新たなお仕事
私がぱっと顔を上げると、カイルは眉尻を下げて笑った。
「俺に案内できるくらいだ、庭はもうだいたい把握しただろう。観察の範囲を屋敷全体に広げてはどうかと思ってな」
「いいんですか?」
私はびっくりしてカイルを見上げた。
「それだと、お屋敷の中を勝手に出歩いていいってことになってしまいますけど」
勢いで暮らすことになったけど、この屋敷はすべてがカイルの持ち物だ。必要以上に汚したり荒らしたりしないよう、用のない場所には立ち入らないようにしてたのに。
中庭には気軽に入っていくようになったけど、それは『お仕事』という大義名分があるからだ。
「いいに決まってるだろう。ここは君の家でもあるんだから」
「……あ」
さも当然のように言われて、私はまた自分が思い違いをしていたことに気が付いた。
私とカイルが結んだのはただの雇用契約じゃない、婚姻だ。神殿のような住み込みの職場感覚でいた私のほうがおかしいんだ。
そうか、家。
ここは私の家、なんだ。
「女主人が案内するのは庭だけじゃない。屋敷の中の応接エリアもだ。飾られた美術品を見て、説明できなければまた困ってしまうだろう?」
「なるほど、勉強する範囲が広がるわけですね」
カイルはこくりとうなずいた。
「把握するだけでなく、インテリアを差配するのも女主人の仕事のひとつだが」
「お屋敷の差配……?」
この広くて豪華なお屋敷のインテリアを自分で? 全部?
清貧を旨とする神殿で、高級品と縁遠い生活をしていた私には、雲の上の話だ
でも、家を整えるのが女主人の役割と考えれば、おかしい話じゃないのかもしれない。
どどどどどうしよう、雇われ女主人の身で、与えられた課題にできませんなんて言えない。
そんなこともできないのかと、この人に幻滅されてしまったら……。
「また変なことを考えているだろう」
くい、と手を引かれた。
つられるようにして、また顔を上げさせられる。
「不向きなことまで無理にやらなくていい。俺も今は屋敷のことを執事長とメイド長にまかせているからな。得意な人材を見つけて仕事を割り振るのも、主人の仕事だ」
「ええええ」
それは青天の霹靂だった。
できないことを、やらなくていい……?
そんなことある?
「やらないでばかりいたら、何もできない人になりませんか」
「もちろん、物事には限度はあるが。君はただでさえ抱え込むタイプだからな。意識して『できない』を口に出したくらいでちょうどいい。できないなら、できないことを前提に解決方法を考えればいい」
「……失望、しませんか」
神殿での記憶がよみがえる。
課せられた目標を達成できないと口にした時。
副神殿長ロクスから浴びせられたのは、侮蔑を含んだ冷ややかな視線だった。
『所詮下級聖女、この程度ですか』
あれを、カイルから向けられたりしたら。
考えるだけで腹の底が凍るような心地になる。
「君はよくやっている」
きゅ、と引かれていた手が握りこまれた。
「失望などするわけがないだろう」
「ありがとう、ございます」
「礼も言う必要もないからな。俺たちはすでに夫婦なのだから」
契約であるはずの夫婦関係のはずなのに、カイルはそれ以上の言葉を与えてくれる。
図に乗ってはいけない、と思うのに心は勝手に喜んでしまう。
「今日は屋敷一周くらいにしておくか。間取りは把握しているか?」
「あ、はい。ディアンさんに一度間取り図を見せていただいたので」
「なら話は早い。母屋と倉庫を見て回ろう」
「離れはどうされます?」
たずねた瞬間、カイルは唐突に足を止めた。
アシュトン家の敷地のはずれには、小さな離れがぽつんとひとつ建っている。生活導線から外れているうえ、見た目も地味で、目的がよくわからない建物だ。全体的によくまとまっていて機能的なアシュトン家のお屋敷の中でそこだけ妙に浮いていたから気になっていたのだ。
「ああ……あそこは気にしなくていい」
ふい、と視線をそらされた。
言葉を濁すなんて珍しい。
「俺の私物をつっこんでいるだけの建物だ。メイドたちにも入らなくていいと伝えてある。もちろん客人を案内することもない。だから君が見る必要はない」
「……はい、わかりました」
契約妻は夫に反論する権利を持たない。
腑に落ちないものを感じつつも、私はうなずくしかなかった。
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仕事たてこみ中につき、連載が不定期になります。
多分次の更新は連休明けの水曜ですー。




