013_現代_片思い(去年のあの日)
「さ、気合も入ったし、頑張ろう。頑張ろう」
そう小さく声に出して、僕は自分の両頬を軽く叩いた。
風が吹き抜けるたび、頭上から咲き散る桜と昂揚の記憶が、ひらひらと肩に舞い降りてきた。
大学の入学式を終えたばかりのキャンパス。
僕の視線は、人混みの中で一際まっすぐに前を見つめる女の人の背中に釘付けになっていた。
サークル勧誘のビラ配りでごった返す中、彼女は、道に迷った新入生を案内したり、落とし物を拾ったりと、せわしなく動き回っている。その凛としたたたずまいに、僕は目を奪われてしまった。
「ぼんやりしてどうしたの? 新入生くん」
不意に振り返った彼女と目が合う。彼女の瞳には、春の柔らかな光が反射してキラキラと輝いていた。
「あ、いえ! なんでもないです。ただ、先輩の案内がすごく手際よくて……」
「ふふ、慣れてるだけよ。ほら、私たちはこれからもっと忙しくなるから。新入生をいっぱいつかまえて、明るい春を迎えるのだ、ってね!」
彼女はいたずらっぽく笑い、僕の背中をぽんと叩いた。
彼女に叩かれた場所が、制服を脱いだばかりの僕の体に、熱を注ぎ込んでいく。
それからの毎日は、彼女の背中を追いかける日々だった。
彼女が代表を務めるボランティアサークルに入り、僕は必死でサポートに立候補した。イベントの企画、資料の作成、他団体との調整。彼女はいつだって妥協せず、誰に対しても誠実で、そして誰よりも努力していた。そんな彼女を支える枝の一つになりたかった。
時折、その完璧な仕事に圧倒されて、自分がひどくちっぽけな存在に感じることもあった。けれど、彼女が「君がいてくれて本当に助かる」と言ってくれるたび、胸の奥が熱くなった。
あなたを信じてついて行きたい。
あなたの隣に並び立てるような自分になるために。
夜遅くの部室で、PCに向かう彼女の横顔を盗み見ながら、僕は心の中で何度もその言葉を繰り返した。恋というには未熟で、憧れというにはあまりにも切ない感情が、僕の中でふくらんでいく。
「ねえ、私の顔に何かついてる?」
「えっ!? あ、いや、何でもないです! ぼーっとしてて」
「もう、変な子ね。 ……でも、ありがとね。いつも付き合ってくれて」
彼女はふっと柔らかく笑い、僕の頭を軽く小突く。ほんの一瞬触られただけなのに、僕の心臓は激しい鼓動を繰り返した。
自分の思い描く理想の姿に少しでも近づくように。僕はただ、必死に彼女の後を追いかけた。
季節は巡り、再びキャンパスに桜の季節がやってきた。
進級した僕は、サークルの副代表として、彼女と共に新勧イベントを成功させた。
片付けが終わり、静まり返った大学の、夕闇の中の桜並木。風が吹くと、去年と同じように花びらが激しく舞い散り、電灯に反射して幻想的な光景を作り出す。
「――綺麗だね」
隣を歩く彼女が、ぽつりと言った。
「はい。でも、去年の今頃は、先輩の姿を追いかけるのに必死で、桜を見る余裕なんてありませんでした」
僕が苦笑しながら言うと、彼女は足を止め、僕をじっと見つめた。
「知ってるよ。君がずっと、私の背中を見てたこと。 ……そして、いつの間にか、私の隣を歩いてくれるようになっていたこともね」
え、 と声を漏らした僕の前に、彼女が一歩踏み込んでくる。
距離が縮まる。
風に舞う桜の花びらが、二人の間をすり抜けていった。
「私、君が思っているほど強い人間じゃないのよ。何度も諦めそうになった。でもね、君が後ろからまっすぐ見ててくれたから頑張れたの。……これからは、後ろをついてくるんじゃなくて、隣にいてほしいな」
その言葉の意味を理解したとき、目の前の風景が一気に鮮やかさを増した。
去年の春、僕の心を支配したあの昂揚感が、何倍もの熱量を持って蘇ってくる。
僕は彼女の手を取り、ぎゅっと握りしめた。
驚いたように目を見開いた彼女が、すぐに嬉しそうに微笑む。
「はい。これからは隣で、一緒に歩かせてください」
舞い散る桜吹雪の中で、僕の新しい春が始まった。




