが分からない。

 父も母もいない屋敷に、取り残された。

 母を探して、屋敷を歩き回った。母が誕生日に贈ってくれた、熊のぬいぐるみを抱き締めて。出会った使用人に母の居場所を聞く度に、顔を背けられた。執事に「奥様はもういない」と言われても、信じることが出来なかった。母を探し続けた。

 ある日、屋敷の侍女長を見つけた。——エリシアは、この人が好きではなかった。いつもエリシアや母に冷たい視線や態度を向けて来たからだ。でも殆んどの大人に聞いて回ったから、彼女ならもしかしてと思って、一縷の望みを掛けて勇気を振り絞って聞いたのだ。

 

「——あなたのせいですよ」

 

 屈もうとせず、ただ冷たい視線を、彼女はエリシアにぶつける。

 

「あなたが生まれたから、あなたのお母様は死んだのですよ。この世にいなければ良かったのに」

 

 ——現代を生きた大人の私なら、そうじゃないと言える。母が亡くなった責任を幼い子供に押し付けるのは、あまりに酷だと、反発出来る。

 でも、エリシア(私)は、そうではなかった。

 抱き締めていたぬいぐるみが、腕の中から落ちる。


 さらには、「邪魔です」と腕を掴まれ、そのまま空き部屋へ引きずられた。

 扉が閉まり、外から鍵の掛かる音がした。

 ——呼んでも、誰も来ない。泣いても、助けてくれない。お腹が空いても、喉が渇いても、何も出て来ない。

 

 四歳の子どもが耐えられるようなものではなかった。

 でもエリシアは大人の言葉を疑うことを知らなかった。

 自分のせいで母がいなくなったのなら、自分がいなければよかったのだと、本気で思ってしまった。

 

 ——だから、エリシア(私)を守るために、恩寵(私)が姿を現したのだろう。そう私は、解釈している。


「……………………」


 夢から覚めると、頬が濡れていた。どうやら、夢を見て泣いていたらしい。

 枕元を見ると、父が荷物に入れてくれた、大切な熊のぬいぐるみがそこにあった。

 人肌恋しくなって、ぬいぐるみを手に取ってそっと撫でてから抱き締める。

 ——昨日久々に触れて、歯止めが利かなくなっているのだろう。

 もっと、と叫ぶ心を、ぬいぐるみを抱き締めることで何とか抑えつけた。

 

   *   *   *



 その日の午後。

 「自室で剣の手入れをします」とエリシアに告げて、アルベルトは自身の部屋に移動した。

 ベッドに腰掛け、用意していた盗聴防止の魔導具を起動させて、耳に装着している通信具に触れる。

 

「オスカー、聞こえるか? 俺だ」

『——お疲れ様です。聞こえていますよ。定刻通りの通信大変に感謝しています』

 

 通信具の向こうから、ノイズ混じりの部下のオスカーの声が聞こえてくる。

 王国騎士は単独の任務に当たる際、定期的な報告が義務付けられている。それは王命によりエリシアの護衛任務に就いたアルベルトも例外ではない。

 アルベルトの持つ通信具は、どれほど距離が離れていても、同じ通信具を持つ相手に必ず繋がる様になっている。近衛騎士副団長のアルベルトの片割れは、諜報部で情報収集も担当するオスカーが所持していた。

 

『そちらの状況はどうですか?』

「先日医師が来た」

『エリシア様の診察ですか? 結果はどうだったんです?』

「——もって半年だそうだ」

 

 通信具の向こうから、息を呑んだ後に深いため息が聞こえてくる。

 

『そんなに。診断書が作られたのはあの事件の前ですから、妥当かもしれないですけど、そうですか……エリシア様のご様子は?』

「諦め気味ではあったが、受け入れられていた」

 

 再び、向こう側からため息が聞こえて来る。

 

『気丈だよなぁ。あの方は。諦めないとやってられないのかもしれないですね。副団長はどうですか? 問題ありませんか?』

「——俺か?」

『そういう話を聞いたら、副団長だってきついでしょ? 大丈夫ですか?』

 

 問題ない、の一言が口に出せず、アルベルトも息を吐いた。

 

「目の前から消えてほしくない」

『そりゃそうですよ。皆そうです』

「他に治療法はないのか」

『今回往診したのが、変わり者ですが魔力過多症の研究では国内最高峰の権威ですよ。その医師が難しいと判断したのなら、打つ術は——』

 

 アルベルトは天を見上げる。手や腕には、先日のエリシアとダンスの指導で組んだ感触がまだ残っている。この感触が無くなってしまうのは、やはり少々耐えられない。

 

「話を変えよう。そちらの様子はどうだ?」

『こっちですか? もう散々ですよ』

 

 さらさらと、紙を捲る音がノイズに混じって聞こえてくる。

 

『まず王室と公爵家との裁判が終わりました。慰謝料の金額が決まって和解で決着です』

「そうか」

『ま、お互い親戚ですからね。決別より和解が今後の事も考えて妥当だったと思います。ルヴェリア公爵と神殿との裁判は、引き続き行われております』

「神殿側の言い分は?」

『聖女が神に宣誓を行ない、何も起こってないのだから、ルヴェリア公爵令嬢が断罪された内容は真実であった——だそうです』

「神への宣誓は、あれか?」

『そうそう。正義と天秤を司る女神への宣誓だから、嘘を吐いたら激痛や審判が下ると言われる、あれです。聖女に審判が下ってないから、真実って判定になるのでしょうね』

「でもエリシア様は何もしていない」

『そう。証拠も何もないんです。エリシア様のご学友が無実を晴らすべく署名活動も行っていますが、世論も怪しいんですよね』

「世論?」

『ゴシップ記事が多い新聞社が今回の事件を取り上げたんですよ。内容は——』


 紙を捲る音がする。


『父親からは見放され、婚約者からも冷遇され、愛されなかった悪役令嬢は断罪された。一人辺境でその身を業火に焚べるのは当然の報いだ』

「……………………」


 あまりの内容にアルベルトは眉根を寄せた。


「でっち上げじゃないのか」

『腹立つ記事ですが、全部が完全な捏造とも言えないのが厄介なんですよ』

「どういう意味だ」

『公爵閣下は、ほら、外務大臣で仕事熱心だったから、ほとんど屋敷に帰らずに外国に行っているか王城で寝泊まりしていたでしょう? 夫人を亡くされてから顕著になったって聞いています』

「……………………」

『殿下の件は俺たちも知っています。王太子妃の教育で忙しいエリシア様を放っておいて、御自身は剣術に打ち込んでいましたからね。いやー、大きな声じゃ言えないけど、よくエリシア様我慢してましたよね。おっと』


 向こう側で、はいはい気を付けますと話すのが聞こえる。恐らく記録係に不敬だと指摘されたのだろう。

 

『あと北部大侯爵を通じてルヴェリア公爵に手紙が届けられたようです。その後公爵家で大規模な調査や粛清が入ったのですが、手紙の主はエリシア様です?』

「ああ、恐らく」

『辺境で何かあったのですか?』

「公爵からの荷物に不審な物があったから、エリシア様が確認されたんだろう」

『へー……それは、中々対応が早いですね』

「そうだな」


 恐らく、あの緑色のじゃがいもを公爵閣下にすぐに相談したのだろう。

 屋敷に下手人が紛れている、となれば公爵も早急に動いたに違いない。


「そう言えば王太子殿下はどうしている?」

『元気っちゃ元気ですよ。副団長に殴られた後謹慎になりまして。この間謹慎が解けて真っ先に陛下や北部侯爵様に噛み付きに行っていました』

「……何と?」

 

 アルベルトは訊ねる。通信具からは、呆れも含んだノイズ混じりのオスカーの声が聞こえた。

 

「エリシア様を返せ、ですって」


2026/9/6 加筆修正済

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