開いてはいけない部屋
“知らない方がいいことも、確かに存在する。”
引っ越してから、一週間が経った。
築年数は古いけど、家賃は安い。
駅からも近くて、特に不満はなかった。
——あの部屋を除けば。
「なあ、この部屋ってさ…」
ダイニングで、ふと不動産の資料を見返す。
間取り図。
1LDK。
でも、実際は——
“もう一つ”部屋がある。
廊下の一番奥。
鍵がかかったままの、小さな扉。
「……」
内見の時は、確かに説明されていた。
『そこは物置みたいなもので、普段は使えません』
軽く流していた。
どうせ使わないと思っていたから。
でも——
気にならないわけがない。
⸻
その夜。
風呂から上がり、タオルで髪を拭きながら廊下を歩く。
足が止まる。
例の扉の前。
静かすぎる。
この部屋だけ、空気が違う気がする。
(……開けてみるか)
ポケットから、もらっていた鍵を取り出す。
“使わないでくださいね”
そう言われていた鍵。
少しだけ迷う。
でも——
カチャ。
音が鳴った。
開いてしまった。
⸻
ゆっくりと扉を押す。
ギィ、と嫌な音が響く。
中は暗い。
電気のスイッチを探して、手を伸ばす。
パチ。
明かりがついた瞬間。
思わず息を呑んだ。
何もない。
本当に、何もない部屋だった。
家具も、荷物も。
ただの空間。
「なんだよ…」
拍子抜けする。
こんなことで、変に怖がってたのか。
そう思った、その時。
——カタッ。
後ろで音がした。
振り返る。
扉が、ゆっくりと閉まっていく。
「……え?」
慌てて駆け寄る。
ドアノブを掴む。
引く。
——開かない。
「おい、ちょっと待て…!」
力を入れる。
びくともしない。
さっきは普通に開いたのに。
「なんでだよ…!」
ドン、と扉を叩く。
音が、やけに響く。
まるで、この部屋だけが別の場所みたいに。
「誰か…!」
叫ぶ。
もちろん、返事はない。
スマホ。
ポケットから取り出す。
圏外。
「……は?」
そんなはずはない。
さっきまで普通に使えていた。
壁にもたれる。
呼吸が荒くなる。
落ち着け。
ただの故障だ。
扉だって、何かの拍子で——
ふと、気づく。
床。
違和感。
目を凝らす。
うっすらと、何かが見える。
これは——
文字?
しゃがみ込む。
手で埃を払う。
そこにあったのは。
無数の、引っかき傷。
そして、同じ言葉が何度も刻まれていた。
“あけるな”
“あけるな”
“あけるな”
「……っ」
背筋が凍る。
その時。
部屋の奥。
暗がりの中で、何かが動いた。
「……誰かいるのか?」
声が震える。
返事はない。
でも。
確かに、“いる”。
じっと、こっちを見ている何かが。
一歩、下がる。
足がもつれる。
視線を逸らせない。
暗闇の中で——
“それ”が、少しずつ形を持つ。
人のようで。
でも、人じゃない。
顔が、ない。
代わりに——
無数の、引っかき傷。
まるで、さっきの床と同じように。
「やめろ…来るな…」
後ずさる。
壁にぶつかる。
逃げ場はない。
その瞬間。
耳元で、声がした。
「だから言ったのに」
——開けるなって。
⸻
次に目を開けた時。
俺は、廊下に立っていた。
あの扉の前。
閉まっている。
何事もなかったように。
震える手で、ドアノブに触れる。
鍵は、かかっていない。
ゆっくり開ける。
中は——
空っぽだった。
ただ一つ。
床に、新しい傷が増えていた。
“みたな”
読んでくれてありがとう。
開けてはいけないもの。
触れてはいけないもの。
それは、すぐそばにあるのかもしれない。
次回——
「増えていく写真」




