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第132話 推しのためなら……

「俺は、ここで降りるよ」


 その声音からは、きちんと考え抜いて導き出した確固たる意志を感じた。


 蛟牙は嫌な顔をせずに「そうか。今まで、ご苦労だったな荒川」と言った。


「心残りがないわけでもないが、俺は俺の人生で手一杯なんだ。他人の面倒なんか見てられるか」


「それでいい」


 蛟牙は両手を2度合わせた。


 パン、パンと手の平を打ち付ける音が鳴る。


 すぐさま、ふすまが開いた。


「失礼致します。蛟牙様」


 明美が深々と頭を下げる。


「明美、荒川に退職の手続きを」


「かしこまりました。では、荒川様、こちらへどうぞ――」


「リーダー、姐さん、空閑、時田、嬢ちゃん、世話になったな」


 荒川は一方的に告げると返事を待たずに、明美に案内されるまま退室した。


「行っちゃった……ねえ、秀矢はどうする?」


 ふいに亜由美に声をかけられたので、目を向ける。


 推しと目が合う。


 動画で幾度となく見た素顔。


 容姿端麗――目鼻立ちは整っており、ぱっちり開いた瞳と朗らかな表情が眩く、輝いて見える。


 画面越しですら尊いのに、完全なオフで、リアルに手を伸ばせば触れられるほどの至近距離に身を置くのは過分というもの。


 それは、ここで初めてアイ――空閑亜由美に会った時には、妬心で押し潰してた感情。


 そして、亜由美から戦闘の指南を頂いた時に再び芽生えて――亜由美の命が消えると同時に、使命感によって無意識に蓋をした。


 緊張の糸がゆるむ平時では時折、顔をのぞかせるも、仕事の時は『推しを生き返らせる』という目標と命懸けの任務に伴う、常在戦場の精神が崇拝の念を忘れさせた。


 しかし、目標が達成され、使命感が消え失せた今、秀矢は改めて思いを巡らせる。


 目の前の尊い存在に、矮小な自分に何ができるのか。


 否、そもそも今の自分があるのは、死神の凶刃から身を挺して守ってくれた推しのおかげだ。


 そして、自分達のいる世界には、強大な力を持った魔人が潜んでる、というグロい現実。


 その事実を認識した瞬間、秀矢の中に新たな使命感が芽生えた


 それは迷いを晴らし、心と体に翼をもたらす。


「え? ちょっ、秀矢!」


 気が付くと、視線が蛟牙に向いていた。


 そこから、さらに蛟牙に少し近寄る。


 秀矢自身が驚くほど体がすんなりと動く。


 脈拍に乱れはない。


 それどころか、今から口にする決断を誇らしく思う。


「俺は、国家防衛の同志になるよ」


 秀矢は参加表明をした。


「本当にいいんだな?」


「武士に二言はない」


 蛟牙の口元が緩む。


「役職は今さっき解いたばかりだがな……まあいい。時田秀矢、法龍院家はお前を歓迎する。詳細は追って連絡する。今からわしとお前は、怪異の脅威から日本という国を守る同志。今後は仲間としてよろしく頼む」


「わかりました」


「わ、私もやる!」


 後ろから亜由美の声が聞こえた。


 心臓が一瞬だけ飛び跳ねる。


 だが、すぐに落ち着きを取り戻すと、秀矢は後ろを振り返らずに口を開いた。


「ダメだ! 亜由美は、アイは、やらなくていい」


 広大な和室に、秀矢の強い口調が響き渡る。


 語気を強めたことに後悔はない。


 何故なら、秀矢が同志になった理由は、亜由美を危険から遠ざけるためだから。


 体を反転させる。


 不快感を露わにする亜由美。


 今にも食って掛かってきそうだ。


 大真面目に怒ってることが雰囲気から見て取れる。


 長光と日下部は、目を丸くしてる。


 亜由美の顔を見て、秀矢の良心がチクリと痛む。


 それでも、臆せずに毅然と向き合う。


「秀矢、どういう意味で言ったのかな」


「言葉の通りだ。俺はもう、亜由美には、アイには死んでほしくないんだ」


「わ……私の命は、私のものよ。私がどうしようと勝手じゃない!」


「俺にとって亜由美の命は、この世界で一番尊いんだ」


「それは私が秀矢の『推し』……だから?」


「ああ」


「推しならさ、当然知ってるわよね。私が大の指示厨嫌いってのをさ」


「当然だ。その直後『指示厨は、ある意味でアンチより嫌い』って言ってたのも覚えてる」


 自分の命は、推しが命を懸けて守ってくれた。


 一介のファンからすれば100回生まれ変わっても返しきれない恩義がある。


 過分な厚意は、推しからネガティブな感情を向けられても尚、止め処なく溢れる推しへの愛の源泉となり、愛情は推しのためなら自己犠牲も厭わない滅私へと昇華する。


 ――嫌われても構わない。


 たとえ推しから嫌われ蔑まされようと、それで推しの命が守れるのならば栄誉というもの。


 秀矢は、じっと亜由美の瞳を見つめた。


 亜由美は、何か物言いたげな顔をしてる。


 静寂が訪れる。


「そ、そもそも……義勇兵(ボランティア)の参加は、じっちゃんが決めることじゃない。ねえ、じっちゃん、どうなの?」


(それは、そうなんだけどな)


 亜由美の矛先が蛟牙に向く。


「ん? いさかいは、もう終わりなのか」


「なに呑気な事、言ってんのよ。私も同志になるわ。どうなの?」


「うーむ」


 しかし、秀矢の予想に反して、蛟牙は何やら考え込んでる様子。


「え゛!? じっちゃん、何で悩んでるの!?」


「そうそう。確かに、時田の言う通りだな」


「そんな、取ってつけたような言い回しで誤魔化せると思ってるの?」


「時田の懸念はもっともだ。わしが求めてるのは同志であって、自殺志願者じゃあない」


「そう簡単に死ぬつもりはないわよ」


「だが、空閑には数か月のブランクがある」


「……何が言いたいの?」


「時田、空閑。お前達、勝負しろ」


「「はぁ!?」」


 秀矢と亜由美のリアクションがかぶる。


 蛟牙は何事もなかったかのように話を続ける。


「空閑、我がままを通したければ、力を示せ。時田の懸念を払拭するほどのな」


「じっちゃん、大体、勝負って具体的に何をやるのよ。ガチの勝負だと、私まだ施術受けてないし――まさか!? ランペイジで決着をつけるとか!?」


「シュミレーターがあるだろ」


「なるほど。確かにシュミレーターなら、死ぬ心配もないし施術も要らないわね」


「――というわけで時田。お疲れのところ悪いが勝負を受けてやってくれ」


 亜由美は既に、戦いに向けて気合十分という感じだ。


 蛟牙は返事を待ってる素振りをしてるが、あの様子だと断りを入れても無駄のようだ。


「じいさん、勝負を受ける前に確認だけど、俺が勝ったら亜由美は記憶を消して日常に戻れるんだな」


「おう」


「わかった。なら、その勝負とやらを受けるよ」


「よし! 巳月、二人を今すぐ訓練室に案内しろ」


「承知しました」


 秀矢と亜由美は、巳月と共に広大な和室を後にした。

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