第92話 広がる選択
北方同盟・前線都市ヴァルグリム。
静かだった。
さっきまでの歪みが嘘のように。
空はまだ完全には戻っていない。
だが――
崩壊は止まっている。
アルカが呟く。
「……収束してる」
観測器の数値は安定していた。
カルディアが言う。
「局所的な揺らぎはありますが」
一拍。
「致命的な崩壊は消失しました」
ミヒャエルが息を吐く。
「持ちこたえたな」
ラグスが笑う。
「っていうか勝っただろ、これ」
沈黙。
*
アルトは答えない。
ただ空を見ている。
(……まだ終わっていない)
感覚で分かる。
これは“抑えた”だけだ。
(広がる)
*
その時。
遠くの都市から通信が入る。
アルカが反応する。
「……別地域です!」
画面が展開される。
別の都市。
同じような現象。
だが――
違う。
「……自発的に支え合ってる」
カルディアが目を細める。
「伝播しています」
ミヒャエルが言う。
「定義が広がっているのか」
アルトは小さく頷いた。
「ああ」
*
別の都市でも、
人が人を支えている。
崩壊しかけた者に手を伸ばし、
呼びかけ、
戻す。
アルカが震える。
「……誰も教えてないのに」
カルディアが言う。
「“理解された”のです」
ラグスが笑う。
「いいじゃねぇか」
*
だがその瞬間。
アルカの表情が変わる。
「……待って」
ミヒャエルが問う。
「どうした」
アルカが震える声で言う。
「全部じゃない」
沈黙。
*
画面が切り替わる。
別の地域。
そこでは――
支え合いが成立していない。
人が逃げている。
崩壊を恐れて距離を取る。
結果――
一人が、消える。
アルカが目を逸らす。
「……」
カルディアが静かに言う。
「選択されていない」
ミヒャエルが低く言う。
「……同じ条件じゃないのか」
アルトは答える。
「違う」
沈黙。
*
「定義は与えた」
一拍。
「だが」
「選ぶかどうかは人間だ」
空気が重くなる。
*
ラグスが言う。
「つまり」
「助かるやつと助からねぇやつが出るってことか」
アルトは否定しない。
「そうだ」
アルカが震える。
「そんな……」
カルディアが言う。
「当然です」
一拍。
「強制ではないのですから」
ミヒャエルが呟く。
「自由の代償か」
*
アルトは空を見る。
歪みは、まだ残っている。
だが今は分かる。
これは“外からの問題”ではない。
(内側だ)
*
その時。
空間がわずかに揺れる。
ラグスが反応する。
「……来るか?」
だが現れたのは――
カイネスではなかった。
*
一人の少女。
年は十代後半。
普通の服。
だが目だけが違う。
深い。
アルカが息を呑む。
「……深度」
カルディアが言う。
「異常に高い」
ミヒャエルが低く言う。
「新型か」
ラグスが笑う。
「面倒なの来たな」
*
少女はアルトを見た。
まっすぐに。
「……あなたが」
小さな声。
「変えたの?」
沈黙。
アルトは答える。
「そうだ」
*
少女は一歩、近づく。
「……じゃあ」
一拍。
「どうして」
沈黙。
「助からない人がいるの?」
空気が止まる。
*
アルカが言葉を失う。
ミヒャエルが目を細める。
カルディアが静かに見ている。
ラグスが黙る。
*
アルトは答える。
「選ばないからだ」
少女は首を振る。
「違う」
一歩前に出る。
「怖いからだ」
沈黙。
*
アルトは黙る。
少女は続ける。
「誰も最初からできるわけじゃない」
一拍。
「教えないと」
空気が変わる。
*
カルディアが呟く。
「……教育」
ミヒャエルが言う。
「なるほどな」
ラグスが笑う。
「そういうことか」
アルカが顔を上げる。
「……広げるだけじゃ足りない」
*
少女は言う。
「みんな」
一拍。
「やり方を知らない」
沈黙。
*
アルトは理解する。
(……そうか)
定義は与えた。
だが“使い方”は与えていない。
*
アルトは言った。
「名前は」
少女は答える。
「リシア」
アルトは頷く。
「リシア」
一拍。
「協力しろ」
少女は迷わない。
「うん」
*
ラグスが笑う。
「仲間入りか」
アルカが嬉しそうに言う。
「……来てくれてよかった」
カルディアが静かに言う。
「必要な要素です」
ミヒャエルが言う。
「戦い方が変わるな」
*
アルトは空を見上げる。
問題はまだ終わっていない。
だが――
方向は見えた。
「広げる」
一拍。
「教える」
*
ドクン。
鼓動が響く。
今度は――
人の意思として。
物語はここから、
「維持を文化にする段階」に入る。
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