ジャコビニ流星群
気分が最悪でも、好きな人が消えてしまいそうでも、世界は続くらしい。
夏休みなんて、あっという間だ。宿題に追われ、竜泪のことを思い悩んでいる間に終わってしまった。
あのペルセウス座流星群の夜から、竜泪とは連絡すらとっていない。どう頑張ろうとも感情が定まらず、同時に思考も散っていて、何を話せば良いのかが分からないのだ。
始業式の今日だって、挨拶もせずに未来の席へと逃げてきていた。
九月一日、朝八時十五分。
久しぶりに集まったクラスメイトたちは、楽しかった夏休みの空気のまま騒がしさを倍増させていた。
「聞いて、聞いて聞いて聞いて〜」
普段の倍のテンションで教室へ駆け込んできた鈴音も、そんなうちのひとりだった。
「鈴音うるさい」
「どうしたの?」
周囲の騒がしさについて行けない沈んだ心は、未来にも内緒だ。笑顔を貼り付け、なんでもないような声を意識する。
でもきっと、本当はバレている。未来の探るような視線がずっと頬に刺さっていた。
良くも悪くも人の機微に鈍感な鈴音はこんな時には頼もしい。その明るさに、三センチくらい沈んだ心が浮上した気もした。
「ふっふっふー」
ニヤつく顔つきとは裏腹に、内緒話の小声で鈴音ははしゃぐ。
「佐伯鈴音。この夏休み、コータくんとついに、やっちゃいました!」
「あんたねぇ」
朝一番の報告がそれかと目を眇めた未来の視線などどこ吹く風。――めっちゃ良かった。と話す鈴音の慣れない話題にドギマギしてしまう。
だって、まだ十五才なのだ。興味はあっても、まだ先の事だと思っている。お子様な思考は相変わらず少女漫画趣味だ。
「和子の前でそんな話しないで」
「だってちょー幸せだったんだよ。この幸せは誰かと共有しないとじゃん? つまりは幸せのおすそ分け!」
「いらない。帰れ」
しっしと手を振る未来に容赦はない。
「まだ帰りませーん。未来は? 夏休みデートした?」
「したよ。お勉強デート」
「はーあんたらしいね。てかそれデート?」
「喜んでたからいいでしょ。あっちは進学校で、課題たくさんあるんだし。一緒にやった方が捗るでしょ?」
「だとしても、私はムリだね」
肩をすくめる鈴音に、でしょうねと未来が言い返した。夏休み前から変わらない二人のやり取りに心はさらに浮上する。けれど。
「和子は? 流れ星見たんだっけ」
鈴音の問いかけに言葉が詰まった。会話の流れ上、鈴音からそう質問されるだろうとは思っていた。思ってはいたが、覚悟は持ちきれていなかったようだ。
「うん、一緒に見たよ。すっごい綺麗だった」
痛む胸にほんの少し間が空いた。
恋バナがしたい鈴音には、うまく誤魔化せたと思う。興味津々の目が話の続きを聞きたがっているようだった。
未来の顔は確認も出来ない。物言いたげな視線が肌をチリチリと刺激している。
さて、そろそろ痺れを切らした未来が何か言ってくる頃だろうか。
それをどう、誤魔化そうか。
絶妙な緊張感を覚え始めたころ、丁度良く隣のクラスの担任が通りかかった。
「佐伯〜、そろそろ教室戻れよー」
「はーい。和子ちゃん、あとでちゃんと聞かせてよ。絶対だからね!」
渡りに船である。この流れで未来からの視線から逃げ、自分の席へと戻ろうと思ったのだ。
「うん、あとでね。未来も、またあとでね」
来た時と同様賑やかしく教室を後にする鈴音に手を振り、未来にも声をかけ足を踏み出した。
しかし、それを許す彼女ではない。
「佐藤となんかあった?」
優しく引き留める未来の手に、笑顔が歪んだ。
「うん……あった、かな?」
質問でありながら、確信を持った言い口にこれ以上誤魔化せる気もしなかった。それでもまだ、どう伝えればいいのかは分かっていない。感情の入り混じった心が、自分の前の席に座る竜泪を見つめた。
「けど今は、ちょっとうまく話せそうにないから。いつかまとまったら言うね」
「ケンカでもした?」
「その方が、良かったかも」
「嫌いになった?」
未来は重ねて問う。優しい姉のような声に泣きそうにもなった。
「ううん。好きだから、困ってる」
「……なら、うん。わかった」
なんとも要領を得ない会話だったが、未来はそれ以上踏み込むことなくいてくれた。
竜泪もそうだ。
教室でも、部室でも、あの日のことへ踏み込む素振りも見せず、ただ側で座り続けている。これまでの日常と何ら変わりない顔つきで、学校へ通い続けているのだ。
彼の思考は、いつだって掴めない。
だから、邪推もする。
竜泪は彼女のいる学校生活をしたかっただけなんじゃないのだろうか、なんて。そんな疑心暗鬼が顔を出したのだ。
だから告白にオーケーしてくれたのではないだろうかと、腹立たしさと虚しさが同時に沸き起こった。
夏休みが明けて十日ほど経った放課後の天文学部は、今日も二人きり。静かな室内がそんなマイナス思考を加速させていた。
「竜泪くんはさ、」
「うん?」
ぽつり、こぼした声は棘だらけ。醜いだけの棘が自分の心も突き刺した。少しも読み進められない本は閉じておこう。これにも、竜泪が消えない方法は載ってないのだから。
心底、嫌になる。目に見える何もかもを傷つけてしまいたかった。
「私じゃない誰かに告白されてても、付き合ってた?」
声に含まれた苛立ちには気付いただろうか。義務的に眺めていた本から顔を上げた竜泪が首を傾げた。
「いや、和子ちゃんだからいいよって言ったよ?」
こういった時の竜泪はズルい。どうしてそんなことを訊くのかと心底不思議そうな顔をして言うから、彼の答えは本心だと分かってしまうのだ。
分かってしまえば、キュンと胸の奥が切なく痛む。胸の真ん中を親指でそっとなぞった。
「和子ちゃんの前に声かけてくれた子もいたけど、目を褒めてくれたの和子ちゃんだけだったし。星に興味津々なとこもいいなーって」
くつくつと笑う竜泪には、やっぱりこの拗れた恋心は分からないのだろう。泣きそうで、苦しくて、怒れて、でも嫌いにはなれない。こんな恋を彼はきっと知らないのだ。
だって彼はただ、宇宙に向けられた好意に喜んでいるだけなのだから。どこまでいっても彼の自認は星なのだろう。
その事実にキリキリと胸が締め付けられた。
「そっか、」
絞り出した声は、苦く笑みを刻んでいた。
「うん。僕もこの目気に入ってるからさ。綺麗って言ってもらえるの、嬉しいんだ。ありがとね」
彼が笑えば目の奥の星もチカチカと瞬いた。全くもって美しい、夜空の瞳。ひと目見た時から大好きなこの瞳もまた、ひと月後には無くなってしまうのだ。
その事実に毎晩のように悲しみが溢れ、怒りが沸き、空気の読めない好奇心が顔を覗かせていた。
どうしたら竜泪が消えないでいてくれるだろうかと考えるのと同時に、どんな風に消えるのかと考えてしまうのだ。
まとまりのない思考が、睡魔をどんどんと遠ざけてゆく。
九月二十五日。
とうとう限界を迎えた身体が知恵熱を出した。ベッドから起き上がる気にもなれず、学校も休んでしまった。それでもなお、思考はぐるぐると回り続けるのだ。うんざりしてしまう。
それでも時おり睡魔に攫われ、うつらうつらと浅い眠りが訪れる。見る夢は大抵が悪夢だ。思考の一部と混ざり何処からが夢だったのかも分からない。その中で、記憶の断片が紛れ込み、思い出された鈴音の言葉に思考がストンと落ちた。
同日、午後三時。
――あ、そっか。竜泪くんの赤ちゃん産めばいいんだ。
竜泪が、未来に連れられ家を訪ねてきた。
「どうしてもって言うから連れてきちゃった。ごめんね、和子」
「んーん、いいよ。私もちょうど会いたかった」
小声で交わす会話に、竜泪は聞かないように顔を背けてくれている。なんとも優しいカレシを、未来は冷めた目でチラ見した。
「まだ好きなら、ちゃんと話し合いなよ」
それでも踏み込むような真似はしない。未来は今日の分のノートを手渡して早々に帰ってしまった。言葉通り二人きりになれるよう、気を使ってくれたのだろう。彼女の気遣いに感謝した。
「和子ちゃん大丈夫? 熱、下がった?」
だって今から二人きりじゃなきゃ出来ないことをしたいんだもの。閉じられた部屋の中で、うっそりと、笑って竜泪を手招いた。
「竜泪くん、ちょっとこっち来て」
「うん、」
良識的な距離に座っていた場所から、もっと、もっとと、ベッドの上まで座らせ、まだ硬い、ワイシャツの襟を引っ掴んだ。
「えっ、ちょっ……と、和子ちゃん?」
バランスを崩し、慌ててついた竜泪の両手は顔のすぐ側。もうちょっとでキスも出来るだろう。戸惑う竜泪に艶然と笑んだ。
「ね、竜泪くん。セックスしよ」
「……え?」
聞き返す竜泪の顔にクスクスと笑う。
「セックス。竜泪くんの赤ちゃん産むの。だから、セックスしよ」
改めて素晴らしい考えだと思う。彼は消えてしまっても、彼の生きていた証は残せるのだ。できれば彼に似た男の子が良いのだけれど、彼の血を残せるのならば性別はさして問題ではなかった。
とにかく、彼との子どもが欲しい。
頭の中はそれでいっぱいだった。
なのに、目前の竜泪は息を止め、それからゆったり首を横に振るのだ。
「しない。しないよ、そんなこと。僕はしたくない」
その酷く冷静な声に苛立ちがつのる。
「なんで」
どうして、そんなことを言うのかと。涙まで滲んできた。いっそ無理やりにでもキスしてやろうと襟首を更に引いてもみたが、彼の方が力は上だ。敵いはしない。男女の力量差に歯噛みした。
「和子ちゃん。嫌だよ。離して」
「だから、なんで嫌なの」
宥める竜泪の声に、反論が上擦ってゆく。
「僕自身があり得ない存在なんだよ。まず、やったところで子どもができるとは思えない。もし出来たとしても、僕は親としての責任をとることが出来ないんだよ。そんなの、無責任すぎる」
「けど私は欲しい。竜泪くんとの赤ちゃんが欲しいの」
「いいや、あげない。和子ちゃん。僕の未来は何ひとつ、君にあげられないんだよ」
「なんでそんなヒドいこと言うの」
「言われるがまま、セックスするヤツのほうがヒドいヤツでしょ」
最悪なことに、頭の中の冷静な部分は、竜泪の言い分が正しいことをきちんと理解していた。
正しいと分かっているから、悔しかった。
悔しくて悲しくてやっぱり怒れて、感情が止まらない。
「じゃあ竜泪くんは、なんで私と付き合ってくれたの? 私のこと好きじゃないのに付き合ったなら、そっちの方がヒドイヤツじゃん」
「……どうしてそんなこと聞くの?」
静かに竜泪は問うた。慰めようとしてでは絶対にない。心の底からの問いかけに笑った。
「だってホントに好きなら、私のこと置いて消えるなんて考えないよ。もっともっと長い時間一緒にいたいって、思ってないんでしょ?」
「好きなら、思うものなの?」
とつとつと、凪いだ声が苦しい。
「思うよ。私は、思ってるもん。なんでそんな簡単に消えるとか言えるのか、ぜんぜん分かんないよ」
「和子ちゃんのことは特別だと思ってるよ。言ったでしょ、僕の目を綺麗だって言ってくれた特別な子だって。一緒にいて楽しいから、あの時いいよって言ったんだって」
「けど、好きじゃあないんだ」
「それは……分からないけど。ん? でもこれが好きってことなのかな? んー。けど和子ちゃんが違うって思うなら違うのかも?」
「なにそれ、サイテー。最低で最悪じゃん」
「うん、ごめん」
「謝るくらいなら、消えるのやめてよ」
「えぇ…っと、それは、んー」
穏やかに、感情を揺らす素振りも見せない。優しいばかりの彼の声に、答えが変わることはないと知っていた。
どうやっても消えるのだ。彼は、この秋に。
「悲しくないの?」
私は、悲しいのに。彼は悲しくない。
「なにが?」
「この世から消えちゃうことが」
「……んー、消えは、しないからなぁ」
尋ねたら、また意味の分からないことを言う。
「どっちよ」
「佐藤竜泪個人は消えて無くなるけど、佐藤竜泪を構成していた物質はありとあらゆるものに混じるだろうから、逆に言えばそこら中にいるってことにもなるんじゃないかな? 僕も和子ちゃんも、結局はみんな星屑の成れの果てなんだしさ。いつかは別の何かに成るかもしれないし。だから、別に悲しいとかはないかなぁ」
「何それ、意味分かんない」
けど、意味は分からなくても。
「プラネタリウムで言ってたでしょ。宇宙が生まれてこの方、星はずっとずっと生まれて死んでまた何かになっての繰り返しをしてきたんだ。僕が消えて無くなるのだってその一部でしかない。たったひと時姿形が無くなることを、どうして悲しむの?」
チカチカと瞬く夜空の瞳が自分と違うものを見ているのは知っていたんだ。
「竜泪くんは、星なんだね」
だからほら、夕暮れの一番星。一等星が笑った。
「うん、僕は星だよ。今も、この先も、ずっと」
「それでも私は、佐藤竜泪に消えて欲しくないんだよ」
「うん。でも僕は、この秋に消えたいんだよ」
まるで遠い夜空に輝く星のように、彼はどれだけ手を伸ばそうとも、掴めそうになかった。
それでいて、未だ諦めることも出来ずにいる。
馬鹿みたい。自分でもそう思うのに。スマホの検索履歴はジャコビニ流星群や宇宙の謎で埋まっていった。『星と人間のハーフが流星群の大出現の夜に消えるのを止める方法』とAIに聞いたところで物語扱いだ。
過去には予想が外れたという記録も見つければ、眠れないほど大興奮した。
その翌日から『大出現 予想 外れる確率』と毎日検索しているが、結果に変わり映えはない。
例えば私が少女漫画の主人公なら。きっと、偶然にも同じ体験をした人の古いネット記事を見つけられるのだろう。
もしくは部室に並んだ本の間から、竜泪の消えない方法が記されたノートを見つけたはずだ。
けれど現実はそう上手くいかない。
毎日、時間ばかりが過ぎてゆき、気付けば九月も終わりかけ。クラスのみんなは文化祭だ体育祭だと盛り上がる中で、変わらない笑顔を浮かべる竜泪をぼんやりと眺めていた。
彼は、どうやって消えるのだろう。
消えて欲しくないと願いながら、ずっと、その考えを捨てきれないでいた。
十月の始め。
大出現は奇しくも土曜日と重なった。
夏と同じく竜泪からの招待を受け訪ねた彼の家では賑やかしさもなく、ただひたすら穏やかに流れる時間を過ごしていた。
竜泪は本当に、今夜消えるのだろうか。
もはや絶望を通り越した心は、いっそ静かだ。音の少ない海の底で座り込んでいる気分である。空はどこまでも遠く、理子の気遣いも右から左へ通り抜けていた。
気付けば夕暮れの近い時刻。色を変え始めた光の色をぼんやりと眺めていた。
ジャコビニ流星群は、夏に見たペルセウス座流星群と違い夕方頃から始まる。星が流れる速さも遅く、ゆったりとした印象を受けるらしい。
「和子ちゃん、行こう」
水底に座り込んだ腕を竜泪が引っ張った。
なら、夏に見たペルセウス座流星群とは、どれくらい違うように見えるのだろう。
疑問を覚えながら見上げた空は、夕暮れと夜の間の子。まだ赤みの残る空の下で、涼しくなってきた風が木々をざわめかせていた。
「あっ!」
はしゃいだ声を上げたのは竜泪だ。指さした方向を眺め続けていれば、確かにゆったりと走る光の線が見て取れた。
さすがは大出現と予測されただけのことはあるだろう。さほど待たずに現れる光の線は、こんな時でも美しい。
ひとつ、またひとつと、流れる星を眺めている間に夜は更けていく。
今は、何時なのだろうか。
ただひたすらに星を眺めていた心が時間を忘れていた。
まだ数分しか経っていないような気もするが、もう何時間も空を眺めている気もする。
木々が囁く静かな夜。隣には、まだ竜泪がいた。夏のペルセウス座流星群の時と同じように上へ、上へと手を伸ばし、晴れ晴れとした笑みを浮かべながら。
「ねぇ、和子ちゃん」
ふいに竜泪が呼び掛けてきた。
「ん?」
応えてから、彼と会話らしい会話をするのは久しぶりだなと思った。夜の中でも美しい、彼の目をこんな間近で見るのも、久しぶりだった。
じっと見すぎたのだろう。くつり、竜泪が笑った。
「和子ちゃんはさ、僕の目を綺麗だ好きだって言ってくれるでしょ」
「そうだね」
迷うことなくひとつ、頷く。今も好きだよ。言葉にし忘れた思いは結局飲み込んだ。笑みを深めた竜泪の表情に、なんだか伝わっている気もしたからだ。瞳の奥でチカチカと瞬く光にもまた、今までにない色が宿っている気がして息を詰まらせた。
「僕もね、いつも真っ直ぐこっちを見てくれる和子ちゃんの目、好きだよ」
それは、あまりにも無邪気な告白だった。無邪気だからこそ、たちの悪い告白である。
――っざけんなよ。
ずっと心を沈ませていた海の底が、強く揺れた。
これは、怒りだ。ようやく今に追いついた、置いてけぼりにされていた感情たちが心の中で暴れ出したのだ。
「……こんな時に言うとか、ほんとサイアク」
「あはは、ごめん」
なに笑ってんの。睨みつけたところで竜泪の表情は変わらなかった。ずっとずっと、彼は穏やかなまま理解出来ないことを言う。
「でも、だから、ちゃんと見ててね」
「は?」
「人として生きて、星として消える、僕の終わり。僕という星屑の成れの果てを、ちゃんと見ててね」
わだかまった感情が喉に詰まり、嫌だとも、うんと頷くことも出来なかった。それでも竜泪は満足気に笑い、チカチカと瞬く夜空の瞳を細めた。
ほんと、サイアク。涙声に自分で苛つく。だから、滲んだ涙を拭い取り、睨むように竜泪を見据えた。
「竜泪くんなんて、大っきらいだよ」
わはっと竜泪は笑った。今までで一番楽しそうに、彼は笑っていた。
「竜泪、」
そんな息子を咎めるように、理子は彼の名を呼んだ。呼ばれ振り返る息子に反省の色は見て取れない。
代わりに滲んだのは深い情愛だ。それは母を思う愛であり、長く見続けてきた人の子を思う愛でもある。不思議な声音が耳に触れた。
「理子さん、色々ありがとね」
「こちらこそ、私の子として生まれてきてくれてありがとう。竜泪。愛してるよ、ずっと」
そう言って、理子は息子の身体をぎゅっと抱き締めた。
「うん、僕も。大好きだよ」
竜泪もまた、理子を抱き締め返す。その背丈は、母を少し越していた。
最後の別れを待っていたように、空にはいくつもの星が雨のように流れてゆく。やはり、美しい。その景色を背景に、竜泪の身体が淡く光りだした。ほろほろと、毛先や指先からは光の粒がこぼれ落ちていく。
「見て、和子ちゃん」
そんな自分の姿に気付いた夜空の瞳が煌めいた。
「うん、ちゃんと見てるよ」
彼の輪郭が揺れ、風にふわりと光の粒が浮く。
あぁ本当に、ほんとうに、竜泪が消えてしまう。
ようやく理解した心が震え出す。いま目にしている現象は現実のものなのだと、呼吸を浅くして。
彼の消えていく様を、じっと見つめ続けていた。
竜泪はもうこちらを見ていない。
遠い日には同じ一部だった流星群を眺め微笑む。薄い唇が小さく音を紡いだ。
――ただいま。
その時。強く、一陣の風が山を揺らした。思わず瞼を閉じた一秒にも満たない空白の時間。
ほんの刹那。……だったのに。
目を開けた頃には、竜泪の姿はもう、どこにも見当たらなくなっていたのだった。
大声で、泣ければ良かった。理不尽に嘆き、この世の終わりとばかりに叫べれば良かったのだ。
けれど。
やっぱり私は、少女漫画の主人公にはなれないらしい。
度々滲む涙を拭い続けながらこの目は、ただ真っ直ぐに、彼を連れていった流星雨を見つめ続けていた。




