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目が眩む

 Q流れ星ってそもそもなに?

 A宇宙の塵が大気圏にぶつかって燃えた光の軌跡。

 Q塵? なにそれ。

 A主は彗星や小惑星の破片。

 Q破片? なんで欠けるの?

 A例えば彗星は熱で氷が蒸発した際に放出される。

 Q氷? 宇宙に氷があるの?

 入部から二週間。何気なく調べ始めた好きのかけら。流れ星なんて小さな子どもでも知っている現象が、次々と疑問を芋づる式に引きずり出してゆく。

 興味が尽きない。授業よりもはるかに面白い天文の世界に、すっかりのめり込んでいた。

 逆に隣で同じように本を捲る竜泪は、相変わらず参考書でも読んでいるような顔つきである。興味もあるのか、無いのか。以前より見やすくなった表情は、まだまだ読み取れるほどの鮮やかさは見えてこなかった。

「ねぇ、宇宙に氷あるんだって」

「氷?」

 話しかければ、それも溶ける。柔らかに動きだした口元が微かに笑みを浮かべた。部活の時は横並びに座っている分、前後で座っている教室より何もかもが近い。

「へぇ、どれ?」

 綺麗な顔がさらに距離を詰め、本を覗き込んできた。ほのかに香る竜泪の匂いにドキドキと心臓が駆け足を始める。

「えっと、ここ、ほら」

「ん、んーごめん。ちょっと読めないかも……」

 指し示した小さな文字に目を眇め、さらに竜泪は椅子を寄せてきた。

「ここの彗星ってやつ」

 ドキドキ。憧れの少女漫画みたいなシチュエーションだと、心臓は高鳴らせた。そう、思っていたのも束の間。

 指さした本の中の宇宙に、意識はどんどんと惹き込まれてゆく。口つきは気付かない間に、早口となっていた。

「この彗星ってやつが氷で出来てるんだって。で、氷で出来てるから“汚れた雪だるま”って呼ばれてて、そこから太陽の熱とかで放出? された塵が流れ星になる……んだけど。え、待って。わたしゴミに感動してたってこと?」

 一区切り。結ばれた言葉尻にクスクスと笑う声が重なった。

「ゴミではないでしょ。星の破片って書いてあるし」

 チカチカ、間近で瞳の奥の星が瞬く。いつの間にこんなに近くなっていたのだろうか。右側に感じる体温に、今さら熱の上った頬を隠すように本へと視線を戻した。

「それもそうだね。うん、変なこと言った」

 ごめんと、自分ごと心を誤魔化すように早口で謝る。挙動不審なクラスメイトに、微かな笑い声はつむじの上から降ってきた。

「ううん、面白いよ」

 喉を鳴らすように笑う。

 ちょっと低い彼の声がまた、心を揺さぶった。

 ――それで、実際のところどうなの。

 尋ねてきた未来は、購買で買ってきたペットボトルの紅茶をひと口飲み込んだ。

「どうって、何が」

 昼休みの騒がしい教室の中。尋ねられた意味が分からず、お弁当の唐揚げを頬張りながら首を傾げる。

「何がって、佐藤と」

 未来は竜泪のことを佐藤と呼んでいる。他にもいる佐藤と区別がつかないとも思うけれど、今のところ呼ぶ用事もないから困らないという。

 その佐藤竜泪と、実際どうなのとは?

「だから、どういうこと?」

 まどろっこしさに声が剣を帯びた。「あーなるほど?」片眉を器用に上げた未来は口元をニヤつかせる。悪い顔である。これはまた、妙な事を言い出しそうな……。美人がやると迫力が増す、見慣れた顔からお弁当へと視線を戻した。

「二人が付き合ってるって噂はまだ知らないわけか」

 ――……え? 

 思いもかけない噂にブロッコリーを取り損ねた。

「誰と、誰が?」

「だから、佐藤と和子が」

 さらりと答える。未来は次のサンドイッチの山を齧った。

「な、ないよ! ない。席が前で、天文学部実質二人しかいないから、喋ってるだけ」

「そう。そうやって二人が楽しそーに話してるから、佐藤はもう和子に売却済みってわりとみんなに思われてるわけ」

「別に普通に喋ってるだけだって」

「ふーん。じゃあ和子は佐藤のこと好きじゃないんだ」

「す……」

 好きなんかじゃない。言いかけて止まる口は正直だ。本当はちょっと好き。でも、本音はまだ恥ずかしくて言えないから。

「目が綺麗だなーとか、かっこいいなーとは思ってるよ、」

 親友相手にも誤魔化してしまう。くぐもる声を白米と一緒に飲み込んだ。ため息をついた未来の声には心配ばかりが含まれている。

「そんなこと言ってると、他の子に取られちゃうよ。髪切ってから佐藤、人気なんだから」

「うん……」

 分かってるよ、ちゃんと。

 そんな会話をした放課後のこと。

 今日も今日とて二人きりの天文学部の部室の中。背の高い本棚から、気になる本を探しながら未来との会話を反芻していた。

 日中は竜泪を見に教室へ覗きに来る女子生徒も、さすがに部室までは追いかけて来ず静かなものだ。幽霊部員や先輩方ならば来てもおかしくないのだが、恋人だと勘違いされているのが効いているのか誰かが来る様子もない。

 竜泪は、知っているのだろうか。自分たちが周りからどんな風に思われているのかを。

 嫌がられたら、どうしよう。

 ふいに心配が顔を出す。逆に、気にしてもらえてたなら嬉しいけれど。残念ながら、竜泪から恋愛じみた好意を感じたことはなかった。

 つらつら、考えごとをしながら眺めていた背表紙のひとつに目が止まる。背伸びしても微妙に届かない場所にあるその本に爪先を引っ掛けた。

 ……ちっとも動かない。己の各所様々な長さの足りなさに、ため息がこぼれ落ちた。

 なんだか負けた気持にもなるけれど仕方がないだろう。諦めて椅子でももって来ようと視線を下げた時、ふいに頭上に影が落ちた。同時に、温もりが背中に触れる。

 ――……え?

 身体が凍りついた。

「これ?」

 そうして短い問いかけと共に眼の前に差し出されたのは、先まで手を伸ばしていた本である。振り向けば、ほぼゼロ距離に竜泪が立っている。そのあまりの近さに、心臓が壊れそうなほど早鐘を打っていた。

「う、うん。ありがと、」

「どういたしまして」

 なんとかお礼を告げれば、柔らかに目尻を下げいつもの席へと戻ってゆく。紺色のブレザーの背中に、顔が熱くなった。

「ねぇ! 好き!」

 靴を脱ぎ散らかし、階段を駆け登り、制服のままベッドへと飛び込んだ決壊寸前の心を放流する。電波越し、一足遅れて帰る幼なじみはまだ外にいるらしかった。

「和子、靴ぐらいちゃんと揃えなさい」

 下の階からはママの小言が聞こえてきたが無視をする。だってママは何も分かっていない。娘は今、今世紀最大に大変なのだ。

 昼間には誤魔化していたというのに、だ。

 しかし流石は幼なじみ。どうやらとっくに見抜かれていたらしい。

『知ってるよ。で、いつ告るの』

 さらりと返された質問に言葉を詰まらせた。

『認めた勢いで明日言っちゃえば?』

「明日はムリでしょ!?」

『なんでよ』

「そこまでの心の準備ないよ。それに竜泪くんはわたしのことただの同級生って思ってるかもしれないし、付き合うってどうすればいいか分かんないし」

 唸りながら未だグズグズと足踏みをする心が語尾を弱くさせていく。

『はーかわいい。佐藤にやるのがもったないくらいだよ』

「未来ちゃん、わたしマジメに悩んでる」

『分かってるよ。けど、和子が言わなきゃ始まんないでしょ。佐藤から告ってくれるとか想像つかないし』

「それは、そうなんだけど……」

 そもそも竜泪からそういった意味で好かれていると感じたことがないのも躊躇う理由だ。本を取ってくれたのだってただの親切だろう。きっと他の女の子にだって同じように優しくする。……私だけ特別であって欲しいけれど。

 今はまだ、席の近い同級生でしかないのだ。

『昼にも言ったけど、早くしないと取られちゃうよ。ほんとに最近佐藤、人気あるから』

「分かってるよぉ」

 なんて言ったものの結局勇気が出ないまま一週間。未来が危惧したことが訪れた。

「ねぇ、和子さんって竜泪くんと付き合ってるってほんと?」

 昼休み、教室までやって来た隣のクラスの生徒がそう尋ねてきたのだ。佐伯鈴音(さえきすずね)という名前は後から未来に聞いた。未来と同じ吹奏楽部だという。

 負けん気の強い、真っ直ぐな視線が問いかけてきた。

 友だちと連れたっては来ていない。潔い性質は未来と気が合いそうである。

「佐伯、私昨日言ったよね?」

「下の名前で呼んでって未来ちゃん。てか、聞いてたから来たんでしょ。ね、和子さん。実際どうなの?」

「……付き合ってはないよ」

 小声で答えたのは、他の女子生徒へ聞かれたくないからだ。これ以上、ライバルが増えては敵わない。それはきっとお互い様だろう。

「ふーん、付き合ってないんだ」

 にんまり。小さな声で呟いた鈴音がチェシャ猫のように笑った。エマージェンシー。鼓膜の奥で警鐘が鳴り響く。

「じゃ、私が告ってもいいわけだよね。おっけ、ありがと」

「ま、待って!」

 案の定、今にも竜泪へ告白しに行きそうな鈴音を呼び止めた。同じく彼女を呼び止めようとした未来は視線で牽制しておく。大丈夫よママ。私だって言う時は言えるんだから。

「なに?」

 ツンと耳に響く、鈴音の声に下がりかける足を踏ん張った。

「付き合ってないけど、私も好きだから、だめ」

「は? なにそれ」

 確かに、なにそれ、だ。鈴音が正しい。めちゃくちゃな言い分である。分かっているが譲れはしない。真っ直ぐぶつかってきた彼女に、こちらも真っ直ぐ抗った。

「竜泪くんの目が綺麗なのも、顔がかっこいいのも、優しいのも、先に知ったの私だから。先に好きになったのもたぶん私だから。だから、先に告白させて欲しい……です」

 ぎゅっと、鈴音の眉間にシワが寄った。ちょっと怯む。けど、負けない。

「やだって言ったら?」

「だめ、あげない」

「まだ付き合ってないじゃん」

「ないけど、」

 ないけど、ダメなのだ。めちゃくちゃな理由だけど、ダメなのだ。取られたくはない。

 唇を噛み締め、溢れる感情に瞳が涙の膜を張った。泣くつもりなんか無かったのに。

「えー、ガチじゃん、和子ちゃん……」

「だからやめなって言ったでしょ」

 ごめんって。鈴音が拗ねたように小声で謝った。それに違うのだと首を振る。誰が悪いって話じゃあないのだと、急いで涙を拭う。

「顔ちょー好みだから、和子ちゃんと付き合ってないならワンチャンいけるかなーと思って先に聞いたんだし。泣かせるつもりはホントなかったから」

「わたしこそ、ごめん、泣くつもり、なかったんだけど、」

 こうして溢れる涙まで恋心だと言うのだろうか。なんともめんどくさい。ぐるぐると心の内側を走り回る感情たちは、そのうちバターにでもなりそうだった。

「いいよ、待つ。和子ちゃんが竜泪くんに好きって言うの待つから。だから、付き合ってもダメでも、また教えてよ」

 うんと頷く頬にも転がっていく涙がそろそろ恥ずかしい。かーわいいと濡れた頬をつつく未来はチェシャ猫の笑み。

「じゃあ告白しなきゃね、和子」

 流石は幼なじみだ。容赦がなかった。

 背水の陣へと追い込まれた心地で迎えた放課後は、いつもと違った動きで心臓をドキドキと鳴らしていた。

 見るからに様子がおかしかったのだろう。隣に座った竜泪が心配そうに顔を覗き込んできた。

「和子さん、大丈夫?」

「だ、大丈夫!」

 慌てて距離をとった椅子がガタガタと音をたてる。竜泪の目は真ん丸だ。伸ばされた手は椅子ごと倒れないか心配したからだろう。恥ずかしさとトキメキに顔が赤く染まった。

「ほんと大丈夫?」

「大丈夫。本当に、大丈夫。なんだけどね、」

 また近づこうとしてきた竜泪を右手で制し、適切な距離を求める。いま心臓がのど元まで飛び上がってきていて、うっかり飛び出しそうなのだ。

 ひとまずは大きく深呼吸を一回。

 睨むように竜泪と向き合った。

「佐藤竜泪さん!」

「はい」

 ぴしりと膝を揃えて背筋を伸ばせば、竜泪も合わせて背筋を伸ばす。

「すき、です。付き合ってください!」

 あとは勢い任せ。勢いよく頭を下げた人生初の告白が、二人だけの教室にわんと響いた。

 一秒は、まるで一時間のような顔をして過ぎてゆく。

 断られたらどうしようか。嫌われたらどうしようか。二人きりの部室にもう顔を出せなくなるかもしれない。いやでもまだまだ魅力的な本がたくさんあるからどうしようか……。それは読みたいな……。

 どうでもいい事まで考え始めてしまった。頭の上から、うんと小さく聞こえた竜泪の声に、心臓が飛び跳ねた。

「うん、いいよ」

 その答えに、今度は一時停止。頭の中で三十回反芻してようやく意味を理解した。

「えっ……えっ?! ほんと! いいの? ほんとに!?」

「ほんとに」

 頭の中で天使がラッパを吹いた。ドンドンと太鼓も鳴り出し、花火で上がる。祭りが頭蓋骨の内側で巻き起こっていた。

 自然と大きくなる声を竜泪は面白がるように笑った。くつくつと静かに喉を鳴らすその音に、理性を引っ張り出す。ここで変な子だと思われてはいけない。おしとやかに、大和撫子に。

「……ありがと。えっと、よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 丁寧に下げた頭へ、竜泪もまた丁寧に頭を下げ返した。

 こうして人生初の告白は成功し、人生初のカレシが出来たのだった。

 奇しくも春の大連休は目前。憧れのデートはどこへ行こうか。夏は海に行くのもいいかもしれない。クリスマスにはプレゼントを用意して、バレンタインは本命チョコを渡してと、妄想は膨らんでゆく。

 心は空高くどこまでも飛んで行きそうだった。

 夏が、終わるまでは。

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