第88話 生還
《――きて》
顔に何かが当たってる。
《起きなさい》
右頬と左頬、交互にピシ、ピシと不気味な感触と聞き慣れた推しのモーニングコール。
目に飛び込んできたのは、亜由美の顔と見覚えのある天井。
寝起きのため、頭も体も鈍い。
「どこだ、ここは?」
《ここは、じっちゃんの屋敷の一室よ》
「じゃあ……俺、生きてるのか」
秀矢はようやく、ベッドで寝てたことを認識した。
自分の体じゃないみたいに重い上半身をゆっくりと起こす。
「……でも、どうやって? 荒川さんがぶっ倒れたことは覚えてるんだけど――」
《実は、私もその辺りわからないの。秀矢が気を失った直後に、私もバッテリーが切れちゃったから。――でも、ステータス見ると全員存命だから、みんな無事よ》
「そっかあ、よかった――って、バッテリー切れ!?」
秀矢が驚くのも無理もない。
バッテリーを切らしたら亜由美がどうなるのかわからないため、スマホのバッテリーを10%切らさないようにしていたのだ。
《秀矢の第2のウルト、疑似英雄詩の影響みたいね》
「そんなことより、亜由美は何ともないのか!?」
《そうね、バッテリーが切れた時はさすがに焦ったわね》
「焦ったわねって――意識は消えなかったのか?」
《うん。でも、外の様子は全部わからなくなったの。突然、真っ暗な防音室に閉じ込められた感じね》
「そっか、何はともあれ無事でよかったよ」
安堵の胸をなでおろす。
直後、腹の虫が鳴る。
《あっはっはっ、20時間ほど食べてないからね》
「それじゃ、女中さんに食事でもお願いするか」
さっき秀矢が目覚めた事を伝えたから、もうじき届くと思うわ》
「ありがと」
《そうそう食事で思い出したけど、左腕には気を付けてね》
「左腕?」
布団の中で左の肘を曲げる。
すると、ゴム状の細いものが腕の内側にあるのを知覚した。
布団をめくる。
患者衣の袖から伸びた左腕から一本のゴムチューブが生えてるようだ。
《点滴を打ってるの。ナノマシンの投与も兼ねて》
「たしかに昨日の死神が出てから、体が重いとは思ってたけど――」
《覚えてる? 疑似英雄詩ってウルト使った時のこと》
「それが覚えてないんだよ。頭を空にしようとしたのは覚えてるけど、気が付いたらボスが死んでた」
《それじゃ詳細は、次の任務までに目を通しておいて。もし映像で見たいなら、ウルト中の挙動も録画してあるわよ。さっきチャンネルみたらアップロードもされてたみたいだし》
「回復したらな。しかし、記憶が飛ぶウルトはちょっと怖いな」
《それだけならともかく、秀矢の体内にあるナノマシンの9割は壊れるし、エネルギーを捻出するため、脂肪はおろか筋肉と骨も分解するみたいだし》
「だから、体が異様に重いのか」
《いざという時、ダイエットに使えそうよね……顔、見てみる? 少しやつれてるわよ》
「自分の顔を眺める趣味はない」
何となく、周りを見渡す。
四方の壁が黒い。
不気味に思い、何度も頭を振る。
《この黒い壁は、超音波発生装置よ――おかげでほら》
亜由美の両手が頬に触れる。
温かみはないが、何かが衝突してるのは知覚できる。
《ここは、私達専用の個室だって》
「へえ、とんでもない福利厚生だな」
《この部屋なら私でも秀矢を叩き起こすこともできるし――》
亜由美がいたずらっぽい笑みを浮かべつつ、両手を脇腹にスライドさせた。
《こうやって、こちょこちょこちょ――》
「はっはっはっ、や、やめっ――ハハハハ」
《なんてことも出来るし、もしつまんない理由で大怪我したら、傷口をつついて反省を促すこともできるのよ》
「トドメを刺すつもりかよ! 反省する前に死ぬだろ! ……いや、待てよ。それはそれで悪くないのかも――」
(推しの手で人生の幕を下ろすのは、ガチ勢冥利に尽きるのでは?)
《何で嬉しそうなのよ……もしかして秀矢って、Mなの?》
「それは断じて違う」
《だからボス戦でわざと攻撃を受けたのも!?》
「仮に俺がMだとしても、化け物はお断りだ」
《はっ!? リストカットはストレスから逃れるための対処法というのを聞いた事があるわ。だから、カマイタチでお腹を切ったのね……ダメよ! 命を粗末にしたら。悩みがあるなら聞いてあげるから、ね?》
「そうか、聞いてくれるか。今の俺の悩みは、アイがリスナーの話を聞いてくれないことだ」
「時田様、空閑様、お食事をお持ちしました」
ドア一枚挟んだ先から法龍院家の女中――明美の声がした。
《今は、ご飯を食べて、元気になるのが一番ね》
「そうだな」




