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第14話 舞い降りた天使と、強烈な安心感

「水無瀬さんは転校してくる前に、左条くんと会ったことがあるの……?」


 伊藤さんは真剣な表情を浮かべ、真っ直ぐに茉莉へと問いかけた。


 ……正直、俺もめちゃくちゃ気になる。


 ――なぜ俺にだけ、ここまで異様に距離感が近いのか?

 ――なぜ俺のことを『あーくん』と呼んでいるのか?


 考えられる理由は一つしかない。

 ――俺と茉莉は過去、すでに会ったことがある。


 それに茉莉とは、なぜだか初めて会った気がしないのだ。

 ……彼女の口からその話を聞けば、この妙な違和感の正体が分かるかもしれない。


 俺はごくりと固唾を呑んでから、隣に座る茉莉の顔を見つめる。

 すると彼女は上品な笑みを浮かべてこう言った。


「はい、ありますよ♪」


(……やっぱり!)


「……あ、やっぱりそうなんだ」


 伊藤さんも納得したように小さく息を吐いている。


 気になって仕方がない俺は、少し前のめりになって口を開いた。


「いつどこで会ったの?」


 急に食い気味に詰め寄った俺に、茉莉は『えっ』とばかりに一瞬だけ目を丸くする。

 だが次の瞬間には俺の手を両手で優しく包み込み、切なげな表情でまっすぐに見つめてきた。

 柔らかい手の感触に、俺は思わずドキッとしてしまう。

 

 そして茉莉は縋るような声で言った。


「……本当に覚えてないの?」


 ……まじで覚えてないんだよな。


 確かに茉莉によく似た女の子が何度も夢に出てきた。

 しかし、あれはあくまで夢で見た光景だ。

 実際に会った記憶なんてない。


 俺は気まずそうに視線を落とし、俯き加減で答えた。


「覚えてない。ごめん……」


 茉莉は切なげな表情のまま、潤んだ瞳をわずかに揺らす。


「そっか……」


 いつもの強心臓な大天使とは打って変わり、今この瞬間の茉莉はただのか弱い女子に見える。

 

(……なんか申し訳ない)


 だが次の瞬間、茉莉は明るい笑顔に切り替え、得意げに言葉を続けた。


「あーくんひどい、もう何も教えなーい♪」


 いや切り替えはっや。

 もう少しだけ弱体化した大天使を拝みたかったが、まあ良かった。


 ほっと胸を撫で下ろしつつ、不満げに言い返す。

 

「え? なんでだよ……」

「何でも~。自分で思い出してね♪」

「はあ? なんだよそれ」

「はいはい♪ 次は忘れられないように頑張るね♪」


 いや本当に教えないんかい。


「……あ、そういえば」


 少し微妙な空気になりかけたところで、茉莉がふと思い出したように口を開いた。

 

「伊藤さんとあーくんはこのまま付き合うの?」


 ……あ、いけない。

 すっかり忘れてた。

 

「あー! そうだった……ごめんね、私のせいで……」


 伊藤さんがハッとした顔で申し訳なさそうに頭を下げてくる。

 

「俺はいいけど……どちらかと言えば、伊藤さんの方がダメージデカくない?」


 根も葉もない噂が発端とはいえ、俺にはストーカー男という称号がついている。

 心臓に毛が生えている茉莉ならともかく、伊藤さんはそういうタイプではないだろう。

 

 すると、彼女はどこかすっきりしたような笑みを浮かべて首を振った。


「私が勝手に暴走したんだから気にしなくていいよ……それよりまた前みたいに話せてよかった」

 

 前みたいに話せて良かった、か。

 茜も言ってたな。

 本人に直接言われると、やっぱり嬉しい。


 俺と伊藤さんの間にほっこりとした心地よい空気が流れる。


 すると、


「あーもう! 結局どうするの?」


 隣の大天使がムッとした顔で身を乗り出し、俺たちの間に割り込んできた。


 どうするかと言われても……。


「俺が振られたことにすればいいんじゃね? 理由聞かれたら『付き合ったらなんか違った』みたいな感じで」


 その提案を聞いた伊藤さんは、綺麗な眉間にギュッとシワを寄せて勢いよく抗議の声を上げた。


「そんなのダメだよ……! また左条くんが変な目で見られるじゃん……」

「いや、俺はもうその辺は気にしてないんだけどね」

「へ? そうなの?……って、そういう問題じゃない! とにかくダメ!」


 一瞬だけポカンとした伊藤さんだったが、すぐに強い覚悟が瞳に宿り、ダメの一点張りで譲らない。


 ……伊藤さんのキャラ変わった?変わったよな?

 以前はおっとり系隠れ美少女のイメージだったんだが……。

 今の彼女からは確固たる『トモダチ・マモル・ゼッタイ』という強い意志を感じる。


 一体何があったんだ。


「まあ、伊藤さんが良いなら放置でいいんじゃない?」

「うん……そうだね」


 俺と伊藤さんはそれで納得すると、茉莉も『まあいいや』という顔で頷いた。


「あと、学校での過剰なだる絡みはナシな、茉莉」


 てっきり駄々をこねると思ったけど、茉莉はしょぼくれた顔で『はーい』と返事をした。


 ひとしきり話がまとまったところで教室の時計を見ると、予鈴が鳴る少し前だった。

 俺たちは弁当を片付け、連れ立って教室へと戻った。




 ◇


 教室に戻ると、すでに10人ほどのクラスメイトが戻ってきていた。

 自分の席で静かに本を読む者、グループで楽しげに談笑する者、そして一際目立つ位置には神宮寺たちもいた。


 朝もそうだったが、今日はなんだか久しぶりに教室全体をまともに見渡した気がする。

 以前は教室の入り口から自分の席までの最短ルートしか見えていなかったし、見ようともしていなかったというのに。

 

 茉莉がいるおかげだろうか?

 確かにあの規格外の図太さを目の当たりにすれば、大抵の悩みはくだらなく思える。


 そんなことをぼんやり考えながら自分の席へと歩く。

 それに気づいた神宮寺が、こちらに聞こえる声で独り言のように呟いた。


「最近まで凛のストーカーだったくせに、今度は女子二人をたらしこんでるのか」


 その毒のある言葉に、茉莉と伊藤さんの肩がピクリと震える。


 俺は二人に振り返り、『気にするな』と小声で告げてから自分の席に腰を下ろした。

 その後は特に何事もなく、午後の授業時間へと突入していった。


 それにしても……神宮寺、まじでしつこいよな。


 あいつを見ると未だにあの日の記憶が蘇る。

 凛の顔を見た時のような強烈な発作の予兆が来ることはなくなったけど。



 やがてチャイムが鳴り午後の授業が始まった。


 黒板の文字を目で追いながら、ふと思考が巡った。


(……そういえば、あの日のことを思い出しても発作が来ないな)


 もしかして、もう凛の顔を見ても平気だったりするのか……?


 凛と対峙して試してみるのもありだろうか。

 だが、そういう目的で凛を利用するのはなんだか忍びない。

 

 そんなことをぼんやりと考えていたのだが――自分の意志とは無関係に、試す機会はその日の内に訪れた。






 ◇


 放課後。

 茉莉と伊藤さんの三人で下駄箱へ向かっている最中。


「蒼……ちょっといい?」


 背後から、聞き慣れた、そして今一番聞きたくない声が降ってきた。

 やはりこの声で名前を呼ばれると苦しくなる。


(でも……今ならもしかしたら)


 俺は大きく深呼吸し、なるべく自然に振り返った。



 ――過去のトラウマを、自分の足で乗り越えるために。


 今度こそ、あの顔を直視する。


 意を決して視線を向けたその先で、俺の目が捉えた人物――


 それはどこか申し訳なさそうにこちらを見つめる、幼馴染の顔だった。


 そう。

 脳裏にこびりついて離れない、いつもの顔。


 

 そう。

 ――あの日と同じ顔。


(ハァ……ッ、ハァ……)


 呼吸が荒くなり、久しぶりに発作の予兆が現れる。


(まじか……)


 まだ呼吸が荒いだけだ。

 目を瞑って深呼吸すれば……


 と、その時――


 柔らかい手指が俺の右手を掴む。

 同時に、透き通った天使のような声音が聞こえた。


「ごめんなさい♪ 今は忙しいです♪」


 天使は涼しい顔でそう言い放つと、俺の右手を掴んだまま伊藤さんをも連れてその場から歩き出す。

 

 ……ただ手を掴まれただけだが、不思議と自分という存在の全てを暖かく包み込まれたような、強烈な安心感を覚えた。



 一方で――


 その場に取り残された凛は唇をぎゅっと噛み締め、こぼれ落ちそうな涙を必死に堪えながらその去り行く後ろ姿をじっと見つめていた。

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