第2話 推しを生き返らせるために……
「え? 悲鳴?」
動揺してるのか、芽衣の声に微かに震えてる。
(あっちは、芽衣の中学の方じゃねえか)
悲鳴の方向に目を向ける。
そこには、歩道に倒れてる人と、それを見下ろす人が居た。
その周りには、二人に背を向ける形で走ってる人の姿が多く見られた。
「芽衣は下がってろ」
言ってから秀矢は、左手で口を覆い、右手で右の耳を覆った。
右耳のイヤホンで亜由美と通話するためだ。
「亜由美、見えてるか?」
《バッチリよ。倒れてるのは女性で、腹部に赤い染み。で、側にいる男の手には、血がついた刃物が握られてる。――それにしても、昨日の今日で大変ね。まあ、あそこまでやってるなら、直に警察が来てお縄でしょ。無理しなくていいんじゃない? 一応、今の状態でも、プロの格闘家並みのフィジカルはあるけど、刃物を持った素人相手には分が悪いわよ。これ、先輩からの忠告》
「ダメだ。芽衣の記憶から通学中に『凶悪犯と鉢合わせをした』という体験を含めて、トラウマの要素は全て排除しておきたい」
《おお、妹想いのいいお兄ちゃん》
「んな悠長なこと言ってる場合か」
《安心して、警察と消防には通報済みよ》
「さすがだな。あと、例のあれ……たしかオフの時の緊急事態でなんかあったよな?」
《その申請も出したわよ》
「仕事が早いな」
《ふふん。これでも秀矢より一年先輩だからね……っと、こう話してる間に承認が下りたわ、範囲は周囲100メートルってところね。時間はどうする?》
「3分で頼めるか?」
《オーケー。当たり前だけど、ここは日本の一般市街地。ダンジョンじゃないから刃機とスキルは使えないけど、大丈夫よね?》
「大丈夫だ。あの力が使えるなら、刃物を持った素人なんて相手にならねえよ」
秀矢は顔から両手を離すと、カバンから白いマスクを取り出して装着した。
人相を変えるためだ。
「秀にぃ!? 何でマスクなんてつけてるの? ここから早く逃げようよ!」
パニック寸前なのだろう。青ざめた芽衣の声音には余裕がない。
凄惨な現場を目の当たりにしたのだから無理もない。
この場合、事態を把握した上で、平然とする秀矢の方が異常に映るだろう。
歩道に倒れてる女性の顔が苦悶で歪んでる。
男の方は、肩が激しく上下に動いてる。
(無敵の人って奴か。やだやだ、最近は何かと物騒だな)
《リミッター解除の準備はオッケーよ。最後に、音声認証よろしく》
「何それ? そんなの昨日やってないだろ」
《本人かどうかの生体認証が要るのよ》
「刃機みてえだな。――で、何て言えばいいんだ?」
《士道開眼よ。いい? かいがん、じゃないからね》
「昨日、じいさんが言ってた奴か」
《ちなみに、私は何度か言い間違えた事あるわ》
「……気を付けるよ。――士道、開眼!」
直後、全身の血液、細胞、筋肉、組織――肉体を構成する全ての組織が僅かに震えた。
《オーケー。やっちまいな、チャンプ!》
亜由美の掛け声と共に、秀矢は地面を蹴った。
瞬く間に、無敵の人に詰め寄る。比喩でも誇張でもなく、正に一瞬の出来事。時間にして一秒もかからずに、物理的に無敵の人の真後ろに近づいたのだ。
次の瞬間、無敵の人は無表情のまま、ぬるりと振り向き、秀矢に目掛けて凶刃が振り下ろされた。
秀矢は難なく凶刃をかわすと、力加減を意識しつつ、鳩尾に拳をねじ込んだ。
「がぁっ」と短い声に、キィン、とコンクリートと金属がぶつかる小さな音が鳴り、無敵の人は膝から崩れ落ちた。
「亜由美、こっちは片付いた」
《はいよ》
亜由美の声と共に、視界が一瞬だけ真っ白になった。
同時に秀矢は芽衣の元に駆け寄る。
「秀にぃ、何時の間にマスクつけたの?」
「お前がぼうっと歩いてる間にな」
「何よ、それ。私、秀にぃと違って、朝強いもん――って、ええええ!? あそこに人が倒れてるよ!? 二人も……」
歩道に倒れてる二人の人間を見て、驚きの声をあげる芽衣。
その様子は、凄惨なものを目の当たりにした恐怖や動揺と言ったものは、微塵も感じられない。
「こういう時は、救急車よね。ええっと、ええっと199――」
「119な」
「わかった――って、呑気な事、言ってないで知ってるなら、さっさと呼んでよ」
「とっくに連絡してるよ。――ほら、サイレンの音が聞こえるだろ?」
「ほんとだ」
サイレンの音が大きくなる。
「ん? 救急車のサイレンって、ピーポーピーポーだったような」
「警察の方が先だったか。まあ救急車も直に来るだろうし、ほら、お前はさっさと学校に行け」
「秀にぃもね」
「警察と救急車の応対が終わったらな」
亜由美は倒れてる二人には目もくれず、スタスタと歩いて行った。
「記憶を消せるって、本当なんだな」
《私も去年、散々使ったからね。効果は実証済みよ》
「周囲100メートルってことは、あの二人の3分以内の記憶も消えてるんだよな」
《そうね》
「ということは、被害者は怪我の原因を、加害者は被害者を刺したことすら忘れてる可能性は?」
《事件が3分以内に発生したなら忘れてるわね。でも安心して。外出時の私達は、常に法龍院家の連中に監視されてるから》
「説明であったな」
《任期が終わるまで勤務時間外の行動は常に、シノビ衆の目視とAIによる衛星軌道の両面から監視。身の周りだけでなく、目の届かない所もね》
「で、そいつを警察に渡すわけか」
《うん。雇用主の法龍院家は、司法、行政、立法に加えてメディア、ネットインフラにも顔が利くからね。私達の事は公共の電波にのらないし、当事者の2人に記憶が無くても警察が事件として処理してくれるわ》
「でもよ……今の時代、スマホ一つあれば動画や写真を撮られるだろ?」
《大丈夫、ネットインフラにも顔が利くって言ったでしょ? 事件と私達に繋がる画像と音声は発見次第、削除してくれるわ。それがクラウド上にあるものなら、強制的にスマホと同期させて証拠隠滅よ》
秀矢と亜由美が話してる間に、けたたましいサイレンと共にパトカーがやってきた。
その直後、救急車が続いた。
「それじゃ警察と救急隊員に事情を説明するか……緊張するなぁ」
《まあ、このバカデカスマホから通報してるから、すぐに解放されるわよ》
秀矢は渋々、警察と救急隊員が忙しく動く事件現場に向かった。
「本当にすぐ解放されたな」
《でしょ? 特権は有効活用しないとね》
思わぬ道草を食ってしまったため時間が心配になり、左腕に装着してるスマートウォッチに目を向ける。
残り時間は、走ればギリギリ間に合う――かもしれない微妙な数字。
秀矢は高校生なので自転車通学が可能なのだが『高校は徒歩圏内なのと途中まで妹の学校と通学路が同じ』ということを芽衣から力説されて渋々、徒歩で通学することにしたのだ。
「これで明日も芽衣は安心して登校できるな。警察もこの辺りの巡回を強化するって言ってたし、もしかすると芽衣の学校の教師も見回るかもしれないし」
《最近の教師は、ブラックって聞くけど、そんなことまでするのね》
「芽衣が通ってる中学は、私立だからな。学校の方で何か手を打ってくれるだろ。それと、法龍院家の方でもアフターケアサービスがあるから頼んでみるか」
《秀矢って人がいいのね》
「亜由美に言われたくない。俺は……これ以上、俺の目の前で人が死んでほしくないだけさ」
《へえ》
「俺がこうして生きてるのは亜由美のおかげだ。だから、今度は俺の番だ……必ず、君を生き返らせる」
《ふふ、そんなの気にしなくていいのに。今は、私の事よりも学校に遅刻する心配した方がいいわよ》
「しまった!? つい話し込んじまった」
《ちなみに、リミッターは復活してるから、本当に急がないと遅刻すると思うよ。一応、アスリート並の運動能力はあるけど》
「わかってるよ。遅刻しないようにせいぜい全力で走るさ」
秀矢はスマホをカバンに入れてから、全速力で高校に向かった。




