19. 私と踊らない?
2026/4/5 加筆修正済
次の日。昨日の空気とはまるで正反対で、目が覚めると太陽が高く昇り、窓から差し込む光が塔の中を明るく照らしていた。あんなに重い空気だったのに、太陽はこんなにも明るい。
ベッドの中で伸びをしながら、日課である体調を確認する。
熱は下がった。魔力が暴れる感覚もなく、今日は凪いでいる。昨日処方してもらった薬はしっかりと効いてくれたようだ。
体調は、上々。しかし気分が上がらない。
……でも、昨日みたいに息が詰まって動けない感じは、もうなかった。
「……半年かぁ」
息を吐き出しながら、昨日、お医者様に宣告された余命を繰り返す。
公爵家で診ていたお医者様は、子供の頃に余命を告げていたからか、あとどれ位あるかは特に言わなかった。ただ、無理はするな、無茶はするなと再三言ってくれていたけれど、王城に頻繁に呼ばれる私を見て、最後の方は何も言わず、こまめに私の体調に合わせた薬を用意してくれていた。
優しい先生だと、思っていた。だから尚のこと、聖女に私の診断書を渡したと聞いてショックを受けたのだった。
「……………………」
布団の中で寝返りを打つ。
昨日はもう、ふて寝に近かった。王都に居た頃より元気な時間が長く感じていたから、ひょっとしたらもう少しは長く生きられるのではないかと思ったのだ。……まあ、王都を出てだいぶ経ってはいるが、辺境のこの屋敷に来てからは一週間と少し過ぎた位だ。それなら、王都の時と診断結果はそんなに変わらないのが、妥当だろう。
それにしても、だ。
――側にいて?
昨日の自分の失言を思い出して、布団を頭から被った。
ば、ばかエリシア! 相手は妻子や恋人がいるかもしれないのに、何てことを言っているんだ。あんないい人にはお相手がいて当然だ。きっと。私の言葉に頷いて手を握ってくれたのは、騎士として、私のことを主人として見てくれたからだ。恋とかそんなんじゃない! グランツ卿も、告白紛いの言葉にきっと戸惑っただろう。どうしよう。訂正するか? でも逆に訂正するのも変じゃないか?
ベッドの中でうんうん唸っていると、階段を登ってくる音が聞こえた。グランツ卿だ。起きてこない私の様子を見に来たらしい。
「エリシア様。入ってもよろしいですか?」
「どうぞ」
慌てる心を落ち着かせて返事をすると、扉がそっと開かれた。
「おはようございます。お加減はいかがですか?」
「もう良くなったわ。今日は起きて過ごせそう」
「失礼します。お顔を拝見しても?」
「良くてよ」
寝起きでぼさぼさの髪を手櫛で整えながら返事をする。室内に入ってきたグランツ卿が私に近付き、額に手を当てた。
額に触れた手が、ひんやりと冷たい。
その感触に昨日の事を思い出して、胸が小さく跳ねた。
「熱はなさそうですね。顔色も良さそうだ」
「そ、そうでしょう⁉︎ 先生の薬が効いたみたい。良かったわ」
「……そうですね。病み上がりなので無理はしないでください。食事は持って来ましょうか? それとも下で食べます?」
「下に降りるわ。すぐに準備するから待っていて」
「かしこまりました。今日は少年がパンを持って来たので焼き立てです」
「そうなの? 楽しみにしているわ」
努めて平静を装って対応したが、触られた額が熱を持つような気がした。駄目だ。昨日のやらかしを含めて意識してしまう自分がいる。
「相手は妻子持ち、相手は妻子持ち……」
ときめかない様にするために、呪文の様に唱えて平静を保つ。恋は駄目。恋は駄目。相手がいる人は尚更だ。
髪をブラシで整えてゆるく纏めてから階段を降りると、グランツ卿がテーブルの上に食事を用意してくれた。階下に降りて時計を確認すると、もう昼近い時間を示している。
「もうこんな時間……。ぐっすり寝ていたみたい。起きるのが遅くてごめんなさい」
「お気になさらず。今日も病み上がりだから無理はしないでください。飲み物はいかがしましょう?」
「そうね。ゆっくり過ごすのならお茶をお願い」
「かしこまりました」
柔らかく煮込まれた野菜のスープが、熱にやられた胃に染み込んでいく。麦も一緒に煮込まれていて食感のアクセントになっていて美味しい。
「グランツ卿の作る料理って、美味しいわね。誰かから習ったの?」
「母が作っていた物ですが、亡くなってからは見様見真似でやっていました」
「……そうだったの。お母様は料理上手だったのね」
「はい。母の味には到底及びませんが、あなた様の口に合ったのならとても嬉しいです」
お茶をそれぞれの前に置いて、対面の椅子に腰を掛けたグランツ卿が柔らかい表情でこちらを見る。――それが何だか、気恥ずかしくなる。
「そうだ。伯父様から聞いたのだけど、あの通信珠は紙の様な物質も相手に転送する事が出来るみたいなの」
「……紙も、ですか?」
「ええ。それで、手紙を書いたら届けてくれるのですって。私は父様宛に書くわ。グランツ卿もどう? 急な辺境への任務でご家族が心配されているのではなくて? 便箋なら私が持っているから差し上げるわ」
「いいえ。必要ありません」
短い返事に反応する。
「本当に? 気にする事はないのよ? その……守秘義務や隠したい事があるのなら出来るだけ配慮するわ」
「いいえ、そうではなく、本当に必要ありません」
「……王都にいない、とか?」
「もうこの世に、誰一人としていないからです」
グランツ卿の言葉に、しまったと目を伏せた。聞いてはいけない事に踏み込んでしまった。昨日から失言ばかりだ。
「ごめんなさい。嫌なことを聞いてしまったわ」
「お気になさらず。事実をそのまま伝えただけです」
淡々と、グランツ卿はそう答える。
……いや、大丈夫な訳ないだろう。私も母を亡くして辛かったのだから、グランツ卿はもっと辛かったはずだ。話題を変えなければ。……でも、少しだけ聞いてもいいだろうか。
「聞いてもいいかしら?」
「どうぞ」
パンを千切る手が、止まる。
「……恋人は?」
「いません」
「……独身、ってこと?」
「そうです。何か不都合がありますか?」
「いいえ! ただ、急な辺境行きでお相手がいたらご迷惑をお掛けしていると思ったの」
「ご心配なく。そんな相手はいません」
そう言って、グランツ卿は口にパンを運ぶ。ほんの少しほっとしてしまった自分に、いやいや、駄目だからと気を引き締める。
……でも、少々気になって椅子を前に引いた。
「でも、グランツ卿は近衛騎士団の副団長でしょう? お近付きになりたい令嬢はいるのではなくて?」
「いません。俺は平民出身です。見向きもされません」
「……副団長まで登り詰めたのなら、騎士爵や男爵はその内授爵出来るのではなくて?」
「将来は、と聞いていますが、いつになるかは分かりません。俺には後ろ盾がありませんから」
「推薦人がいない、と言うこと?」
こくり、とグランツ卿は首を縦に振る。確かに、庶民の身分から授爵を受ける場合は、貴族の推薦が必要となる。手っ取り早いのは、貴族の娘を嫁に貰うか、婿入りだ。もしくは貴族から推薦状を一筆書いてもらうかの、どちらかだろう。
貴族やその子女と交流が取れる場所は、大抵決まっている。
「夜会には参加しないの?」
「階級が上がったので、招待を受ける事が増えて参加しました」
「どうだった?」
「何が、ですか?」
「上級の貴族と話をする機会や、令嬢からお声掛けがなかった?」
「あるにはありましたが、俺は平民で、踊れもしないから見向きもされません」
きっぱりと言う彼に、目が点になった。
「踊れない?」
「はい、そうです」
「グランツ卿は養成所出身よね?」
「はい」
「科目には社交会のダンスはなかったの?」
「ありません。近衛騎士団を目指す課程に入ると、大抵が貴族の子息ですから、家で習っているもの、と見なされます。今は見直されて、平民出身者は別枠でダンスの科目を選択出来ると聞きました」
「そう。庶民にも門戸が開かれたのが数年前だから、グランツ卿はまだ対応がされていなかったのね」
「はい。養成所に入った頃は周りの目も厳しかったです。食べ終わりました?」
「ええ、ご馳走様。美味しかったわ」
食べ終わった皿を、グランツ卿が私の分まで持って立ち上がる。なるほどね、と思いながら、お茶の入ったカップに手をつける。
「推薦文なら、父様や伯父様にお願いしましょうか?」
「いいえ、必要ありません。すぐに上を目指す予定はないのと、やるなら実力で手に入れたいです」
「……なるほど」
そこまで言うなら、何も言えない。食後の薬も白湯でそれぞれ飲み下しながら考えていると、ふと、良い事を思い付いた。残りの薬を一気に飲み干すと、喉に貼り付いて思わず咳き込む。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫。ちょっと飲むのを失敗しただけ。グランツ卿、私良い事を思いついたわ」
「何ですか?」
カップを流しに持って行くと、洗い物をしているグランツ卿に両手を差し出す。怪訝な顔をする彼にさらに差し出すと、手を洗って拭いてから、大きな手がそっと重ねられた。
……やはり、私の手よりも大きい。剣だこのあるしっかりとした手に胸が高鳴りながらも微笑んで彼を見上げると、彼は戸惑ってこちらを見ていた。
勇気を振り絞って、息を吸って、口を開く。
「私と踊らない?」




