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人間の本質

 人間の本質は反復にある。


 人間の根っこにある部分が善か悪かという議論は大昔からされてきた。私もそれについて悩んだが、最近やっと考えがまとまった。

 人間、いや、生命の本質は反復にある。


 たとえば人間は現実的に考えれば、善にも悪にも転びうる不安定かつ可能性に溢れた存在であるといえる。「人間には善い部分も悪い部分もある」こう結論し、そこで思考を止めるのも結構。健康的に生きられるだろうと思う。

 しかし人間がある行動に執着し、それを繰り返す場合、そこには善も悪も含まれないことがほとんどであるし、そこに快楽や利益が改善しないことも多い。たとえば、頭を掻くことや、貧乏ゆすり、首をぐるっと回したり。そういう動物的、身体的な部分でなくとも、別に良くも悪くもない考えが何度も頭に浮かぶということは、誰しも経験することなのではないかと思う。

 誰かと会って話すときも、何度も何度も同じ内容の会話をすることがある。それ自体に、よいも悪いも当然ない。ただ、私たちはそうしているのである。


 これだけで、人間の本質は反復にあると論ずるのは難しい。あらゆる反復や習慣には、自然選択的な、利益をもたらす部分があるはずだという指摘が免れないからだ。

 しかしこのダーウィン的な反論が、逆に生命の本質が反復にあることを証明する。ある行動や習性が、その個体にとって有益かそうでないかを、その個体自身が正確に判断することは、原理上難しい。それを明らかにするのは、一度きりの現実により、その結果によって、そのグループは、知識を獲得する。

 知的な生命体は特に、異常な行動を反復する個体が一定数あらわれるし、人間はその中でも割合としてはもっと多いと思われる。

 一回きりの奇行では、その奇行の影響が偶然か必然か判断できない。そのため、それを繰り返す必要がある。そしてこの繰り返すための条件が、この反復に対する衝動、すなわち、執着であり、「確かめたい」という事実に対する欲求である。

 なぜ人間がこれほどまでにギャンブルにのめり込むか、という問いもここに通ずる部分がある。ギャンブル中毒者は、ただ快楽によってのみそうなっているのではない。自分の判断が正しいか、間違っているのか、その結果を知らなくてはいけないという強迫的衝動に囚われているのである。特にその行動が、身体、精神に対して影響が強ければ強いほど、それが最終的に自分に何をもたらすのか、しっかり確かめなくてはいけない。そうすることが、属する集団の生存のために役に立つ。

 悪影響にしろ、よい影響にしろ、その影響がただただ大きいことが、その人間がある行動を反復するのに十分な理由なのである。

 そういう意味において人間の行動原理はしごく単純なのである。第一に、利益や権力を追い求める。第二に、行動、状況の評価を行う。第三に、仮説を検証する。人間の行動のすべては、この三つのどれかに当てはまる。


 我々は、自分で自分が反復することをコントロールできると思い込んでいるが、その貧弱な理性によって決定された行動を反復すると決めること、すなわち、理性に肉体が服従するという一連のプロセス自体も、ひとつの反復であり、その反復に賭けている側の人間しか、それを行うことができない。

 それを優越性だと誤認している人間は多いが、思い込みと考えるほうが自然だと私は思う。


 私たちが何を反復するか、すなわち、どのような人間になるかということを決定づけるもっとも大きな要因は、肉体である。次に大きな要因は環境である。私たちの意識や意志決定は、三つ目に数えてよいものだろうかというレベルの話で、上二つと比べてはるかに小さく弱い要素である。

 また、それらの意識や意志決定が他の要素よりも大きくなるかどうかということも、ひとつの反復の結果であり、その反復を形成するのがまさに、肉体と、環境なのである。脳が十分に育っていない人間に意志決定はできないし、言葉をまったく教えられずに育った人間もまた、意識というものを持つのが難しい。私たちは、私たちはどこまでいっても、単独の個体ではなく、群れの中で成立している個体なのである。

 また、意識や意志決定というものが意味を持つのは、間違いなく、同じように意識を持ち、意志決定を行える存在が周囲にいる場合なのである。人間は、他者に強く依存する生き物なのである。


 結論として、人間はどのような行動であっても、それが自らに強く影響する場合、それを反復しようとする生き物である。そしてその反復の目的は、自らの属する集団の生存確率をあげるため、または、生命全体の可能性を広げるためにある。つまるところ、反復というのは、原理上、利他的な行動なのである。

 極論すれば、殺人衝動を抑えられない破滅的な連続殺人犯ですら、殺人を繰り返す根本原理には、利他性があるのだ。周囲の人間を殺害することが、どういった結果をもたらすのか、己の身をもってして周囲に示すことで、もしそれがよい結果をもたらすならそれを模倣させ、そうでないなら禁忌とする。そういう役割を担っているのである。

 ただ忘れてはならないのは、ここでいう「利他的」というは「他者尊重」「個人に対する尊重」ではないということである。ここでいう「利他」は、「全体に対する奉仕」であり、別の個体に対する思いやりとは異なる概念である。

 そのため、ここでは「利他的な行為は、残酷である」という命題が成り立ちうる。


 このテーマにおいて私が語りたかったことを最後に箇条書きにしてまとめる。

・人間の本質は反復にある。

・人間には、事実を確かめたいという衝動がある。

・反復の条件は、その個体に不明な強い影響を与えたこと。

・反復は原理上利他的な行為。

・利他的な行為は時として残酷である。

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