鏡の中の知らない女
「ディアンさん、おはようございます……」
何日か後、私はすっかり日が昇った明るい寝室でまた目をさました。ベッドから降りると、待機していたディアンさんがさっとやってきて、身支度を整えてくれる。
着替えを人に手伝ってもらうなんて、と最初は遠慮していたけれど、神殿の聖女服ばかり着ていた私には、貴族の高級衣料品の扱いがわからない。どう着付けるのが正解かさっぱりわからなくて、結局ディアンさんにお任せしている。人間とは怖いもので、有能なメイドさんに世話をやかれる生活に、いつのまにか順応してしまっていた。
「ここに来て、もう何日目でしたっけ」
「十日でございますよ、奥様」
「もうそんなに……?」
思わず口から感嘆のため息が漏れた。
まだ五日くらいしか経ってない気がしてたのに。
「日付の感覚が完全にズレてる……寝過ぎだわ」
額に手をあてる私を見て、ディアンさんはくすくすと上品に笑う。
「それだけ体が休みを必要としていたんですよ」
「そうみたいですね」
カイルに寝ろ、と命令された時は『いきなり寝ろを言われてもそう簡単に寝られるわけがない』と思ったのだけど、現実は逆だった。ベッドに押し込まれて目を閉じさせられて、気が付いたらすうっと眠りに落ちていたのだ。
それからは、目がさめたら食事をして、しばらくしたらまたベッドで横になって。ただただ寝て起きてを繰り返していたら、時間と日付の感覚がどこかにいってしまった。
「神殿にいた時は、毎朝夜明けとともに目が覚めていたんですけど……他に何も仕事がないとなったら、一日中何時間でも寝てしまえるなんて、私って結構簡単に堕落してしまえる人間だったんですねえ」
「奥様のソレは、堕落ではなく回復ですよ」
衣装の着付けを終えたディアンさんは、私を鏡の前に座らせて髪の手入れにとりかかる。
「しっかり食べて寝たおかげで、顔色がだいぶ良くなりましたよ。ほら」
ディアンさんに促されて顔を上げた私は、ぎょっと目を見開いた。
そこには見たこともない女性が映し出されていたからだ。
誰、これ。
柔らかそうな亜麻色の髪に、ぱっちりと開いた藍の瞳。白い頬はふっくらしていて、唇は健康的に赤く色づいている。
造作は間違いなく私なのに、まったくカラーが違う。
神殿で毎日見ていた、痩せて土気色の顔した落ちくぼんだ目の女はどこに行ったんだろう?
これではまるでお屋敷の若奥様ではないか。
いや私大富豪アシュトン家跡取り候補の奥様になったんだけど。
「奥様はもともと、可愛らしいお顔立ちでいらっしゃいましたからねえ。よくお顔が見えるよう、今日は少しサイドの髪を結っておきましょうか」
ディアンさんはそう言いながら、するするとこめかみのあたりの髪を編んでいく。鏡の中のびっくり顔の女性は、髪を美しく結い上げられて、さらにかわいくなった。
ベテランメイドの有能さに私はもう驚く以外のリアクションが思いつかない。
「ありがとうございます、ディアンさん。こんなに綺麗に整えてくださって」
「元の素材が良いですからねえ。腕の振るい甲斐がありますわ」
ダメ押しのお世辞がこそばゆい。
でも、自分の姿が健康的に明るくなるのは、素直に嬉しかった。今まで仕事にかまけてばかりで、見た目を気にしたことがなかったけど、私ってこんな風にもなれるんだ。
思ってもみなかった発見だ。
まじまじと鏡を見つめていると、コンコン、と部屋のドアがノックされた。
「きっと旦那様ですわね。お通ししてよろしいでしょうか」
「はい、お願いします」
ちょうど身支度も終わったところだ。私がうなずくと、すぐにディアンさんがカイルを部屋に招き入れた。屋敷の主人は、今日も一分の隙も無く整えられていてかっこいい。
「体調はどうだ、しっかり寝ているか?」
彼は軽く体をかがめると、出迎えた私の顔を軽く覗き込んだ。
これはここ最近の日課だ。
彼は毎日、私が起きている時を見計らってやってきて体調をチェックする。私が業務命令通り寝ているか、しっかり確認するためだ。
たとえ仕事が「寝る」であっても手を抜くことを許さない、厳しい雇い主である。
「はい、ぐっすり眠ったおかげで今日はとても体調がいいです」
「……確かに顔色はいいな」
カイルはそのままじいっと私を凝視する。
成果物チェックとはいえ、そんなにまじまじと見ないでほしい。私には、かっこいい男性に見つめられているのと同じなので、そわそわして落ち着かない。
「もうお部屋の外くらいなら、出歩いても大丈夫と思いますよ」
ディアンさんがおっとりと説明を付け加える。
第三者からの証言も加わり、私が言いつけ通りにしていたと納得したカイルは、ふむ、とうなずいた。
「では君に新しい仕事を与えるとしようか」
「はい、ありがとうございます!」
やっと『寝る』以外のお仕事が!
「お掃除ですか? お洗濯ですか? なんでもお申し付けください!」
弾む声でたずねる私を見て、カイルは不思議な表情に顔をゆがませて、ため息をついた。
え? それはどういう気持ちなの?
お仕事がんばりますと主張しただけなのに、不機嫌になった理由がわからない。
感情の機微がわからずおろおろしていると、軽く手を引かれた。
「……ついてくればわかる」
そのままカイルにエスコートされ、わけがわからないまま私は部屋から連れ出された。




