献辞
私の魂が消えた後に生きる、孤独な魂に捧ぐ。
献辞を見るたびに思っていた。私はひとりであると。この本を書いた人には大切な人がいて、感謝すべき人がいる。感謝していることをアピールすべき場があり、それをすることが自然であり、そこに書かれていない人は部外者であるということが暗に示されてしまうような場がある。
その本は私のために書かれたものではない。
私は、誰かの本の献辞に書かれるような人間ではないし、私が本を書いたとして、献辞に書けるような他者を持ってもいない。
私は孤独であると同時に、同じように孤独であるしかない人間を想って生きている。
もし私が本を捧げるなら、まだ生まれていない彼らである。
我らは繋がれないし、繋がれるべきでもない。ただ私たちは生きるしかなくて、そこであがくしかないのである。そして私たちは通常誰からも配慮されないし、敬意も抱かれない。
私たちに捧げられるものはない。だから、私は、私の知らない私たちのために、せめてもの配慮を、敬意を、献辞を必要とする。
そうでなければ私自身がそれを受けるに値するものではいられないから。
私たちは変われない。変わるべきでもない。私たちは何も尊敬していないし、何も目指していない。あらゆる既存の褒められるべきもの、到達点、理想は私たちには貧しくてくすんだものに見えてしまうから。それでも私たちは卑屈になって自分たちよりも低い場所を見て安心したり心を落ち着けたりすることのできない人間で、視力の限界のその先の高さを夢想して、いまだ存在しない尊敬すべきもの、目指すべきもの、褒められるべきもの、到達点、理想がいつか存在するものだと考えて、生きているのである。
だからせめて、そのように生きる哀れで醜く愚かな登山者たる我らを知っている人間が必要なのだ。我ら自身がそれを担わなくてはならないのだと私は信じている。
私たちを知っているのは私たちだけなのだから。私たちは、いつだって私とは別の私たちのためにすべてを捧げなくてはならないのだろう。
私の魂が消えた後に生きる、孤独な魂に捧ぐ。




