038_恋愛(裏切りか否か)男主人公、塞翁が馬、1540字
夜の地元は、東京の空気よりも少しだけ冷たくて、懐かしい匂いがした。
高校の同級生の結婚式の2次会が終わり、賑やかな喧騒から離れた駅裏で、俺と杉本は並んで歩いていた。杉本はひどく酔っていて、足元がおぼつかない。
「俺なぁ、知ってたんだよ」
街灯の鈍い光の下、杉本が突然、地面を見つめたままボソリと呟いた。
「……何が?」
「お前がさ、高校の時、彩菜、高遠のこと好きだったってこと」
予想していなかった言葉に、心臓がドクンと嫌な音を立てた。
高校時代の、すでに忘れかけていた秘密。誰にも言わなかった。言う前に、いつの間にか杉本が高遠さんと付き合い始めていたからだ。
「俺さ、わざと奪ったんだよ」
杉本の口から出た言葉は、アルコールの臭いと共に、酷く生々しく、そして冷たかった。
「お前は、昔から頭良くてさ、みんなに好かれてて。俺ずっとコンプレックスだったんだ。だから、お前が好きな高遠さんと付き合って、結婚して、これでやっとお前に勝ったって、そう思ったんだよ」
頭が真っ白になった。
大学進学で俺が上京する時、二人は結婚した。式は挙げないと言っていたから、俺は東京での慣れないバイト代を削って、精一杯の結婚祝いを贈った。その後、俺の進学と同時に母が父の単身赴任先へ引っ越して実家が売却されたことで、俺には地元に帰る理由がなくなった。だから、二人とは自然と疎遠になっていった。
あの日々を、あの祝福を、杉本はそんな想いで受け取っていたのか。
「なのにさぁ…」
杉本は掠れた声で笑った。自嘲気味な、歪んだ笑いだ。
「今日久しぶりに会ったら、お前、東京の一流企業に就職してて。…今日見せてもらった奥さんの写真、めちゃくちゃ綺麗だったな。去年子供も生まれたんだろ? 幸せそうじゃん」
杉本は東京と地方の給与格差や、学歴の壁を呪うように吐き捨てた。
「高遠さー、結婚してからめっちゃ太ったんだぜ。
…それに、結婚してもう7年だけど、うちはまだ子供もいねぇし」
胸の奥が、急速に冷めていくのが分かった。
親友だと思っていた。遠く離れても、あいつらが地元で幸せに暮らしているならそれでいいと、心から思っていた。
でも、杉本にとって俺は「友達」でもなく、ずっと「勝ち負けの対象」でしかなかったのか。
高遠さんも、俺に勝つための道具でしかなかったのか。
怒りなのか、悲しみなのか、それとも呆れなのか。
感情がぐちゃぐちゃに混ざり合って、喉まで出かかった言葉はどれも形にならず、結局、俺は何も言えなかった。
「…タクシー、来たぞ」
遠くから走ってきた空車の個人タクシーを止め、ドアを開ける。杉本の身体を押し込むように乗せると、あいつは最後までこちらを見ようとはしなかった。
「じゃあな」
バタン、と重い音がして、タクシーは夜の闇に消えていった。
静まり返った駅前で、一人、歩き出す。
もしあの時、勇気を出して高遠さんに告白していたら。もし杉本に「高遠さんが好きだ」と言っていたら。
俺の人生は全く違うものになっていただろう。地方に残って、違う苦労をして、今の妻とも、愛しい我が子とも出会っていなかったかもしれない。
人間万事塞翁が馬
何が幸福で、何が不幸か。その瞬間には決して分からない。
杉本に勝ったという意識は微塵もなかった。ただ、俺は今、自分の人生を愛している。それだけで十分だった。
ポケットからスマホを取り出し、連絡先を表示する。
【杉本】
迷いはなかった。
名前を長押しして、「削除」をタップする。
軽くなった頭を振って、俺は東京へ帰るため、駅へと足早に歩き出した。




