お兄様
「お兄様―?」
屋敷のほうから聞こえてくる、若い女性の声にカイルは足を止めた。むう、と眉間に皺を寄せて、声の方向を見つめる。
「妹さん、ですか?」
「うちは兄と俺の男兄弟だけだ。あれは父方の親戚だな。やや遠いが血縁ということで兄と呼ばれている」
つまり兄と呼ぶほど親しい家族なのか。
そういえば今までカイルの口から家族の話を聞いたことがなかった。兄弟が何人いるのか、ご両親はどんな方なのか。
結婚は家族の話でもあるはずなのに。
「少しここで待っていてくれ。対応してくる」
「はい」
カイルはするりとエスコートの手を離すと、声のもとへと歩いていった。緑の生垣越しに彼らの声だけが響いてくる。
「騒がしいぞ、マリオン」
「お兄様!」
少女の声が明るく弾んだ。
「訪問先では礼儀正しくするのが、淑女の作法ではないのか?」
「もう、私とお兄様の仲じゃないですか」
「親戚、という仲だな。先ぶれも出さずに、今日はまた何の用で来たんだ」
「とんでもないニュースを聞いたからあわてて来たんですよ。なんですか、お兄様が結婚したって! 何をどうしたらそんなデマが飛び出すんです」
「……デマも何も、事実だが」
一瞬だけ、庭が静まり返った。
マリオンと呼ばれた少女が絶句してしまったらしい。
「……お兄様が……結婚!? 本当に?」
「神殿長様の立ち合いで、誓いの儀式も済ませてある」
「嘘、嘘嘘嘘! 相手は誰なんですか? アール商会のシシリーですか? それともテセラ商会のミアですか? まさか……デルテフィニア商会のアンジェじゃないでしょうね」
「どれも違う。だいたい、俺が誰と結婚しようがお前には関係ないだろう」
「関係ありますよ!」
マリオンは必死に声をあげる。
「お兄様のお嫁さんになるのはこの私だと、十年前からずっと言ってるじゃないですか」
「それで、十年ずっと断られ続けているんだろ。いいかげん諦めろ」
「お兄様ほど素敵な方はいませんもの、諦めるなんてできませんわ」
「……俺はもうすでに結婚している」
「そうなんですけど~~~~!」
既婚者と宣言されても、それでも諦めきれないらしい。
少女の苦し気な声が庭に響いた。
「お兄様の心を射止めたご令嬢がどんな方なのか、せめて一目会わせてくださいまし」
「断る」
マリオンの願いをカイルはすげなく拒否した。
「会ってどうする気だ」
「どうって……祝福を……とか?」
「嘘をつけ。諦める気なんてさらさらないんだろう? 加害してやろうと意気込んでる相手を、妻に近づけるほど俺は間抜けじゃない。帰れ」
「加害だなんて私はそんな……!」
「一言文句つけようとしてる時点で加害なんだよ。ほら、帰った帰った。誰か! マリオンを門の外まで送ってくれ!」
「ちょ、ちょっと! お兄様! お兄様―!!!」
少女の金切り声が急速に遠ざかっていく。メイドか使用人か警備の兵か。誰かが彼女を強制的に移動させているのだろう。
声が聞こえなくなるのと入れ替わりに、カイルが生垣の間から戻ってきた。
「不快な思いをさせてすまない。マリオンは親戚という関係上、完全に縁を断つこともできなくてな」
「彼女は本気であなたと結婚したいようでしたけど……」
カイルは、はあああ~……と超特大のため息をついた。
「勘弁してくれ。あんな騒がしい女を嫁に迎えたら最後、家が傾く」
「他にも何人かお嬢様の名前が挙がっていたようですが」
「そっちもナシだ。前に言っただろう? 俺の財産目当てのご令嬢ばかりだと」
くい、と手を引かれた。
ぽすんといつものエスコートの位置に私の体がおさめられる。
「俺の妻は君だ」
それはとても嬉しい言葉だけど。
燭台と引き換えに結婚した私もある意味財産目当てだ。私は彼に甘えたままここにいていいんだろうか。他に魅力的なお嬢さんが隣にいる未来もあったのかもしれない。
結局その日は、カイルの庭紹介トークが全然頭に入ってこなかった。




