閑話・回想:人殺し……視点変更
「ねえ……あの人、人殺し、だよね」
朝の通勤時、駅の雑踏の中から若い女性の言葉が鮮明に聞こえた。
それが自分に向けられた言葉であることは、重々承知している。
人殺し――中学3年から言われ続けてきた言葉。
中学を卒業して1年経過した今では、その言葉を聞いても、少し不快になる程度だ。
周囲が色めき立つ。
これも慣れた。
当時に比べれば、これでも静かな方だから。
◇◇◇
荒川大樹――中学3年の夏。
将来有望な選手として注目度が高い二人の空手選手が出場するフルコンタクト空手道選手権大会が開かれた。
一人は、三澄彰。
もう一人は、荒川大樹。
二人の名が広まったのは、中学1年の時に開かれたフルコンタクト空手道選手権大会。
ろくに体が出来上がってないにも関わらず、彼らは順当に勝ち上がった。
三澄彰は、女性と見紛う中性的な顔立ちに、見る者全てが目を奪われるような美しい体捌きと大柄な相手にも引けを取らない数々の技を繰り出すことで界隈だけでなく、空手に無縁の女性からの支持を得た。
対する荒川大樹は、精悍な顔つきと中学生離れした体躯からは想像がつかない試合展開をする選手だった。
荒川大樹は、自らは決して動かない。
他の選手が、相手に動きを悟られぬように、いつ如何なるタイミングでも素早く動けるように、とステップを駆使する中、彼は一時停止してるかのように動かない。
そして『動いた』と思った次の瞬間、拳が、蹴りが、相手の体にめりこむ。
当然、攻撃をもろに食らった相手は3秒で起き上がる事はなく、見事な一本勝ちを決める。
順当に勝ち上がる両者は、ついに決勝戦で相まみえる。
初めての大会では荒川、翌年の大会では三澄がそれぞれ勝利をおさめた。
そして中学最後の大会。
正に天の配剤とでもいうべきだろう。
三度、両者は決勝で相対する運びとなった。
しかし、今大会での三澄は、これまでの戦法を大きく変えていた。
去年までは8m×4mの競技場を軽やかな体捌きで相手を翻弄しながら技を繰り出してたが、今回は一転して待ちの姿勢。
依然として技は冴えてるが、戦い方を変えた理由は不明。
決勝前に、その戦い方を見た荒川は、三澄の戦い方に疑問符が浮かべた。
だが三澄は、住む地域も通う道場も異なる、ただの対戦相手。
唯一の接点は、試合会場のみ。
だから、考えるのを止めた。
何故なら、決勝まで勝ち上がれたなら自ずと答えが理解できると踏んだから。
いよいよ中学最後の決勝戦をむかえた。
三澄と対峙する。
それだけで、去年までと様子が違うことがわかった。
尋常ならぬ気迫に畏怖の念を覚える。
獰猛、執念、憤慨、狂気――武道とは、大きくかけ離れた強靭で荒々しい意志を携えてるようだ。
しかし、戦い方が感情に反して妙に大人しい。
「始め!」
主審が試合開始の合図を出す。
三澄が今大会で始めて、ステップを刻む。
(力を温存してたのか)
直では3度目。
映像なら何度も目にした体捌き……のはずが違和感を覚える。
一瞬、意識をそらされた間隙をぬって、小刻みに揺れる体捌きから鋭い連撃が繰り出される。
難なく、捌く荒川。
その一度の交戦で、三澄に対する違和感の正体に気づいた。
(妙に遅いな)
一つ一つの動作の速度は、去年と変わらない。
遅いのは、ある動作から別の動作に切り替わる時。
荒川の頭の中にある、三澄の動きと比較してコンマ数秒の遅延があるのだ。
準決勝まで、妙に消極的な戦い方だったのも頷ける。
体調不良なら、本番まで体力を温存したくなる気持ちも理解できる。
同時に、競技者として立ちはだかる以上、情けは無用。
荒川もステップを刻む。
撃ち合う。
その最中、妙な感覚に囚われた。
相手の方が明らかに遅いのに、攻撃への対応が相手の動きに合わせるかのように遅れてることに気づいた。
何故、自分の動きまで遅れてるのか?
目の前にいる相手は、三澄であることには違いない。
しかし、今の三澄から発せられる気迫は、昨年までのものとは明らか違う。
別人、生まれ変わり……そんな言葉では片付けられない、もっと恐ろしいものを感じる。
悪いものに取り憑かれてる、というべきなのだろうか。
かつてない状況に動揺しつつも荒川は三澄と拳を、蹴りを交わす。
三澄の一挙手一投足を間近で見て、受けて、ようやく正体の輪郭が浮かぶ。
(こいつ、俺を殺すつもりか!)
競技のお題目である、青少年の健全育成と公式試合という先入観のおかげで、三澄の気迫の正体に気づくのが遅くなった。
依然として素手――徒手空拳であり、目や金的等の露骨な急所狙いもない。
しかし、三澄の一挙手一投足には、明確な殺意が込められてる。
距離を置いて、向き合う。
昨年までの三澄は試合中でも、決して晴れやかな表情を崩さず、優雅で美しい立ち回りから繰り出す超絶技巧で対戦相手を打ち破っていた。
それが今では、悪魔のような形相で、射竦めるかのような鋭い眼光を容赦なく向けてくる。
人の姿をした猛獣、とは正にこのことだろう。
そんな三澄の出で立ちを見て、ようやく理解した。
三澄は、この試合に命をかけてる。
そう思わせるほどの気概と圧力を放ってることに。
同時に自分が何故、相手の対応に遅れてるのかも。
――恐怖。
荒川は、知らず知らずのうちに三澄の異様な気迫に気圧され、恐れおののいてた。
恐怖を自覚することで、揺れた精神を持ち直す。
それでも尚、三澄に対する恐怖を拭い去ることはかなわなかった。
脅威に真っ向から対峙する荒川。
今にも命を奪わんと鬼気迫る表情の三澄。
両者が火花を散らす。
時間にして、わずか数秒の後、荒川が間隙をついて、渾身の正拳突きを放つ。
鍛え抜いた拳が三澄の腹部を容赦なく穿つ。
3度目の対決を通じて、初めての手応えに歓喜する。
三澄が倒れる。
微動だにしない。
文句なしの一本勝ちで試合は幕を閉じた。
試合には勝った。
しかし、荒川の胸中は鬱々としてる。
勝利に昂ぶることもなく、何とも言い難い不満が募る。
言うまでも無く、万全の三澄と完全な決着をつけられなかったからだ。
目が覚めない三澄は医務室に運ばれた。
その後、救急搬送されたことを荒川が知ったのは大会の翌日。
朝、自分の教室に入った時、クラスメイトから向けられた懐疑的な目と「人殺し!」という女子生徒の悲痛な叫び声。
「あんたのせいで、あんたのせいで三澄くんが……三澄くんが死んじゃった」




