第142話 祭りのあと……視点変更
「いつまで不貞腐れてるのよ」
エロガキの冷たい言い草が癪に障る。
言葉を返す余裕がない私は、エロガキの目を睨みつけた。
私は秀矢との勝負に負けた。
だから、去年四月から今日までのバイトに関連する記憶が全部消される。
嫌だ。
推しから告白を受けて、私はオッケーを出して、晴れて恋人同士になれたのに。
でも、施術を受けてない私には、エロガキとポチを振り切って逃げることは不可能だ。
不意に、異世界人の上半身を吹き飛ばした時の映像が浮かぶ。
身震いした。
この子――法龍院巳月は、正義感で人を殺せるに違いない。
もし私が逃げる素振りでもした瞬間、躊躇なく私を始末する可能性が高い。
さすがに死ぬくらいなら、記憶が消えた方がマシよね。
私の秀矢に対する想いは、サムライになる前からだもん。
もし、私の記憶が消えても、私は秀矢を追いかける。
自信をもって言えるわ。
ただ、この子。
さっき秀矢のこと、エロい目で見てたのよね。
ああっ! もう!
やっぱ記憶、消したくない。
私の記憶が無い間に、彼ピが盗られるなんて嫌!
記憶消去への強い拒否感で頭がクラクラする。
「そんな顔しないで、別にあなたの記憶を消すつもりはないわ」
「……え?」
聞き間違いかしら。
でも『消すつもりはない』ってハッキリ言ったような気がする。
「考え事してたから聞こえなかった。もう一度、言って」
「あなたの記憶を消すつもりはないわ」
エロガキの二度目の言葉に、頭の中心から足の爪先にかけて、喜びで満ちていく。
うう、わかりやすいな私。
――待って。
じっちゃんは確か、秀矢の『記憶を消して日常に戻れる』という質問に対して、肯定的な返事をしてたわ。
冷静になったことで、今すぐにでも小躍りしたい衝動がおさまる。
「ねえ、どういう心境の変化なの?」
「つい先ほど父上からお達しがあったわ。ストーカーを丁重に応対せよ、と」
「丁重に……ね」
何かハッキリしないわね。
丁重に応対せよ、という言葉が私の記憶を残すことに結びつくとは限らないし。
「巳月お嬢様」
すれ違った女中さんがエロガキにお辞儀する。
エロガキの足が止まったので、私も続いた。
女中さんが表をあげる。
「お務めご苦労様です。お体の様子はどうですか?」
「この通り息災よ。母上」
(……ん? 母上?)
うーん。
少なくとも、この女中さんは明美さんとは別人。
それは自信をもって言える。
「それは何よりです。何かありましたら、どんなに些細な事でも私共に御申しつけくださいね」
「承知してるわ」
女中さんの目が私の方に向く。
「あなたが、先ほどお館様が仰ってた『魔法使いさん』ですね」
「は、はぁ……」
知らないわよ。
何よ、魔法使いって。
「今後とも、よろしくお願い致します。お屋敷に逗留なさる時は、遠慮なく御申し付けください。それでは失礼します」
女中さんは一礼してから、どこかへ行ってしまった。
それよりも女中さんの様子を見る限り、法龍院家は私を歓迎するつもりのようね。
生き返った上に、推しと恋仲になるなんて、どうやら私にも運が向いてきたようね。
「なにニヤニヤしてるのよ。気持ち悪いわね、ストーカー」
「ぐへへ、記憶が消えないと確信を得た今の私は、何を言われても平気なのよ」
「その言葉、忘れないでね」
「――で、これから私は、どこに連れてかれるの?」
「研究室」
「え゛!?」
「何を言われても平気じゃなかったの?」
「じっちゃんの娘ならわかるでしょ。私にとって研究室という言葉がどんな意味なのか――」
「当然よ。でも、安心して。決して、ストーカーを実験体にするとか隔離といった事は無いから」
「そうよね。『丁重に応対』だもんね」
「そういうこと」
「……ちょっと話、変わるけどさ。長光先輩と奈央姉は、どうなったの?」
「二人は、契約満了に伴い退職手続きを行ったわ」
普通は、そうよね。
二人が辞める選択肢を選んだことに、ショックより当然という感じがした。
ちょっとだけドキッとしたけど、それだけ。
うーん、私って結構冷たいのかな。
それとも『家族』というものを知らないから、他人に対する依存や執着がないのかな。
施設から出た時も一瞬だけ感情があふれたけど、3日後には慣れたし。
時折、施設で暮らした日々を懐かしむことはあるけど、それで憂鬱になることはない。
そもそもドウボウ衆の話によれば私が施設を出た後、施設にいる子供と職員は全員、記憶消去を施したという話だし。
まあ推しと恋仲になった事実を消される事に比べたら、私の思い出なんて大した事ないわ。
などと考え事をしてる内に、エロガキが足を止めた。
辺りを見回す。
目の前には、厳つい金属製のドアがある。
プレートには『生体研究室』という文字があり、ドアの側らには読み取り機らしき機械が置いてある。
エロガキが読み取り機の前で何やらゴソゴソしてると、ピッという軽い音が鳴った。
直後、金属製のドアがゆっくりと開いた。
「ほ、本当に大丈夫なんでしょうね? 生体研究室、なんて物騒な文字あるけど――」
「大丈夫、大丈夫。私は毎日ここを出入りしてるから」
「それが私に何の関係があるのよ」
「入ってみればわかるわ」
エロガキはスタスタと先に行った。
ポチは、私を見張るように側にいる。
わかってるわよ。
今の非力な私に選択肢がないことくらい。
私は、恐る恐る生体研究室に足を踏み入れた。




