ベテルギウス
竜泪くんが彼氏になった。偶然前の席になった男の子で、偶然同じ部活に入った男の子が、だ。しかもイケメン。それも最初はウザったい前髪のモサ男だったのに、私が彼の目を褒めたから前髪を切ってきたと言ったイケメン。そんな男の子が、私の彼氏になった。
それってなんだか、すっごく、少女漫画の主人公みたいじゃない?
「和子、早く食べないと昼休み終わっちゃうよ」
ここ数日、ふわふわと浮かれて緩んだ頬を未来がつついてくる。そろそろウザいらしい。その言い分は分からなくもない。けれど。それでも。ついニヤけてしまう。
昼休み。
隣のクラスからお弁当を持参してきた鈴音が「ほんと良かったね」とにんまり笑った。
あの日以来交流が続いている。未来曰くうるさい鈴音の明るさが、騒がしい昼の時間をさらに賑やかにさせていた。
「うん、ありがとね鈴音ちゃん」
「どういたしまして。ちなみに私も彼氏出来たから連休にダブルデートでもする?」
「ん、ぐっ――」
びっくりし過ぎて、お茶が変な所へ入った。
竜泪に告白しようか悩んでいたのは、つい三日前のことだったように記憶しているのだけれど。……どういったことだろうか。咽る背中を未来に撫でられながら、目を白黒させた。
「純粋な和子を惑わせないでくれる? 私はこの子の少女漫画趣味なところ大好きなんだから」
すかさず苦言を呈した未来だが、なんだか引っ掛かる言い方だ。
「未来ちゃん、私のことちょっとバカにしてない?」
「あら、そこが長所でしょ?」
やっぱりちょっとバカにしてるだろう。未来をじろりと睨んだ。しかしそんな視線もどこ吹く風。未来は、勝ち誇った猫みたいに笑っていた。オオアリクイの威嚇ポーズで対戦しようか。
喧嘩にはなり得ない、じゃれ合いが始まりかけたところへ鈴音が割って入ってきた。
「佐藤は顔好みだからって言ったじゃん。本気とかじゃなかったし。飯田も顔いいからおっけーしちゃった。てか、未来もいるじゃん彼氏。みんなで一緒に遊ぶ?」
その楽しげな提案に、今度はそっと未来を伺った。
鈴音の言う通り、未来には中学時代から付き合っている彼氏がいるのだ。高校進学の際に進路が分かれたため、今はそれぞれ別の高校に通っている。会える時間が減る分、別れるカップルも多そうだけれど、続かなかったらそれまでだと割り切るところはさすがだ。
ラブラブというよりかもはや熟年夫婦にも見える。
恋愛の大先輩は、呆れたようにため息を吐き出し鈴音を睥睨した。
「忘れてそうだから言っとくけど、私もあなたも、なんなら飯田もみーんな連休も部活あるからね。夏の大会まで時間ないんだよ? 一年が足引っ張るようなこと出来ないでしょ」
「分かってるよぉ。言ってみただけじゃん。ね、和子ちゃん。ゴールデンウィークも部活頑張ろうね」
しおしおと、しぼんだ鈴音に同意を求められるも答えには窮する。
「えっと……二人とも、頑張ってね」
なんせこちらは幽霊部員がほとんどの天文学部だ。わざわざ休日に活動などするはずがないじゃないか。顧問に打診してまでやりたい事があるわけでもない。
しかし逆に言えば、用事を作らなければ竜泪とは数日会えなくなるということでもある。
せっかくの初彼氏がいる連休だというのに!
けれど未来から揶揄されたように、少女漫画趣味の自分ではどう竜泪を誘えば良いのか分からなかった。一緒に遊ぼうと言っても、女友だちと遊ぶ時とは行き場所も違うだろう。
竜泪の好きな食べ物さえまだ知らないのだ。
ツマンナイ子だってがっかりされたくない。せっかく付き合えたのに、すぐ飽きられたらどうしよう。
その気持ちばかりが先行して、頭の中はこんがらがっていた。
いつもなら次々とページを進める本も、今日は手に持っただけで何も頭に入ってこず。図鑑の中で赤々と輝くベテルギウスをじっと見つめていた。
「和子さん、大丈夫?」
ずっと同じページから進まないこちらの様子に気が付いたのだろう。竜泪が顔を覗き込んできた。
「具合悪い?」
「えっ、だ、大丈夫! ちょっと考えごとしてただけ!」
間近にある竜泪の顔にドキドキと心臓が大きな音をたてる。そっか、なら良かったと微笑んだ顔にはキュンと縮んだ。
何だか数日前にも同じような動きをしていた気もするが、毎日新鮮なキュンを味わえているとも言えるだろう。
閑話休題。
図鑑いっぱいに映された星々に竜泪が、何かを思い出したような顔つきをした。
「ね、和子さん。ゴールデンウィークってどこか時間ある? プラネタリウムのチケットもらっててさ、良かったら一緒に行かない?」
「行く!」
さらりと、それこそ少女漫画のような誘いに勢い込んで頷いた。驚いた竜泪が目を見開き、顎を引いてこちらを見ている。あ、やっぱ目キレイだな。場違いな感想が頭の中で火花を散らした。
「あ、えっと。よかった」
「う、うん。プラネタリウム。楽しみ」
なんだか付き合ってからの方が会話がぎこちない気がする。けれどもそんなことさえ楽しく思えてしまうのだから、恋とはなんて良いものなのだろうか。
世界に色が付く。その意味を分かった気にもなる。
背伸びした恋心が、不必要に前髪を整えさせていた。
せっかくの初デートなのだ。気合も入るというもの。
竜泪は、どんな格好が好きだろうか。幸せな悩みがぐるぐると頭を占領する。
可愛い系だろうか、クール系だろうか。スポーツ系かもしれない。いや、それは無いか。
直接聞けないまま、鏡の前でひとりファッションショーを繰り返した。
メイクは未来に教えられながら盛りすぎず、でも可愛く。トップスはハイネックの白いノースリーブリブニット。ロングのチュールスカート、スニーカーも真っ白だ。デニムジャケットとパールのショルダーストラップ、それから水色のバッグを組み合わせれば初デートコーデの完成である。
竜泪は何と言ってくれるだろうか。指先でもじもじとショルダーストラップをいじりながら待つ。
待ち合わせ場所は、プラネタリウムが併設された科学館最寄り駅だった。
約束の時間まであと五分。通り過ぎる人たちをチラチラと眺めながら竜泪の到着を待っていた。
「和子さん、お待たせ」
ごめんねと小走りにやって来た竜泪は、白い薄手のパーカーに明るいベージュのパンツ、デニムジャケットと図らずもお揃いのようなコーディネートだ。
「お、おはよ、竜泪くん」
制服とは違う格好に顔が熱くなる。
「おはよ。可愛い格好してるね。髪もいつもと違う」
さらに、的確に今日の姿を褒めてくれるものだからもう最高に幸せだ。気恥ずかしさに無意味にスカートを直してしまう。ありがと、と小声で返すだけで精一杯だった。
竜泪はそんな姿をしげしげと眺め続け、それから、未来の教え通り肩を落として着ていたデニムジャケットを引き上げてきた。
「うん……可愛い。けど、中寒いかもしれないから、ね」
これ以上、何があるというのだろう。幸せに翻弄され、放心していた手を竜泪はするりと繋いできた。
えっ、と固まった体がグンと引っ張られる。見上げた竜泪は顔色を変えないまま――行こう、と気軽に一歩を踏み出していた。
流石に連休だけあり、科学館の中には小さな子どもが多くはしゃいだ声を上げていた。何年後かには自分たちも、と膨らむ妄想に顔がニヤつく。
展示はそんな小さな子たちでも楽しめる内容が多く、説明文も分かりやすい。だからといって高校生が楽しめないわけでもなく、成長して色んなことを学んできたからこその面白さもあった。
ひとつひとつ興味深く眺めていれば、プラネタリウムの上映時間まであっという間だ。
あれだけ意識していた竜泪のことさえ、時おり忘れる程。集中し、沈んでいた思考の底を、クスクスと軽やかな笑声が揺らした。
「和子さん、そろそろ上行かないと良い席とれないかも」
見上げ、はたりと瞬きをひとつ。周囲の景色と音がどっと戻ってきた。
「わっ、あ、ごめん。ひとりで楽しんじゃってた」
「いーよ、大丈夫」
柔らかに、垂れた眦の優しさに胸が痛む。
「ほんとごめん。竜泪くんは、楽しめてる?」
「充分。楽しんでるよ。さ、行こっか」
たぶん嘘ではないだろう。体温の低い彼の手に引かれ、本日のメインであるドームシアターのある階へと階段を上っていった。
いよいよと入ったプラネタリウムの中は意外と明るく、天井いっぱいのスクリーンの大きさに首を巡らせた。ここへどんな映像が映されるのだろう。はしゃぐ心がおすすめだという上の方の席へと向かう足を軽やかにさせていた。
時間帯や入場の制限もあり、下の階で見た小さな子どもたちの姿は見えない。静かなざわめきは潮騒にも似ていた。
これから始まるのは、近くにある天文台から来た研究者が解説をしてくれるという、ゴールデンウィーク特別回だ。
「楽しみだね」
「うん、そうだね」
そして初デートの最中でもある。
小声で交わす会話に、いつもより近い距離。集中力の途切れた意識はそんなことばかりを気にしていた。急に手をつないできたらどうしようだとか、もう少し竜泪の方へ寄ってもいいだろうか。……なんて。
浮ついた気持ちはこれまた、上映が始まってしまえば宇宙への興味へと移り変わっていた。
スクリーンいっぱいに映された星空が圧巻だったのだ。普段ならば街明かりで見えない小さな星まで眼前に溢れ、宙に溺れてゆく。
遊び心だろう。流れた一筋の光に竜泪があっ、と小さく声をもらした。喜びの滲んだその声はまるで、本物の流れ星を見つけたかのよう。なんだか可愛らしい。彼の新しい一面に、ちらりと横目へ向けた。
「今の時期には見えない星ですが、星の生涯話す上で外せない星をひとつ紹介させてください」
視線はしかし、穏やかな解説の声にすぐ上方へと戻される。
上空には冬の星座であるオリオン座が瞬いていた。矢印で示されたのは左上の星。あの日、図鑑の中で赤々と輝いていていたベテルギウスだった。
星としては寿命を迎えているらしいその巨星が、本当の最期、超新星爆発を起こすのはまだ十万年も先のことだという。
宇宙の歴史からみれば、もうすぐなのだろう。時の流れは、けれど人から見れば随分と遠い話であった。
あっという間の三十分だった。興奮を通り越した思考は呆け、手に入れた知識が次の疑問へと貪欲に手を伸ばしていく。
確か宇宙の展示はひとつ下の階だったか。早く行こうと無言で連れ合いの手を引っ張った。
「楽しかったね」
「……うん」
会話もおざなりだ。気の急いた足がチュールスカートに絡みつく。
興味はすでに展示へと移っており、無意識に説明文へと吸い寄せられていた。
ここは、竜泪が勉強をしていると言っていた星の成り立ちや終わりについての話のようだ。竜泪が調べているのならと、あまり手を付けていなかった部分でもある。つい先ほど聞いたばかりの知識と照らし合わせながら説明文を読み耽った。
それにしても、宇宙は広い。自分が知らないこともまだまだ山ほどあるというのに、研究者ですらまだまだ調べられていないことが山ほどあると言うのだ。なら自分は何を知ればいいのだろうか。どうすればもっと深く宇宙のことを知れるのだろうか。
ぽつんとひとり、宇宙空間に放り出されたような無力感に苛まれる。
飢えたような知識欲はしかし、くすくす、斜め後ろから聞こえてきた音にまた目の前の景色へと呼び戻された。
――待って、いまデート中!
思い出した意識がはっと彼を見る。
「ご、ごめん! またぼーっとしてた!」
「ううん、和子さんが楽しいならいいんだ。僕こそごめんね、あんまり楽しそうだから、嬉しくなっちゃって」
もう少し見て回る? 優しくかけられる声に今日何度目かの胸の高鳴りを覚える。
ほんと、最高のカレシだと。きっと子どもにもこうして優しく接してくれるのだろうと。同時に戻ってきた乙女思考が暴走を始めた。
それは竜泪と駅で別れ、家に帰っても止まることなく。
期限を知らない幸福を膨らませたのだった。




