009_現代_恋愛中(タイミング)
六月の雨が、駅前のカフェのガラス窓を優しく叩いている。
目の前では、濡れた傘を丁寧に折り畳む彼の姿があった。濡れた黒髪を軽くかき上げるその仕草に、今でも心臓と小さく跳ねる。
「待たせてごめん」
そう言って微笑む彼は、今、私の恋人だ。
彼が席につき、温かい珈琲を注文するのを眺めながら、私は密かに胸の中でカレンダーをめくっていた。
一年。そう、今日でちょうど一年なのだ。
【勝敗を分けるのは全てに於いてタイミングである】
恋愛に限らず、人生の格言としてよく聞く言葉だけれど、あの日の私は身をもってその真実を知ることになった。
一年前の今日、私はささやかな、けれど大きな原動力となったものを手にした。
それは、彼が何気なくSNSに投稿した「マイナーな海外アーティストの限定アナログレコードを、ずっと探してる」という、本当にささやかな呟きだった。
当時の私は、彼と同じサークルに所属しているだけの、ただの地味な後輩。連絡先こそ知ってるけど、プライベートで会話をしたことなんて一度もなかった。彼には遠く離れた地元に憧れの人がいるという噂もあったし、私なんて、最初から勝ち目のない勝負だと諦めていた。
けれど、あの投稿を見た瞬間、私の頭の中で何かが弾けた。
今動かなければ、彼は一生、私の存在に気づかないかもしれない。そんな強い予感に背中を押された。
あのときの私は、今まででは考えられないような行動を取った。
内向的で、いつも誰かの後ろに隠れていた私が、気付けば雨の中、そのレコードを探して、都内のレコード店を片っ端から探し回ったのだ。
ただ、それを手に入れるために必死だった。
泥跳ねでスカートが汚れるのも気にせず、少し息を切らせて店に飛び込み、最後の一枚だったそのレコードを買った。そして、震える指で彼にメッセージを送った。
「近くに中古のレコード店があったので寄ったら、さっきXにあげていたレコードを見つけたのですが、いりますか?もしよければ、買って次のサークルの時にお渡ししましょうか?」
と。
すべてが、奇跡的なタイミングだった。
もし一日遅れていたらレコードは誰かの手に渡っていたし、もし彼がそのとき寂しさを抱えていなければ、ただの後輩の提案として受け流されていたかもしれない。
けれど、彼は驚くほど喜んでくれて、レコードのお礼にと、「おいしい珈琲をごちそうするよ」と、私を誘ってくれた。そこからの進展は、自分でも驚くほど速かった。
「……ん? なに笑ってんの?」
目の前の彼が、不思議そうに私の顔をのぞき込んできた。
「ううん。ちょうど一年前にね、私、すごく積極的だったなーと思って」
「一年前? なんかあった?」
首を傾げる彼の手を、私はテーブルの下でそっと握りしめた。少し驚いた顔をした後、彼は愛おしそうに私の手を握り返してくれる。
あのとき、タイミングを逃さずに一歩を踏み出して本当に良かった。
必死に探し回ったレコードは、今、私の隣で優しく笑う彼という、かけがえのない幸福へと繋がっている。




