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第29話 助けたいのに手が届かない

 あれから数日が経った。

 凛を取り巻く状況は、少しずつ悪くなっている。


 以前は仲良く話していた女子たちも、今では凛に近づこうとしない。

 休み時間になれば、みんなそれぞれ楽しそうに話している。


 その中で、凛はいつも一人だ。


(……露骨すぎなんだよ)


 俺は頬杖をつきながら、凛の方に目を向ける。

 彼女は自分の席でスマホを眺めていた。


 誰かと連絡を取っているのか、それともただ画面を見ているだけなのか。

 その表情からは何も読み取れない。


 ただ、以前のような凛はもうどこにもいない……。


「あーくん、どうかした?」


 茉莉が俺の頭に顔を乗せながら問いかけてきた。

 真っ白な髪が顔にかかり、少しくすぐったい。

 俺の視線を追ったのか、茉莉はすぐに凛の方へと目を向けた。


「いや……なんでもない」

「ふーん?」


 茉莉は何か言いたそうにしていたが、結局それ以上は聞いてこない。

 俺も何も言えずにいた。


 ――凛を助けたい。


 その気持ちは変わっていない。

 だが、凛がそれを望んでいないならどうすればいいんだ?

 無理に近づけば、余計に苦しめるかもしれない。

 だからといって、このまま放っておくのは絶対にまずい。


 ……難しい。

 どうすりゃいいんだ。




 ◇

 翌日の昼休み。

 4時間目が体育だった俺は、体操服のまま弁当を取りに教室へと戻っていた。


 早く着替えて多目的ホールに向かおう。

 そう思いながら歩いていた途中で、ふと廊下の端にある下駄箱が目に入る。

 そこに見覚えのある後ろ姿があった。


(……凛?)


 下駄箱の前にポツンと立ち尽くし、自分の靴箱をじっと見つめている。

 その細い肩はかすかに震えていて、まるで居場所を探して途方に暮れているようだった。

 気になって近づくと、凛の手元にあるものが目に入った。


 ――校内用のスリッパだ。


 その側面には、黒のペンで乱雑な文字が書き殴られている。


『最低』

『裏切り者』


 思わず、ゴクリと息を呑んだ。


(……うわ、なんだあれ。ガチのいじめじゃん)


 凛はスリッパを両手で包むように持ち、そこに書かれた文字をじっと見つめている。

 悔しがるでも泣くでもなく、その表情は驚くほど静かだ。


 ……まるで、最初からこうなることを覚悟していたみたいに。


「…………ふぅ」


 凛は小さく息を吐くと、汚されたスリッパを持ったまま立ち上がった。

 そして、何事もなかったかのような顔で静かに歩き出す。

 その背中を見ていると、胸の奥がざわついた。


「……凛、ちょっと」


 気がついた時には焦ったような声が漏れていた。

 その声を聞き、歩き去ろうとしていた彼女の足がピタッと止まる。


 静かな廊下に、息がつまりそうな重い沈黙が落ちた。


「それ……誰がやったんだよ」

「……気にしなくていいから」


 凛はそう言葉を返す。

 しかしその声には、いつものような張りがない。


「……俺に何かできることはないの?」

「……もういいってば」


 凛は俯きながらぼそっと呟く。


「これくらい、別に……」


 そう言って、彼女はスリッパをぎゅっと抱え直す。

 俺はその姿を見て、何も言えなくなってしまった。


 ……これくらいって。

 自分の持ち物に落書きされて、平気なわけない。


 俺はもう一度声をかける。


「でも――」

「――本当に大丈夫だから」


 しかし凛はそれだけ言うと、今度こそ背中を向けて歩き出す。


 俺は追いかけなかった。

 いや、追いかけられなかったと言った方が正しい。

 凛がこれ以上俺と話したくないことくらい、分かっていたから。


(……っ)


 俺はぎゅっと拳を握りしめる。

 こんなの見てられねえよ。


 ……なんなんだよ、これは。





 ◇


 放課後。

 教室に戻ると、神宮寺が凛の席のすぐそばに立っていた。


「凛、大丈夫?」


 神宮寺は心底心配そうな顔で、彼女を見つめている。

 その声はどこまでも優しく、表情にも気遣いがにじんでいた。


「……あんなにやることないのにな」

「……うん」


 凛は机の中を片付けながら、そっけない態度で短く返す。


「まあさ、あんま無理すんなよ」


 神宮寺は困ったように笑った。


「俺でよければ、いつでも話くらい聞くからさ」


 その言葉に、周囲の女子たちの視線が凛に刺さる。


『神宮寺くん、あんなことされたのになんで凛ちゃんのこと……』

『少しくらい拓海くんの気持ちを考えてあげればいいのに』


 そんな声が聞こえてくる。


 ……反吐が出そうだ。


 俺は神宮寺の顔をじっと見つめた。

 あいつは凛に優しく接している。


 少なくとも、周りのやつらにはそう見えるように、完璧に振る舞っていた。

 でも、俺の胸の中には拭いきれない妙な違和感が残る。


 ……あくまで被害者として凛を気遣うあの感じ。


 神宮寺は俺の視線に気づいたのか、こちらを向いた。

 そして、いつもの爽やかな笑顔を浮かべる。


「お、左条じゃん。どうした?」

「……いや、別に」


 俺は気まずそうに視線を逸らした。

 今ここで問い詰めたところで、何の解決にもならない。


(……今は下手な真似をしない方がいいよな)


「じゃあ、また明日な」


 神宮寺はそう言って、凛にひらひらと軽く手を振る。

 だが、凛は何も答えなかった。


 神宮寺の姿が教室から消えると、凛はようやく小さく息を吐き出す。

 その横顔は、見ていられないほどひどく疲れているように見えた。




 ◇


 その日の帰り道。


「あーくん?」


 隣を歩く茉莉が、俺の顔を覗き込んできた。


「やっぱり夏野さんのこと気になる?」

「……そう見える?」

「うん。すっごく分かりやすいよ?」


 茉莉は少しだけ頬をふくらませる。

 その可愛らしい仕草に苦笑しつつ、俺は言葉を続けた。


「なんかさ……クラスの雰囲気おかしいよな?」

「うーん、確かに……」


 茉莉はどこか遠くを見るような目でつぶやいた。

 その横顔には、複雑な色が浮かんでいる。


 俺は少し戸惑いながら、茉莉に問いかけた。


「茉莉はなんか知ってるんだよね?」

「…………」


 茉莉はしばらく黙り込んでいたが、やがて俺の手を握りしめながら口を開いた。

 その表情は、不安で揺れている。


「あーくんはさ……夏野さんのことは、もう好きじゃないんだよね?」


(……え? なんで今それを?)


「うーん……そうだな。恋愛としての好きとは違うかも」

「……ほんとに?」

「うん、ほんとに」


 茉莉はまだ不安そうな目で、こちらの顔をじっと覗き込んでくる。

 『じゃあいいけど』と前置きしてから、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「……夏野さんの件、神宮寺拓海が裏で糸を引いてるって言ったら信じる? 夏野さんの誕生日のことも含めて」


 ……そんなことだとは思っていたけど、茉莉は何を知ってるんだ?

※読んでいただきありがとうございます!

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