第16話 幼馴染 VS 元アイドル
「マリーいらっしゃい! 兄さんもお帰りー!」
家に帰ると、茜が弾けた笑顔で出迎えてくれた。
いつもどこか冷めた表情だった茜だが、茉莉が現れてからは人が変わったように毎日全力ではしゃいでいる。
「茜ちゃん、おじゃまします♪」
茉莉は脱いだ靴をきれいに揃えて家に上がり、茜と一緒に茜の部屋へ向かう。
俺は袋を持って冷蔵庫へ直行し、買った食材を入れていった。
(……今のうちに風呂入っておくか)
食材を入れ終わった俺は先にシャワーを浴びようと思い、浴室へ向かう。
カチャリ、と音を立てて脱衣所のドアを開けた。
――その瞬間、俺の視界に飛び込んできた光景に、思考が止まる。
そこにいたのは、着替え中の茉莉だった。
夏服の制服シャツのボタンを外している途中で、下は……履いていない。
かろうじて長めのシャツの裾がふんわりと被さっているおかげで大事なところは見えていないものの、白く引き締まった太ももがバッチリ露出している。
「あ……」
俺は間抜けな声を漏らしたまま、口をぽかんと開けて立ち尽くす。
(え!茜の部屋にいたんじゃなかったのかよ!)
すると茉莉は一瞬だけ目を丸くし、首をちょこんと傾けて――
「一緒に入る?」
俺は彼女が何を言っているのか、理解するまでに少しの時間を要した。
……さも当たり前かのようなトーンで言われたからだ。
やがてその言葉の意味を理解した俺は、慌てて口を開く。
「ば、ばかっ! 入るわけないんだからねっ!」
しまった……!
動揺しすぎてつい、ツンデレヒロインのような口調で喋ってしまった。
茉莉は首をかしげたまま『ん?』という顔でこちらを見めている。
俺は一気に顔が熱くなるのを感じながら勢いよく脱衣所のドアを閉め、逃げるようにその場を離れた。
◇
「ふう……」
さばぁ、と湯舟からお湯が溢れ出る音とともに、俺は肩まで深く浸かった。
本来なら疲れをじんわりと癒してくれるはずだったのだが……。
「……ダメだ。全然リラックスできない」
お湯の温もりに身を任せようとすればするほど、俺の頭の中にはさっきの光景が浮かんでくる。
そう。
さっきの、茉莉の姿だ。
……なんでノックしてから入らないんだ!俺のバカ!
脳内で後悔の叫びをあげる。
――着替えの真っ最中だった茉莉。
不意に見られて固まった華奢なシルエット。
脱ぎかけの服の隙間から覗いた、白く透き通るような肌。
俺には刺激が強すぎた。
……てかなんだよあれ。スタイル良すぎんだろ。
時間にしてほんの数秒。
あの光景が脳裏に焼き付いて離れない。
両手で顔を覆い、お湯の中に顔半分まで潜り込む。
そこであることに気づく。
(あ、そういえば……)
このお湯は……茉莉が入った後の残り湯だ。
顔が火照ってきて、胸の奥で心臓がうるさいくらいにドクドクと脈打つ。
のぼせそうな熱気の中で、俺はただひたすら頭を抱えてお湯の波紋を見つめていた。
「どうしてしまったんだよ、俺」
◇
「ふぅ、のぼせるかと思った……」
バスタオルで髪を拭きながら、俺は脱衣所からリビングへと足を踏み入れた。
長湯しすぎたせいで、体はすっかり火照りきっている。
とりあえず水分補給でもしようとキッチンの方へ視線を向けると……
そこには、エプロンを身にまとった茉莉と茜の姿があった。
包丁でトントンと心地よい音を響かせる茉莉と、その隣で鍋の様子を窺っている茜。
……二人とも、着替えを終えて食事の準備をしている。
さっき脱衣所で目撃してしまったあの白くしなやかな肌の残像がフラッシュバックのように脳裏をよぎり、俺は思わず視線を泳がせた。
「あ、兄さんお風呂上がり?ご飯まだ待ってねー」
最初に俺の気配に気づいたのは茜だった。
くるりと振り向き、楽しそうに手を振ってくる。
「ああ……。ありがと」
俺は必死に平静を装って短い返事を出した。
……てか、喉乾いたわ。
冷たい水でも飲みたいところだが、今の流れでキッチンには絶妙に行きづらい。
気まずさと変な緊張感で喉の奥がカラカラに乾いていくのを感じていると、茉莉が包丁を置いて冷蔵庫を開け、何やら小瓶を取り出すとツカツカとこちらへ歩み寄ってきた。
「はい、これ♪ 長湯して疲れたでしょ?」
そう言って、茉莉は手のひらサイズの瓶の飲み物を手渡してきた。
なんだろうと思いラベルに目をやるが、マジックペンか何かで執拗に黒塗りにされていて商品名がまったく分からない。
「ん……?なにこれ」
俺が首をかしげて尋ねると、茉莉はとても爽やかな笑顔で答えた。
「エナドリ♪」
何か一瞬目が泳いでたような……。
てか、こんなエナドリあったっけ?
茉莉は笑顔で、俺がこの飲み物を飲むのを待っている。
(……俺の為に用意してくれたんだもんな)
一瞬の不信感を振り払い、俺はそれを一気に喉へと流し込んだ。
味は少しパンチの効いた栄養ドリンクという感じ……。
俺が綺麗に飲み干したのを確認すると、茉莉はチラッと壁の時計を見て満足そうにニヤリと笑い、再びキッチンへと戻っていった。
(……なんだったんだ?)
キッチンの茉莉を見やると、なんだかいつも以上に上機嫌でノリノリで料理を仕上げていた。
やがて食卓が整い、少し遅めの昼食がスタートした。
テーブルに並んだのは揚げたてのカキフライと、どろっと濃厚なスッポンカレー。
ちなみにカレーは大鍋で作ったらしく、夜もこれを食べる予定らしい。
「あ、やばっ! もうこんな時間! ごちそうさま!」
食べ終えるやいなや、茜が急いで食器を下げバタバタと身支度を始めた。
「どっか行くの?」
「図書館で友達と勉強」
あ、そういえば受験生だったな。
あれ、待てよ?
じゃあ茉莉の相手は誰が……!
と、その時。
急いでいた茜がソファから自分の鞄をガッと持ち上げた瞬間、その隣に鎮座していた茉莉の鞄が巻き添えを食らって床へと転がり落ちた。
ドサッと軽い音を立てて倒れた鞄の口から瓶のようなものが滑り出し、フローリングの上をコロコロと乾いた音を立てて転がる。
「あっ……」
茉莉が素で驚いた声を漏らした。
(……ん? あれって……)
俺の視線は、吸い寄せられるようにその物体へと釘付けになった。
見覚えがある。
ついさっき俺が飲まされたやつと形もサイズも完全に一致しているではないか。
静まり返る部屋の中、転がり止まったその小瓶。
怪しく光る黒地のエナメルパッケージには、極太の金文字でこう書かれていた。
――『凄漢 EX』
「……っ!?」
嘘だろ!?
絶対『そっち系』の最強エナジードリンクだろ、これ!
冷や汗を流しながら白髪の容疑者(茉莉)に視線をやると、彼女は俺と目が合った瞬間、あからさまに目を逸らし誤魔化すように口を開いた。
「あ、茜ちゃん……!行ってらっしゃい……♪」
声がめちゃくちゃ引きつっている。完全にクロだ。
何かを察した茜は『うん……』と生温かい返事をした後、俺に向かって力強く目配せを送ってきた。
きっと『気を引き締めろ』ということなのだろう。
◇
俺と茉莉はなんとも言えない気まずい空気感のまま、玄関で茜を見送っていた。
「じゃあ行ってくるね~」
そう言って茜が玄関のドアをガチャリと開けた、その時――。
ドアのすぐ目の前に、一人の少女が立っていた。
――夏野凛だ。
「あれ、凛ちゃん……」
茜が気まずそうにその名を呟く。
「茜ちゃん久しぶり。蒼も……って、え……っ?」
凛は俺の隣に並び立つ茉莉の姿を視界に収めた瞬間、目をカッと大きく見開き、瞳孔をわずかに揺らしながら言葉を漏らした。
「なんで……なんであんたが……なんでっ」
その動揺に対し、茉莉は心底蔑むような冷ややかな眼差しを向けて氷のように冷たい声を吐き捨てた。
「あなたこそ、なぜここに来たのですか?聞きましたよ……あーくんがどんな目に遭ったのか……」
「あれは……」
反論しようと勢いよく口を開きかけたものの、言葉は喉の奥で詰まり、そのまま掠れた吐息となって消えていく。
茉莉はさらに追い討ちをかけるように、容赦なく言葉を重ねた。
「あーくんをあんな風に扱って、まだしつこく付きまとうつもりですか?」
凛は必死に反論の言葉を探すように視線をあちこちに泳がせたものの、突きつけられた茉莉の論理は完璧で、ぐうの音も出ないほど隙がなかった。
「……っ!」
悔しそうに眉をハの字に寄せ、凛はギュッと唇を噛み締める。
見開かれた瞳には、隠しきれない動揺とショックの色が揺れていた。
玄関先に流れる重苦しい沈黙。
茉莉と凛が火花を散らすように睨み合っている。
……こんな緊張感あふれる局面に、言うべきことではないのかもしれない。
だが、こんな情けない俺を許してほしい。
――バチバチと睨み合う修羅場の真っ只中で、俺の下半身は恐ろしいほどバキバキになっていた。
あれほど俺をトラウマで苦しめてきた凛の顔。
だが、今の俺の脳裏に浮かび上がってくるのはトラウマなどではなく――
――さっき目撃した、茉莉の着替えシーンだった。
……『凄漢 EX』恐るべし!
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