015_別れ(重い女)
雨の日のカフェは、すべてを曖昧にしてくれるから好きだ。
窓ガラスを打つ滴の向こうににじむ街灯を眺めながら、私は冷めかけたカフェラテを飲んだ。
薬指の、かつて彼が選んでくれた指輪があった場所を、無意識に親指でなぞる。皮膚に残った微かな痕跡は、もうほとんど目に見えないはずなのに、触れると熱を持っているような錯覚に陥る。
「ごめん、もう無理なんだ」
一ヶ月前、彼はそう言って私の前から去っていった。
理由はなかった。いや、本当はあったのかもしれないけれど、彼はそれを言葉にしなかった。ただ、二人の間に流れる空気が、修復不可能なほどに冷え切っていたことだけは確かだった。
別れを告げられたその瞬間から、私の頭の中はどうしてという疑問符で埋め尽くされている。
彼の好みに合わせて髪を伸ばした。彼の好きな料理を覚えた。不機嫌になると黙る彼をいつも笑顔でなぐさめた。これ以上ないくらい、私は彼を最優先に生きてきたはずだった。
カラン、と氷が溶ける音がして、私は我に返った。
隣の席の若いカップルが、楽しそうに笑い合っている。その眩しさに胸が痛む。
もしも、あのとき。
別れ際のカフェで、彼に「君のそういう重いところが嫌だった」とでも罵倒されていたら、どれほど救われただろう。
―― あのとき、自分を否定してしまえたら、どんなに楽だったろう
「私が全部悪かったの。私の愛し方が間違っていたの」と、自分のすべてを否定して、ごみ箱に投げ捨てることができたなら。そうやって全部を自分のせいにできていたら、こんなにも行き場のない未練に引き裂かれることはなかったのだろうか。
ずるいのは、私だ。
これだけ傷ついてもなお、私は「私は間違っていなかった」「私は彼を全力で愛した」と、自分を肯定しようとしてしまう。自分のプライドと、費やした時間と、彼に注いだ純粋な想いを、どうしても「間違い」だなんて認めたくないのだ。
自分を否定できないからこそ、「どうして私じゃダメだったの?」という、あの時彼に聞けなかった問いが、今も心の中で暴れ続けている。自分を信じているからこそ、彼に選ばれなかったという事実が、ナイフのように深く突き刺さる。
「…はぁ」
小さくため息をつき、冷え切ったカフェラテを最後の一口まで飲み干す。
苦味が喉の奥に広がった。
自分を否定して楽になる道は、きっと私には選べない。どれだけ苦しくても、私はあのとき彼を愛した自分を、抱きしめ続けていくしかないのだろう。それは傲慢かもしれないけれど、私に残された唯一の、自分を守るための盾なのだ。
雨脚が少しだけ弱まってきた。私はバッグから傘を取り出し、席を立つ。
まだ胸の奥はズキズキと痛むけれど、私は私のままで、次の季節へ歩き出すしかない。




