宇宙は美しくない
空想上の星空はいつも輝いていて、時々流れ星も通る。そこにはきっと、僕たちの知らない無数の文明と人生があって、たくさんの冒険がある。
過去と未来が交わって、通過して、僕らもその中のひとつだって思える。
そう。そんなのは全部空想で、実際に寒空のもと空を見上げてみて感じるのは、ひとつだけ。退屈、だ。
大して明るくもなく、カラフルでもなく、どう見ても規則的ではなく、それでいて代り映えのしない配置がなされた星々。意味も価値も感じられない、黒と灰色の中間の空。
流れ星なんてめったにないし、あったとしても、思っていたよりもずっと細くて短い。かつて僕たちはきっと、流れ星を、僕らの住んでいる地球と同程度には何か価値のある天体だと信じていた。だが実際は、小さな小惑星の燃えかすに過ぎないのだ。
それに、長いスパンで見れば、大して珍しいものでもない。
この世界は僕らが期待しているほど美しくはないし、豊かでもない。
自然は時折その雄大さや多様さを僕らの哀れな知性に見せつけて、ある種の崇拝に近い感情を抱かせる。そこから僕らは類推して、身近な自然でさえそうなのだから、もっと広い宇宙ならば、もっと壮大で想像を絶する美があるのではないかと考える。だがいくら探しても、宇宙の中に、美しいものはほぼ見当たらない。そこにあるのは、退屈なものばかりで、何かあると思っても、ほとんどは奇妙なだけのものばかりだ。
土星の環も、木星の縞模様も、決して美しくはないのだ。
そして夜空を彩っている無数の星々も、僕らの身近でただ燃えているだけの太陽とそう変わらない。それらを美しいと僕らは思わない。だって、光が強すぎて見ることができないのだから。そこに意図や多様さ、純粋さなどどこにもないのだから。
そう。僕らははっきりと言わなければならない。宇宙というものは、それ自体は全く美しくない。
宇宙を美しく映した写真があるのは、意図してそう作られているからだ。我々の目が喜ぶようにものごとを映すことは、技術さえあればそう難しくはない。はっきりいって、宇宙の美しさというのは、昼間の青い空や、太陽を反射してキラキラ輝く水面、風そよぐ稲穂なんかの美しさとそう変わらない。それどころか、劣っていると言っていいくらいだ。
人の生き様や心根は美しくなりうるが、国家というものの体制それ自体が美しくあることがあり得ないことに似ている。何か全体を映して美しいという場合、それはそこに属する一部分を切り取ってそう言っているにすぎず、必ずその場合、大多数を占める退屈さや醜さ、陳腐さを切り捨てて成り立っている。
安易な想像ではあるが、退屈な宇宙空間の中で何もすることがなければ、人は地球をずっと眺めているのではないかと思う。
ノスタルジーではなく、もっと純粋な、憧れと愛着をもってして。
その予想が正しいとしても、その美しき地球の上で生きている我々の目に写る景色のほぼすべては全然美しくない。
その事実と向き合い続けることにどれだけの意味があるのかは知らないが、その事実と向き合わずに美について語っている人間を見ると反吐が出る。実生活や感覚を無視して、何かきっかけがあるたびに地球や宇宙を美しいなどと言って褒める連中を、僕は軽蔑せずにいられないのだ。
きっとそれは、僕自身の欠点なのだろうと、十年くらいずっと考えている。治る見込みはあまりないが、嫌悪感はだんだん鈍くなっているから、改善はされているのかもしれない。




