第24話 ストーカーって……嘘だったんだよね?
「はあ……夏休みも、もう終わりか~」
ジリジリとセミの鳴き声が遠くで響くお昼過ぎ。
俺はリビングのソファに深く腰を掛け、天井を仰いでいた。
キッチンからは茉莉の作る料理のおいしそうな匂いが漂ってくる。
――あさってから学校が始まる。
正直、これと言って変わったことはなかった。
したことといえば――
「ご飯できたよ♪ あーくんも食べるよね?」
「食べます!!」
こんな風に毎日茉莉と一緒にご飯を食べて、テレビを見ながらたわいのないおしゃべりをして、たまに伊藤さんや茜と遊んで、無自覚なのかよく分からない茉莉の誘惑に心臓をバクバクさせて……。
……思い返せば、ほとんど茉莉と過ごした記憶しかない。
まあでも、俺は恵まれていると思う。
クソ可愛い天使が作ったクソおいしい手料理を毎日食べられるのだから。
(……もちろん茜が作った料理もめちゃくちゃおいしいけど!)
脳内で妹への謎の感謝を念じながら、目の前のおかずに箸を伸ばす。
しかしその時。
「あーくん?」
「うん?」
「一言足りない♪」
ん? ……あ! そうだった!
お腹空きすぎて忘れてた……!
俺は慌てて箸を置き、正面に座る茉莉の右手を両手でそっと包み込んだ。
そして、真剣な眼差しで口を開く。
「茉莉さまの世界一おいしい手料理をいただかせてください!」
「声が小さい♪」
「……茉莉さまの世界一おいしい手料理をいただかせてください!!」
「もっと気持ちを込めて♪」
「……っ! 茉莉さま! この世で一番おいしい手料理をいただかせてくださいィ!!!」
その言葉を聞いた瞬間……茉莉の頬がパーッと華やかになり、これ以上ないほどのニッコリとした満面の笑みが咲いた。
「よし♪ 召し上がれ♪」
「はい! いただきますっ!」
この通りである。
俺はこの夏休みの間――食事の時限定で、茉莉の従順なペットとなるよう完全に調教されてしまっていたのだ。
……この女、人を躾けるセンスがずば抜けている。
もはや天賦の才だ。
茜と伊藤さんには言葉を失うレベルでドン引きされた。
あの『軽蔑』と『困惑』と『哀れみ』を混ぜ合わせたような眼差し……俺は一生忘れることはないだろう。
くそ……でも、この味の前には尊厳なんて無力なんだ。
「おいしい?」
「……はい! 涙が出るくらい!」
「そう♪ よかった♪」
茉莉は自分の箸を置いたまま、僕がバクバクと勢いよく料理を平らげていく様子を満足そうに眺めていた。
「ごちそうさまでした!」
自分の食器に茉莉の分も重ね、キッチンの流し台へと向かう。
水仕事をしていると、机の方から茉莉が少しトーンを落とした声をかけてきた。
「わたし明日帰るけど、大丈夫?」
「え? 大丈夫だけど……」
「茜ちゃん受験生だから、ね?」
……それがどうしたんだ。
「まさかとは思うけど……茜ちゃんにご飯作らせたりする気?」
あ、そうだった!
まあなんとかなるだろ。
俺は少し引きつった声で答えた。
「だ、大丈夫だよ……」
「ほんとかな~」
茉莉が両頬をぷくっと膨らませ、不満げにこちらを見つめてくる。
(全然信用されてないな……)
「ダメそうならまたここに居座るからね~っ」
茉莉はお仕置きのような感じでそう言ってくるが……。
正直に言うと、いつまでもここにいてほしい。
あなたなら大歓迎なんですよ……!
そんな本音を心の中で叫ぶものの、照れくささが勝って口には出せない。
俺は『分かった分かった』とだけ生返事を返し、洗い物を続けた。
(……そこはほら、いつもみたいに強引に……さ!)
俺の中で茉莉への期待が膨らんでいく。
しかし茉莉は、しばらく納得のいかない様子で俺を見つめていたものの、やがて仕方ないとでも言いたげに『ふぅ』と小さく息を吐くと、ソファに座ってしまう。
(うおい! なんで素直に引き下がるんだよ! もっと粘ってくれや!)
期待をあっさり裏切られたことと、素直な一言すら言えない自分の意気地なさにがっくりと肩を落とす。
チラリと視線を向けると、茉莉はどこか不機嫌そうな顔でテレビの画面を眺めていた。
その横顔を見ていると、『明後日から、この家に茉莉がいなくなるのか……』という実感がじわじわと押し寄せてくる。
はあ、どうしよう。
……俺、本当に茉莉がいなきゃ生きていけない身体にされた気がする。
茉莉がいない日々を想像しながら、俺は力の抜けた顔で洗い物を続けるのであった。
◇
「ふぁ~あ……もう朝? ねっむ」
カーテンの向こうからかすかに響く雨音に、もう少しだけこの微睡みに浸っていたい気持ちにさせられる。
だが、重い瞼を擦りながらなんとかベッドを抜け出し、洗面所へ向かった。
……ついに夏休みが終わり、今日から学校が始まる。
だるい身体を引きずるように脱衣所のドアを開けた、その時だった。
「ぬわぁっ!」
脱衣所の中にいたのは、タオルで濡れた髪を拭いていた茉莉だった。
「うお、びっくりしたぁ!」
「……おはよあーくん、どうした?」
首を傾げて不思議そうにこちらを見てくる。
不意打ちのシチュエーションに、俺はぽかんと口を開けたまま尋ねた。
「な、なにしてるの?」
「雨に濡れちゃって……シャワー借りちゃった」
「あれ、今日からいないんじゃ……」
すると茉莉は、拍子抜けしたように目を丸くして言った。
「朝は一緒でしょ?」
(あ、そっか。……なら別に寂しがる必要なかったな)
勝手に『今生の別れ』みたいな絶望感を味わっていた自分が、無性に恥ずかしくなってくる。
安堵と猛烈な恥ずかしさがごちゃ混ぜになり、俺は『そっか』kとだけ低く呟いて、逃げるように脱衣所をあとにした。
その後は三人で賑やかに朝食を済ませ、茜と茉莉を連れて家を出た。
途中で茜と手を振り合い、いつもの通学路へ。
ほどなくして見慣れた制服姿の伊藤さんと合流すると、俺たちは学校へと向かった。
◇
無事に学校へ着いたのだが……。
なんかめっちゃ視線を感じる。
すれ違う女子が露骨に立ち止まり、チラチラとこちらを盗み見てはコソコソと耳打ちし合っているではないか。
男子に至っては、心なしか視線が鋭く重い。
(……待てよ。また俺、知らないうちに変な噂とか流されて新たな称号をゲットしたのか……?)
……おいおい。このままだと本当にコンプリートしちまうぞ。
教室の扉を開けた瞬間、その違和感は確信に変わった。
蜂の巣をつついたようだった教室の喧騒が、ピタリと止む。
全員の視線が俺たちへと集中したのだ。
隣の茉莉は全く動じておらず、伊藤さんは護衛モードで周囲を警戒するようにスッと背筋を伸ばしている。
……はは、なんだか無敵の気分だぜ。
このパーティならどんな敵が来ても戦える気がしてくる。
と言いたいところだが、俺は逃げるように自分の席へと滑り込んだ。
息を殺してカバンを机の横にかけている間も、あちこちからひそひそ話が漏れ聞こえてくる。
動揺が広がる教室の中、数人の女子が意を決したように立ち上がり、俺の席へと歩み寄ってきた。
(……え? なんだなんだ)
とっさに背筋が伸びる。
何か嫌味でも言いに来たのだろうか。
俺の警戒を察したのか、近くにいた茉莉がすっと片手を差し出すように庇い、隣の伊藤さんもノートをめくる手を止めて鋭い視線を女子たちに向けた。
空間が一気にピリッと張り詰める。
身構える俺たちの前で立ち止まった女子の一人が、ぎゅっと拳を握りしめ――
深々と頭を下げた。
「ごめんなさい……っ!」
「……は?」
何か文句を言われる覚悟をしていた分、拍子抜けな声が出てしまう。
茉莉も伊藤さんも、毒気を抜かれたように目を丸くしていた。
ぽかんと呆気にとられる俺を前に――彼女は顔を上げると申し訳なさそうに、けれどどこか怒りの籠もった声で言葉を続けた。
「ストーカーって……嘘だったんだよね?」
……え?




