第17話 幼馴染 VS 元アイドル(パート2)
茉莉と凛が激しく睨み合い、玄関には重苦しい空気が漂っている。
茜は二人のギスギスとした冷え切った空気感にすっかり気圧され、何も言えずにその場で固まっていた。
……本来なら俺が茉莉をなだめるのがベストな立ち回りだろう。
しかし、
――いまの俺は、自分自身との孤独な戦いでそれどころではない。
そう。
あろうことか下半身が戦闘態勢に入ってしまい、まともに身動きが取れないのだ。
心の中で必死に『鎮まれ……!』と命じるが、ソレは主人の意思に反抗するようにドックン、ドックンと凶暴な脈動を強めて急速に肥大していく。
しかも脳裏にはさっき目撃した茉莉の着替えシーンがリフレインのように再生され、《《ヤツ》》はついにフル覚醒を果たした。
制御不能となったヤツは、『僕、いつでも行けます!』とでも言いたげにズボンの中で猛烈な存在感を主張してくる。
やむを得ない。
俺はポケットに手を突っ込み、少しでも誤魔化そうと前屈みになった。
――俺は、このような孤独の戦いを繰り広げている。
そんな俺の事情などつゆ知らず。
凛は悔しさに唇を噛み締め、喉の奥から絞り出すように声を漏らした。
「あんたは、蒼のなんなの……?」
いつもの茉莉ならここで意地悪な笑みを浮かべ、相手を翻弄するだろう。
だが、今の茉莉に一切の笑みはない。
彼女は氷のように凍てついた瞳で、まっすぐに言い放った。
「……なぜ、あなたに教えなければならないのですか」
「だって私は……っ」
凛は何かを言い返そうと唇を微かに震わせる。
しかし、ふと俺の方を見た瞬間、ガクッと目を伏せてしまった。
……え!?
なんだよ、なんで俺をチラ見した後にそんな悲痛な顔で目を逸らすんだ!?
(まさか《《アレ》》のことがバレたか!? ……まずいな)
「……っ、と、トイレェ!」
ついにバキバキの《《アレ》》がバレたと思った俺は、一刻も早くこの場から逃亡するため、前かがみの不自然な姿勢のまま、すり足でトイレへと向かう。
「蒼……!」
背後から凛の声が引き止めるように飛んできたが、振り返る余裕などない。
俺は驚異的な足捌きでその場から姿を消した。
◇ (夏野凛視点)
蒼が逃げるようにトイレへと駆け込んだ後、玄関には再び冷ややかな静寂が戻ってきた。
まただ……また蒼は、私と目が合った後に逃げ出した。
(そんなに私が嫌……? そんなに……この泥棒猫がいいの……?)
こみ上げる悔しさから、思わず目の前の浮世離れした女に鋭い視線を向ける。
すると、修羅場の真っ只中で立ち往生していた茜ちゃんが、気まずそうに『あの』と声を上げる。
「もう行かなきゃ……マリーまたね。凛ちゃんも」
申し訳なさそうにペコリと頭を下げ、逃げるように去っていく茜ちゃん。
そうして玄関に残されたのは、私と水無瀬さんの二人だけになった。
重苦しく張り詰めた、しばしの沈黙。
それを破るように水無瀬さんが不意に口を開いた。
「夏野さん」
「なに?」
何を言われるんだろう。
ドクン、と心臓が嫌な跳ね方をする。
「お外で、少し話しませんか」
私たちは近くの公園へと移動し、並んでベンチに腰掛けた。
身体をこちらに向けた水無瀬さんの涼やかな瞳が、まっすぐに私を射抜く。
「お願いがあります」
彼女は開口一番にそんなことを口にした。
「お願い……?」
なんだろう……。
とても真剣な表情の水無瀬さんに、私は息を呑む。
「これ以上、あーくんに近づかないでもらえますか?」
「……え?」
思考が数秒間停止し、私は思わず固まった。
しかし水無瀬さんはそんな私の動揺など気にする素振りも見せず、冷たく真剣な声のまま言葉を紡ぐ。
「学校であーくんの変な噂を流しているのは……あなたのお友達ですよね?」
その言葉を聞いた瞬間、背筋が凍りついたように血の気が引いた。
(でも私がやったわけじゃ……)
私はすがるような思いで水無瀬さんへと身を乗り出した。
「それは拓海くんが勝手に……っ!」
私の必死の訴えに、水無瀬さんは心底軽蔑するような冷たい視線を向けてくる。
「あなたがきっぱりと否定すれば、簡単に解決できたはずでは?」
「うっ……!」
何も言い返せなかった。
だけど、この女の前では絶対に自分の過ちを認めたくないという見栄が働いてしまう。
だって、それを認めてしまったら――
まるで『この泥棒猫の方が蒼にふさわしい』と証明してしまうみたいじゃない。
それだけは絶対に嫌だ。
蒼を他の女たちから遠ざけて、私自身もちゃんと努力して可愛くなって、学校でも人気者になって……。
それなのに、こんな……!
確かに、最近の私はどうかしていた。
周りの目に流されて、一番大切なものを見失っていた。
でもこうやって、また蒼に対する気持ちも思い出せた。
もう二度と同じ過ちは犯さないから……。
お願いだから、蒼を盗ろうとしないでよ……!
「ち……がう……」
掠れた声で、小さく呟く。
頬を伝ってこぼれ落ちる涙をぐっと手で乱暴に払い、震える声を必死に絞り出した。
「ちがう……ちがうから……っ!」
すると水無瀬さんは、冷ややかに言った。
「何が違うのですか? ……それに、聞きましたよ。夏野さんの誕生日のこと」
そのワードが出た瞬間、ドクンと心臓が激しく逆流し、胸の奥が大きく波打った。
胸を掻きむしりたいほどの激しい不快感と後悔が駆け巡る。
「もういいじゃん……やめてよ……っ!」
私は震える掠れ声でそう呟いた。
視界はすでに涙でぐちゃぐちゃに滲んでいる。
……本当は分かっている。
自分がどれほど取り返しのつかないことをしてしまったのかくらい。
けれど、それを認めたくない。受け入れたくない。
水無瀬さんは無言のまま、冷ややかな目で私を見据えている。
私は冷たい仮面を被った彼女に、すがるように懇願した。
「お願い……。私から蒼を奪わないで……っ!」
私の必死の泣き顔を見て、水無瀬さんは『やっぱりね』と小さく呟き、意地悪な笑みを浮かべた。
(……なによ、その笑い方は……)
「夏野さん。あの誕生日にあーくんが何をするつもりだったのか知っていますか?」
何って、いつもみたいに普通に遊んで……。
水無瀬さんは『じゃあ最後に教えますね』と言って言葉を続ける。
「あの日あーくんは、あなたに告白するつもりだったみたいですよ?」
その事実を突きつけられた瞬間、私の頭の中は真っ白になり思考がフリーズした。
(え、嘘……)
そんな力の抜けた様子の私を見た水無瀬さんは、いつもの完璧な笑みを浮かべ、とどめを刺すように言い放つ。
「あーくんの《《好きだった》》人が、あなたのような『おバカさん』でよかったです♪ それでは」
そう言い残すと、水無瀬さんはくるりと振り返り去っていく。
私はただ、遠ざかるその背中を立ち尽くして見つめることしかできなかった。
水無瀬さんが去った後、私は一人きりで公園のベンチにうなだれ、泥のように沈み込んでいた。
頭の中は、すっかり蒼のことで埋め尽くされている。
水無瀬さんから突きつけられた、蒼の気持ち。
それを聞いた時、もう言い逃れなどできないと認めるしかなかった。
私は自らの手で踏みにじってしまったんだ。
蒼の心を……。
そして自分の気持ちさえも、自らの手で台無しに……。
あの日、あんなことをしなければ――。
そんな言葉が頭の中で何度も、何度も繰り返される。
時間を巻き戻したい。
今すぐあの日に戻って、すべてをやり直したい。
……そんな絶望のどん底で、ふと一つの強い想いが頭に浮かび上がってきた。
(――今ならまだ間に合うのかな)
分からない。
もう手遅れかもしれない。
だけど……。
もし私が、私自身が変われるなら、蒼はもう一度こっちを向いてくれるかもしれない。
――とにかく、今すぐ蒼に会ってちゃんと謝りたい。
居ても立ってもいられなくなった私は、熱を帯びた足取りで再び蒼の家へと向かった。
◇
蒼の家に到着し、私は震える指でインターホンを押し込んだ。
――ピンポーン。
鳴らしたが、家の中からは何の返事もない。
(……あれ?)
おそるおそる玄関のドアノブに手をかけ、力を込めて引いてみると――
カチャリ、と軽い音を立ててすんなり開いてしまった。
(……鍵、開いてる……)
誰もいない玄関からそっと中の様子を窺っていると、
――ドンっ!
突然、二階の方から物音が聞こえた。
(……いまの、蒼の部屋から……?)
私は、おそるおそる二階へと足を向けた。
やがて、蒼の部屋のドアの前にたどり着く。
心臓がうるさいほど激しく鼓動する。
深呼吸をひとつ挟み、震える手でドアノブをガチャリと回して押し開けた。
――その瞬間、私の目に飛び込んできた光景に、思考は完全に停止する。
ベッドに仰向けで倒れ込んでいる蒼に、顔を真っ赤に紅潮させた水無瀬さんが馬乗りになるように覆いかぶさっていた。
「な……なにを、してるの……?」
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