第130話 白の魔人
「皆様方、要らぬご心配をおかけして申し訳ございません」
非常事態にそぐわない、とても穏やかな女性の声がした。
それは聞き覚えのある声だ。
同時に、闇色のオーラ、巳月の結界、イリアの魔法障壁とも違う新たな力の存在を肌に感じる。
秀矢は目を開けた。
周囲は黒い濃霧に覆われてる。
まるで雨雲の中にいるようだ。
そんな中で闇色のオーラを防ぐために尽力するイリアと巳月は、照明の光を浴びてるような輝きを放ってる。
そして、もう一人、輝きを放つ人物がいた。
その者の身形を見た瞬間、思わず目を見開いた。
「母上ッ」
巳月の嬉しそうな声が聞こえた。
「あ、明美さん!?」
亜由美が予想外の出来事に鉢合わせしたかのような驚きの声をあげる。
秀矢も声に出さないよう抑えてるが、十分に衝撃を受けてる。
侍女のお仕着せをまとった女性の後ろ姿――明美が闇色のオーラを防いでるためだ。
ただ、いつもとは様子が違う。
墨のような黒い髪が灰色に、うなじからのぞかせる肌の色が白い。
霧が晴れたかのように周囲が明るくなる。
どうやら闇色のオーラを防ぎ切ったようだ。
明美がこちらに振り向く。
「島全域の侵入者捜索にあたっていたため、参上が遅れたことを深くお詫び申し上げます」
そう言いながら明美は深々と頭を下げた。
折り目正しい所作。
物腰の柔らかい丁寧な振舞い。
目の前にいる女性は、法龍院家の女中――明美なのは疑いようもない。
明美が表を上げる。
灰色の髪に白粉の肌の素顔。
こうして対面すると、いつもとは明らかに違うことが嫌でもわかる。
いつも通り穏やかな表情のはずなのに、緊張が拭えない。
髪と肌の色が変わるだけで、こうも印象が変わるものなのか。
それとも、目の前の脅威を退ける強者であるが故の、底知れぬ恐ろしさを目の当たりにしたためか。
秀矢は目の前にいる明美に、畏怖の念を抱いた。
「皆様、侵入者は今お見えになってる二人以外はおりません。巳月お嬢様、私は蛟牙様の加勢します。皆様のことを何卒よろしくお願いします」
「わかってるわ。母上も気を付けて」
「はい」
明美は、くるりと身を翻すと蛟牙の方に向かって跳躍した。
数秒間、放心した後、荒川の声が聞こえた。
「俺、あの人にすげえ世話になったから、あまり悪く言いたかねえんだけどよ……あの人、人間じゃない、よな?」
「見ればわかるでしょ。大体、24時間365日年中無休でお仕事なんて、人間にできるわけないじゃない。常識的に考えて」
荒川の質問に、巳月は即答した。
「お嬢、非常識な職場で常識を諭されるとは思いませんでしたよ」
「巳月ちゃん、普通そういうのってキャッチフレーズ的なものであって、まさか文面通りの意味とは思わないわよ。いや、まあ私も、非常識な時間帯に申し訳ないとは思いつつ、色々と注文したけど」
「……?」
「あー、ダメね。この顔は、私たちの言ってることが理解できてない、って顔してるわ」
(今度、ゲームのレクチャーを依頼された時、口の利き方に気を付けよう)
「母上が来たからには安心ね。なにせ母上は、父上が保有する中で最強の式神だから」
明美が蛟牙のもとに降り立つ。
「お待たせしました、蛟牙様」
「おう」
「この島に侵入した狼藉者は、あの者達以外にはおりません」
明美がスッと立ち上がる。
蛟牙、明美、ディオス、ハルマ、フローラの5人とグノー、アトレテスの2人が対峙してる。
広範囲にダメージをもたらす闇色のオーラによって戦況が変化したのだろう。
分断した敵が元の位置に戻っている。
グノーが明美に視線を注ぐ。
「お迎えに上がりました。エレン」
『エレン』と言われた明美の眼光が鋭くなる。
「その名は捨てました。私の名は、法龍院明美。法龍院家現当主蛟牙様の正妻であり忠実なる式神にして、法龍院家に仇名す者をかみ砕く龍の牙でございます」
「ふーむ、まだ異界の術式が解けてないようですね」
「いいえ、私は自らの意志で蛟牙様に仕えております。この術式は言わば、私から蛟牙様への愛と忠誠の証」
「つまり、我々のもとに戻る気は無い、と」
「グノー。80年前に回答したことをお忘れですか?」
「時が経てば心変わりするものかと思ったのですが残念です。再び、同胞を手にかけることになるとは――」
グノーが嘆息を吐く。
「では、早速ですが――」
明美は、弓を引く所作を行う。
すると、明美の左手と右手を結びつけるように、激しく波立つ金色のオーラが現れた。
「この世から、お引き取り下さい」
恐ろしく丁寧な口調と共に、金色のオーラが矢の如く放たれた。
「おおっと!」
銃弾に負けるとも劣らぬ速さで宙を裂く金色の矢を、黒炎まとうアトレテスの左手が掴む。
矢の尖端は、グノーの喉元に触れる寸前のところで止まった。
「助かりましたよ、アトレテス」
「気にすんな。物のついでだ」
アトレテスは左手にある金色の矢を握りつぶした。
「やはり、今あなた達を相手にするのは、得策ではないようですね」
「人の妻にちょっかいを出す悪い虫を見逃すほど、お人好しじゃねえぞ!」
蛟牙は懐から複数枚の護符を取り出すと、グノーとアトレテスに向けて投げた。
だが、護符は全てグノー達の目前で、ひとりでに燃えて、灰となった。
「心外ですね。我が同胞エレンを篭絡したのは、あなたでしょうに――」
「今は、わしの妻だ」
「いいでしょう。私の目的は、果たしました」
まるでグノーに呼応するように、そこかしこに黒い渦が現れた。
「我が主の復活は近い」
そして、黒い渦はそれぞれ中心部の集束し、点となり、見覚えのないモンスターへの姿を変えた。
「かような身でありながら、この通り創作意欲が止め処なく溢れております。では――」
グノーとアトレテスが忽然と消えた。
蛟牙たちの周囲には、異形の生き物が散見される。
人の上半身と馬の下半身を併せ持つ者。
人の胴体に牛の頭部を接合した者。
ライオンの頭部と蟻の胴体を合わさった生き物。
鳥の翼をはやした白馬。
人の体に爬虫類の鱗を無理矢理、張り付けた者。
6枚のコウモリの羽を生やした、人をかたどった石像。
巨大ムカデの胴体に形容しがたい生き物の頭部がついた虫。
様々な生き物を掛け合わせて生み出された化け物達の姿が目につく。
「まずは、奴らの置き土産を片付けるとするか。明美」
「仰せのままに」
蛟牙たち5人は、異形の生き物を瞬く間に排除した。




