心象風景
腕に生えた毛を見て、荒野の木々を連想した。
荒れ果てた心の現れだろう。
砂の舞う土地をひとり歩いている。喉は乾いていない。足もまだ疲れていない。
すりむいた膝の傷が少し痛む。
人を呼ぶために叫び過ぎたせいで喉が少し痛いが、黙るようになってから、かなりよくなってきた。
遠いところにあるものがよく見えるようになった。
近くて小さいものを見ることの意味を知るようになった。
この世でもっとも重要なものは、各個人の主観的感覚とその意味だ。
主観なき世界は、秩序なき混沌。客観性に整然さは一切ない。
人間の客観性はすべて共有可能な主観の総合である。
共有できないものが切り捨てられ、私たちの世界は貧しくなった。
今や、閉じこもった人間のところにしか、宝物は残っていない。
今や共有された財産はどれも紙幣のように薄っぺらく交換可能なものばかり。
痛みと破滅に向かって行進する人々。みんなで渡れば怖くない。そうして感覚が麻痺した先に待っているのは、穏やかで焦燥的な日常。
矛盾した人生。
一貫性のために殉死する人々は哀れな犠牲者。すべての犯罪者と迫害に関わった人に哀悼の意を。
善人と悪人が平等に扱われる世界を望む。
この世界が、どんな人間にとっても生きる価値のある世界であることを欲する。
もし自分が列の最後尾に立つ人間であっても、それを喜んで受け入れられる世界であってほしい。
「ユートピアを諦めてはいけない」
そう叫ぶことができればどれだけよかったか。
私たちは疑い深くなってしまった。救いようがないほどに。




