第19話 幼馴染との決着
「私が……私が、あんなごどじだがら……っ! 蒼を、傷つけたから……っ、だから……っ!」
部屋の入り口で膝から崩れ落ち、子どものように泣きじゃくる凛。
(しまった……! つい気持ちが昂って……)
茉莉とイケないことをしていた俺はハッと我に返り、慌てて凛に駆け寄る。
「凛……? 大丈夫?」
「ぐふっ……わだしが、ぜんぶわるいの……っ」
凛はぐしゃぐしゃに顔を濡らし、過呼吸気味に胸を上下させている。
(……いやいや、なんでこんなにボロボロ泣いてんだ……?)
戸惑いながら視線を落とし、ふと気づく。
――あの吐き気も、頭の奥を締めつける不快感も来ない。
凛を目の前にしても、また発作が起きなかった。
(トラウマ、克服できたのか……?)
よく分からないが、あの強烈な不快感に襲われずに済むのは、正直かなり助かる。
(……だったら今日この場で、ケジメをつけるべきか)
「……どうして優しくするの? 夏野さんは、あーくんをあんなに傷つけたのに」
背後から、ぽつりと声が落ちた。
振り向くと、ベッドの縁に座った茉莉がこちらを見ている。
「こんな泣いてんだから仕方ないだろ。……それに、一応幼馴染だし」
すると茉莉がわずかに息を詰め、取り繕うようにして矢継ぎ早に言葉を捲し立てる。
「……なにそれ。そんなに夏野さんが良いなら付き合えばいいじゃん。夏野さんもあーくんのこと好きなんだから」
勢い任せに放たれた言葉。
それを吐き出した瞬間、茉莉の瞳からすっと温度が抜け落ちた。
見開かれたその瞳が不安と焦りで大きく揺れている。
(……凛も俺のことが好き? どゆこと?)
唐突に投げ込まれた爆弾に思考が追いつかない。
俺は思わず凛へ向き直った。
「え、まじで……?」
俺の問いに、凛は真っ赤に腫らした目を背けながら……こくりと小さく頷いた。
……おいおい、なんだよそれ。
あの日、これ以上ないほど明確に拒絶してましたやん……。
罪悪感から俺に謝りたかっただけなんじゃなかったのか。
(……意味が分からない)
思考の渦に呑み込まれそうになっていると、ベッドから立ち上がった茉莉がどこか切なげな声を吐き捨てる。
「じゃあ、わたし行くね。……お幸せに」
待て待て待て。なぜそうなる。
どいつもこいつも……メンヘラかよ!
「茉莉! 待てって!」
声をかけるも、茉莉は振り返ることなく出口へと足を進める。
俺は咄嗟にその細い手首をぎゅっと掴んだ。
「待て! ……ここではっきりしとかなきゃだろ」
強引に引き止められた茉莉の足がピタリと止まる。
ゆっくりと振り返った茉莉の目は、涙でいっぱいに潤んでいた。
今にも零れ落ちそうなほどに。
(……いや、みんな泣きすぎやろ)
心の中でツッコミながら、俺はこほんと咳払いをして切り出した。
「まず、さっきみたいなことはもう辞めよう。俺もどうかしてたわ……ごめん」
「じゃあやっぱり、わたしのこと嫌いなんだ……」
俺の謝罪を聞いた茉莉の瞳が、希望と不安で再び大きく揺れる。
「そうじゃなくて! 普通におかしいだろ」
「……ごめん」
茉莉が肩を落とす。
(……茉莉のこんな姿、初めて見るわ)
胸の奥がちくりと痛んだが、今は先に片づけなければならないことがある。
俺は凛の方へと向き直った。
凛は赤く腫らした目を擦りながら、怯えるような視線でこちらの様子を伺っている。
俺は一呼吸おいて口を開いた。
「俺も、お前のことが好きだったよ」
その言葉を口にした瞬間、凛の目が大きく見開かれた。
期待の色が、その瞳にぱっと灯る。
期待に満ちかけたその表情に重ねるようにして、俺は容赦なく言葉を続ける。
「……でも俺の中ではあの日に全部終わってるんだ。今はこうして平気だけど……凛の顔を見るだけで変な発作が出るくらい、きつい出来事だったんだよ」
それを聞いた凛の顔がくしゃりと歪み、瞳にまた涙が溜まっていく。
「ごめん……でも……また前みたいに話したい……」
許しを乞うように、すがるような目で見つめてくる幼馴染。
だが――。
「悪いけど、それはできない」
その視線を正面から受け止め、俺は静かに首を横に振る。
一切の躊躇なく言い放った自分の声は、自分でも驚くほど冷たく無機質に響いていた。
「……なんで? 許してよ……なんでもするから……っ!」
凛が俯きながらそう言ってくる。
最後に俺は淡々とした口調で言い放った。
「俺にとっては……もう許すとか許さないとか、そういう次元の話じゃないんだよ」
◇
凛が帰った後の部屋は、驚くほど静かだった。
玄関のドアが閉まる音を聞いても、胸のつかえが取れたような清々しさはない。
ただ、長いこと握りしめていた何かを、やっと手放したような感覚だけが残っている。
(これでよかったんだよな……?)
リビングのソファに腰掛けると、隣に茉莉がちょこんと座る。
先程までの重苦しい空気はどこへやら、茉莉の機嫌はすっかり落ち着き、いまや一人でしんみりと反省モードに入っている。
「あーくんごめんね。あんなことして……夏野さんにも結構ひどいことしちゃった」
申し訳なさそうに上目遣いで呟く茉莉。
まあ俺がトイレに籠もっていたあの短い時間で、すでに凛をボロボロに泣かせていたらしいからな。
……恐ろしい女だよ、ほんとに。
「まあ、いいけどさ……」
俺は気を取り直し、ずっと気になっていたことを尋ねた。
「ていうか、あの『凄漢 EX』ってやつ、効き目やばすぎない? どこで見つけてきたんだよ」
「今日行ったスーパーで買ったよ?」
茉莉はこてん、と首を傾けた。
「エナドリコーナーで一番高くて凄そうだったから、何本か買ってきた♪」
凄そうだったからって……確かに『凄漢 EX』だもんな。
俺もそれを選ぶ自信ある。
……妙に納得してしまった自分が悔しい。
「そういえばさ、あーくん」
「なに?」
茉莉が、心底不思議そうに俺の顔を覗き込んできた。
「……なんで気持ち悪い見た目にしてるの? わざと?」
「ぶっ……!?」
直球すぎる言葉に思わず吹き出しかけた。
……た、たしかにー!
自分がキモイこと、すっかり忘れてました!
俺は冷や汗をかきながら、苦笑いで誤魔化す。
「あ、まあ色々あって……」
茉莉は少しだけ何かを考えるような素振りを見せた後、何かが閃いたようにぱぁっと表情を輝かせた。
「ねえ、あーくん。……明日、空いてる?」
「特に予定はないけど……」
「じゃあ、出かけよっか♪」
そう言って、茉莉は弾んだ声で言葉を続ける。
「昔のあーくんに戻してあげる♪」




