エピローグ 流星に恋
心底腹立たしくとも、好きな人が消えてしまっても、世界は続くらしい。それはもう、清々しいほどに。
十年前、記録的なジャコビニ流星群が大出現した夜。好きだった人が文字通り消えてしまった。当の本人は最後まで飄々と、宇宙へと還ることを喜びながら。
世間的には土日の明けた月曜日の午後に、彼の不在は知れ渡った。
家に帰らないことが日常茶飯時の母親に、どこか浮世離れした当人の突然の不在。事前に準備されていた竜泪直筆の手紙で家出を仄めかせば、元より噂のあった親子だ。周囲はあまり騒ぎにもせず、季節が変わる頃には話題に上ることも無くなっていた。
「和子、あんた何か知ってるんでしょ」
未来からは幾度かそう尋ねられた。もちろん警察や教師、鈴音からも訊かれはした。けれど、返答はいつも同じ。首を横に振るだけだ。
「本当に知らないよ。私は竜泪くんのこと、なんにも知らないの」
それは、十年経とうと変わりない。
貪るように知識を蓄え続けようとも、だ。
この衝動が、恋心ゆえの必死さならばまだ可愛げがあっただろう。しかし残念ながらこの知識欲は、目の前に残された大きな課題を紐解こうとする好奇心によるものでしかなかった。
彼を探そうとも思っていない。佐藤竜泪いわく、彼はこの世のありとあらゆる物質に混ざっているらしいのだから。
知りたいことは、そんなことではないのだ。
何を調べればこの理不尽を理解できるのだろうか。
何を調べれば、彼の正体を知れるのだろうか。
何を知れば、彼の言葉を理解できるのか。
表層を撫でるだけの知識がもどかしく、苛立たしかった。
何が分かっていないのかも分からないのだ。
あぁ、悔しい。
そんな怒りをエネルギーに突き進んだ先は、竜泪の母、理子と同じ星の研究者という道だった。
そうして気付けば十年の時が経っていたのだ。
ちょうどいい区切りの時でもあった。
ふと立ち止まった足を見透かしたように、理子からショートメッセージが送られてきた。
久しぶりに来たその連絡は、佐藤竜泪の葬式の知らせ。参列者はたった二人。空っぽの棺の前で行われた式は、人として生きた彼を終わらせるためのものであった。
悲しみも寂しさもさほど無く、懐かしさばかりが胸に湧いてくる。静かな式。
写真立ての中には、確かに彼がいた。
「理子さんは、竜泪くんのこと調べようと思ったことはないんですか?」
少し話でもという理子の誘いを受けて留まった、竜泪の家のリビング。どうぞと渡された緑茶の、温かな湯気の向こう。理子は不躾な問いかけに、十年分年を経た姿で否定を示した。
「生まれがどうであれ、お腹痛めて産んだ子どもだからね。髪の毛一本たりとも、研究者にあげたくなかったかなぁ」
「まぁ、わかります」
分かると言うよりも、そうだろうなという予想が当たっただけである。でなければ、葬式なんかしないだろう。なんせ彼女は、人として生きて星として終わりたいという、竜泪の願いを叶えるために石を飲み込んだのだから。
「分かるんだ」
勇ましい母親は、にんまりと笑った。
「まぁ、人としては当然そうだよなぁと思うので。けど、研究者としては、惜しい気も、してます」
倫理に反している自覚がある語尾は弱々しい。理子が肯定してくれたのが幸いだった。
「研究者としては……確かに、分からなくもないんだけどね。ちなみにでごめんね。もしかして、と思ったんだけど。違う?」
しかし続いた質問の意味は分からない。なにが違うと言うのか。嬉しそうに指さされた左手薬指の指輪を眺めた。
……もしかして、子どもが出来たからそんな質問をしたのかと勘違いさせたのだろうか。
はたと気づき、不躾な質問をしたと慌てて手を振り否定した。
好奇心は猫を殺す。反省しよう。
「いえまだ、博士終わって研究所入れたら二、三年は働きたいって今は話してますし、なので、まだ、です」
そしてたぶん慌てて喋りすぎた。気付いた時には後の祭りだ。くすくす、笑ってくれた理子に救われる。
「そっか。ちなみに、お相手も研究者の方?」
「はい。ゼミの先輩です」
言ってから、今度はこちらが思い出し笑い。理子がどうしたのと視線で問うてきた。
その顔つきに、遠い記憶がちらついた。
「いえ彼に、今日は人生を狂わせた元彼の葬式だって言って来たんですけど、そしたら、計算間違えそうだから自分も休むって言われたのを思い出しまして」
「ふふ。和子ちゃん、分野何にしたんだっけ。今どこらへん?」
「博士課程に入ったとこです。分野は……ムカつくけど、流星分光学ですね」
「あらぁ」
まん丸く見開かれた黒い瞳は美しく。その奥に星を探してしまうのは、仕方がないだろう。
「席空けとこうか?」
「……最悪、頼みます」
楽しみにしてるねと笑う。理子のその表情が、竜泪によく似ているから。
どこまでも優しく、柔らかに目尻を下げる。その姿に、無意識は婚約指輪を撫でていた。
もうこの世界の何処にもいない、彼を想って。
あの日から、この世界のいたるところにあるのだろう彼を想って。
きっと生涯解けはしないだろう。
まだ明るい、空を見上げた。




