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閑話・回想:力比べ……視点変更

 生涯無縁と思しき金額を聞いて、体温が上がる。


 しかし、現実味が無さすぎて、すぐに冷静さを取り戻す。


「信じてないのか?」


「当然だ。俺に笑顔で近づいてくる奴なんて、押し売りか宗教勧誘のどっちかしか居ないからな」


「断るのは、わしの話を聞いてからにしないか?」


「……いいけどよ」


「まあ詳しい話をする前に、軽く腕相撲でもしてもらおう……では、頼むぞ」


 蛟牙の言葉が切れると同時に、蛟牙の背後からスッと横にスライドする形で女性が出てきた。


 スーツとサングラスで着用しており、外観からして明らかにSPといった感じの凛々しい佇まいに、緊張で体が強張る。


「あんた、いつから居たんだ?」


「あなたが入室する前から、ここで待機してました」


(嘘だろ? 全然、気づかなかったぞ!?)


「彼女が腕相撲の相手だ」


「俺はこう見えても半年前までは現役だったし、今でもトレーニングは欠かしてないぜ? 立ち合いならともかく、単純な力比べなら俺が勝つに決まってんだろ」


「そうそう、彼女に2回勝ったら、契約金とは別に現金で1億円やろう。合法的に異性に触れられるし、悪い話じゃないだろ?」


「だから、1億円言われても――」


 荒川の言葉を止めたのは、彼女が持ち上げたアタッシュケース。


 彼女はテーブルの上にアタッシュケースを置くと、荒川の目の前で開けた。


 中には、札束がぎっしりと詰め込まれてる。


「……」


 荒川は無数の札束を前にして、言葉を失くした。


「偽札だと思ってるのか? 疑うなら1枚1枚、手に取ってもいいぞ」


「お館様、今の若い子に座布団は、通じないかと――」


「ううむ、電子決済が主流のガキ共には、現金のありがたみがわからんのか。嘆かわしいねえ」


 荒川は、アタッシュケースから無造作に3つほどの札束を取り出した。


 1束から2,3枚、無作為に抜き取り、改める。


 すかし、ホログラム、傾けることで浮き上がる光沢、インクの盛り上がりによるザラつき。


 浅薄ながら思いつく限りの偽造防止の施策を確かめる。


「これ……全部、本物かよ」


 1億円が急に現実味を帯びる。


 何とか平静を装いつつ、お札をアタッシュケースに戻す。


「腕相撲やるなら、あの机がよさそうだな」


 蛟牙は、校長室の机を指した。


 スーツの女性が机の上に、右肘を突き立てる。


「右手で、よろしいですか?」


「いいぜ」


 荒川は机の反対側に移動すると、スーツの女性の右手をがっしりと掴んだ。


 手の甲は、滑らかな手触り。


 掌紋からは、皮膚の厚みが感じられない。


「悪いが、あんたが女性だろうが素人だろうが手加減しねえぞ。俺には、先立つものがねえからな」


「構いません」


 大金でタガが外れた荒川に対し、スーツの女性は冷淡に返す。


「お館様、号令をお願いします」


「うむ……では、始めい!」


 荒川は、全力で勝負に臨んだ。


 ――結果、拍子抜けするほど呆気なくスーツの女性に勝利した。


 本気を出したのが滑稽に思える。


「あと1回勝てば、1億円は俺のものだよな」


「ああ、嘘は言わん」


(何かあるのかと思ったけど、この女。……完全に素人だ。でも1億円のためだ。本気で行くぜ!)


 勝ちを確信しつつも、手心を加える気は微塵もない。


「では、お館様」


「うむ……士道開眼(しどうかいげん)せよ!」


(何かのまじないか?)


 スーツの女性が右腕を机に立てる。


 荒川は、スーツの女性の右手をがっしりと掴む。


「始めい!」


 蛟牙の号令と同時に、全力を出した。


 ――が、先ほどと違い、女性の腕はピクリとも動かない。


 まるで石像だ。


 それでも、めげずに歯を食いしばる。


「ああん! 男の子が懸命に藻掻く姿はいつ見てもたまらないわ!」


 スーツの女性の艶めいた声にイラつき、右腕に力を込める。


「ごつごつの拳だこに分厚い掌と滑らかできめ細やかな手の甲のギャップもいい! はぁ……水も弾くみずみずしいお肌」


 女性は腕相撲のことなど歯牙にもかけず、自分の世界で悦に浸ってる模様。


「村田。性癖に素直なのは結構だが、それ以上は事案になるぞ」


「失礼しました、お館様。……それでは大変、大変、名残惜しいですが――」


 荒川の抵抗も虚しく、あっさりと負けた。


 大人と子供のような、覆すことが想像できないほどの圧倒的な力の差を感じた。


「どうだ荒川。これが1億円になる仕事の一端だ」


「俺に選択肢は、あるのか?」


「もちろんだ。わしは、本人の自主性を尊重する。但し、チャンスは一度きり。断れば、勧誘の話もろとも綺麗さっぱり記憶から消してやる」


 記憶から消してやる――スーツの女性に、力で負けた今の荒川には、この言葉が冗談には聞こえなかった。


「わかった、まずは話を聞いてから決める……あの、すみません。手を放して欲しいんだけど」


「……はっ!? 若い男の子に触れるの久しぶりでつい――」


 スーツの女性――村田は、荒川から離れると蛟牙の隣に座った。


 荒川は、蛟牙の対面に座る。


 村田から、サムライの詳細について約30分、説明を受けた。


 前金、任期、活動頻度、スマホは貸与品のみ、報酬等、待遇面に異論はない。


 ただ怪異空間、ジャンクDNA、リミッター、スキル、ステータス等、コンピューターゲームの類に縁がない荒川にとって、聞き慣れない単語が目白押しで辟易する。


「説明は以上となります」


 スーツの女性は、会釈する。


 荒川は、決断に迷ってる。


 待遇は魅力的だが、命に関わる危険があることは説明の中で何度も念押しされた。


 先輩方のサポートもあるし、研修も充実してるとのことだが踏ん切りがつかない。


 人生を諦めたはずなのに、我が身可愛さに怖気づく自分に嫌悪感を抱く。


「迷ってるようだな」


「自分でも驚いてるよ。俺は、自分が思ってるより臆病なんだなって」


「そうかそうか、だが決断の先送りは許さん」


「わかってるよ」


「ふむ……では、こうしよう。――荒川、わしと立ち合え」


「立ち合えって、今すぐにか?」


「当然だ。体を動かせば血の巡りがよくなって、納得のいく決断を下せるだろう」


「場所と道着は、どうすんだよ」


「服装なんざどうでもいいだろ。場所は、学校(ここ)の道場を借りるだけだ――村田、校長に話をつけてくれ」


 村田は「かしこまりました」と言ってから、校長室を出た。

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