第20話 闇王子と病み幼馴染(伊藤葉月&夏野凛視点)
(伊藤葉月 視点)
ギラついた太陽が照りつける、8月の初め。
アスファルトから立ちのぼる熱気で、住宅街の景色がゆらゆらと歪んで見えた。
どこからか聞こえるセミの声だけが、やけに耳に刺さる。
今日は初めて左条くんの家に行く日だ。
「……うぅ、緊張してきた」
左条くん、水無瀬さんと変なことしてないよね……?
脳裏に浮かぶのは、夏休みの前日のこと。
別れ際の公園で、私は水無瀬さんに『不純なことはしないように』と釘を刺した。
だけど、彼女は余裕たっぷりの挑発的な笑みを浮かべて、こう言い放ったのだ。
『あーくんとは昔チューしたことあるよ? ほっぺだけど♪』
豆鉄砲を食らったような顔で頭が真っ白になった私に、ニヤリと悪戯っぽく笑いながら耳元で囁かれたあの言葉。
『もう一回したら……わたしのこと、思い出してくれるかな?』
あまりの衝撃に頭がパンクして、私は左条くんに意味不明な捨て台詞を残して逃げ帰ってしまった……。
(……水無瀬さんなら左条くんに迫っていてもおかしくない)
ああ……考えれば考えるほど不安になってくる。
そもそも、高校一年生の男女が一つ屋根の下で暮らしていること自体、冷静に考えて異常事態だ。
「はぁ。私も、もっと左条くんと仲良くなりたいなぁ……」
額の汗を小さく拭いながら、誰にも聞こえないほどの小声で夢見るように呟いた。
◇
「……ここ、だよね」
目の前に現れたのは、綺麗で落ち着いた雰囲気の二階建て一軒家。
茜ちゃんから送られてきた位置情報をスマホで再確認する。
(……うん、合ってる。ここだ)
ごくりと唾を飲み込み、意を決してインターホンを押した。
――ピンポーン。
『はーい!』
直後、インターホンから茜ちゃんの元気な声が響き、家の中からドタドタと勢いよく駆け寄ってくる足音が聞こえた。
「葉月ちゃんー! いらっしゃい!」
ガチャリと玄関ドアが開き、茜ちゃんが満面の笑みで出迎えてくれる。
「お邪魔します……! 茜ちゃん、久しぶりだね」
「久しぶりー! てかてか、葉月ちゃん……っ」
茜ちゃんがニヤニヤしながら『ちょっと耳を貸して』と言わんばかりにクイッと手招きをする。
「兄さんす~っごく変わったけど、びっくりして倒れないでね?」
「……左条くんが? う、うん。分かった」
左条くんが変わった……?
どういうことなんだろう。
首をかしげつつ茜ちゃんの後をついて行き、リビングのドアを開けた――その瞬間。
「あ、伊藤さんお久しぶり」
「伊藤さん、こんにちは♪」
そこにいたのは、水無瀬さんと……。
――絵本の世界からそのまま飛び出してきたかのような、王子様すぎる王子様だった。
(だ、だだだ、だれ……っ!)
センターで分けられた黒髪にはゆるいパーマがかかり、洗練された立体感のあるシルエットを作っている。
整いすぎた顔立ちで優しく微笑んでいるのに、どこかミステリアスで冷たい『闇』のオーラを纏った美男子……。
「あれ……伊藤さん?」
呆然と立ち尽くす私に、聞き覚えのある低めの声が降ってきた。
彼が不思議そうに小首をかしげ、じっと私を見つめてくる。
(こ、声は……声は、左条くんだ……!?)
開いた口が塞がらない、とはまさにこのこと。
目の前に立つ男のビジュアルが、私の知っている『左条くん』と一向に結びつかない。
あまりの情報量の多さに、私の脳は完全にフリーズしていた。
「あ、ああ! 左条くん! ……で合ってるんだよね?」
「うん、俺だけど……そんなに変わった?」
か、変わったってレベルじゃないですよ左条くん……!
ちょっと心の準備が出来ておりませんので、そんなに見つめないで頂けますかぁ!?
あわあわとパニックを起こす私を見て、茜ちゃんが腹を抱えて爆笑した。
「あははは! やっぱり兄さんの変わり方おかしいって! 葉月ちゃんも茜の時と同じ顔になってるじゃん!」
すると、左条くんが少し困ったように首をかしげる。
「そうか? 前の方が良かったかな……」
その言葉を聞いた瞬間――。
『今の方ががいいよ……!』
『今がいいって絶対!!!』
『今の方がいい♪』
私、茜ちゃん、そして水無瀬さんの声が見事にハモった。
左条くんも『そっか……』と圧倒されたように納得している。
だけど、それにしても……。
(これ……夏休みが明けて学校に行ったら絶対すごいことになるんじゃ……)
クラスの女子たちが群がって大騒ぎになる未来が、目に見えるように浮かんでくる。
(……よし、深く考えるのはやめよう。なるようになる……!)
私はそっと、脳のスイッチを切った。
◇
その後、私たちはリビングのテーブルにお菓子を広げ、たわいもない話に花を咲かせた。
相変わらず左条くんの整いすぎた顔面と謎の闇王子オーラを見るたびに心臓が弾け飛びそうになるけれど、お菓子を口に放り込むことで必死に動揺を誤魔化す。
ジュースを飲んでいた茜ちゃんが『あ、そういえば!』と手をぽんと叩いた。
「来週、近くで花火大会があるんだけどさ? みんなで行かない?」
「あ、それわたしも行きたいな♪」
水無瀬さんが一口チョコの袋を開けながら、楽しそうに目を輝かせる。
茜ちゃんはバッと私の方へ向き直り、期待に満ちた視線を向けてきた。
「葉月ちゃんも行こ?」
「う、うん! もちろん行く……!」
即答すると、茜ちゃんは『やったー!』と嬉しそうに頬を緩ませた。
そしてチラッと、ソファで本を読む左条くんの方へ視線をやると、いたずらっぽくニヤリと笑う。
「兄さんは行くの確定だから、わざわざ聞かなくてもいっか」
「はいはい行きまーっす」
妹からの雑すぎる扱いに、左条くんは苦笑しながら軽い口調で応えていた。
(夏祭りかぁ。楽しみだな……)
思わずゆるんでしまいそうになる口元を隠すように、私は冷たいジュースをごくりと飲み干した。
◇(夏野凛視点)
部屋のカーテンは閉め切られ、昼か夜かもわからない薄暗がりの中。
私はただ、ベッドの上で膝を抱えて丸まっていた。
あの日……蒼にはっきり拒絶されてから、私の時間は止まったままだ。
『――許すとか許さないとか、そういう次元の話じゃないんだよ』
脳内で何度も繰り返される蒼の冷たい声。
……全部、自分が悪いのも分かっている。
だけど――
『本当に終わってしまった』
――その容赦ない現実を受け入れるには、まだ時間が足りない。
こんな風に落ち込んでいる時……いつだって蒼が優しく寄り添って、私を慰めてくれた。
……でも、彼はもう隣にはいない。
どうやって立ち直ればいいんだろう。
蒼のいない世界で、どうやって生きていけばいいんだろう。
胸にぽっかりと大きな穴が開いたような感覚。
今までそこを埋めていたモノが無くなったのに、なぜか心も身体も鉛のように重い。
――ブッブー。
静寂を切って、スマホのバイブレーションが短く鳴った。
億劫な動作で画面を開く。
『今から少しだけ会える?』
画面に表示されていたのは――拓海くんからのメッセージだった。
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