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私だけが村人のスローライフ  作者: プロット・シン
第一章【村人発見】
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29/30

life 29〔唯一の村人と、過保護すぎる世界〕

「……犬、と申したか?」


 少年の口から漏れたのは、ひどく冷たく、腹の底から這い出るような声だった。

 月光色の髪が僅かに揺れる。と同時に、少年の小さな体から爆発的な力の奔流が巻き起こる。


「ヒィ――ッ?」


 警備兵たちが後ずさる。先程まで彼らが躍起になって追い回していた子供は、すでに面影もない。

 少年の瞳に、冷酷な光が宿る。


「……この我を、犬と侮るか」


 その言葉を合図に、庭の空気がビリビリと震え始めた。

 更にはゴオォォォッという風鳴りとともに、少年の輪郭が眩い光に包まれる。


「我は、月の狼――マーナガルムの子ぞ」


 月光色で眩く輪郭が、瞬く間に膨張していく。


「な、なんだッ……ッ?」


 そして警備兵たちの叫びが、すぐに悲鳴へと変わる。

 小さな身体を包む光が膨張し、晴れた後、彼らの目の前に立っていたのは、大人も見上げるほどの巨体を持った神話の獣。

 ――月の狼。

 突如として姿を現した本物の神獣を前に、警備兵たちは一歩も下がることすら許されず、呆然と立ち尽くすしかなかった。

 圧倒的な強者の気配に、警備兵たちはおろか全ての音が消え失せ、完全な静寂が落ちる。

 としても、神獣の怒りはその程度で収まるものではない。

 低く唸る声と共に、巨大な獣の全身に神々しい光が集まり始める……。

 それはまるで、夜空に浮かぶ満月がそのまま地上に降り立ったかのような、美しくも恐ろしい月光色の輝きだった。

 光が強さを増すたび、警備兵たちの顔は純粋な恐怖と絶望に染まっていく。

 何もできぬまま、石像の様に立っている警備兵たちの頭上に、信じがたい異変が起きた。

 神獣が見上げる真昼の空に、ぽっかりと“夜の穴”が空いたのだ。

 眩い陽光を塗り潰すように現れた、巨大で、恐ろしいまでに美しい夜の色が満ちていく。

 それは、――満月の夜だった。

 神獣の全身から立ち昇る光がその球体へと収束していくにつれ、周囲の空間から昼の光が喰い殺されていく。

 周囲は急速に暗転し、昼の庭園は完全な夜の闇と、冷ややかな青白い月光に支配される。

 そのあまりにも理不尽で神話的な光景に、警備兵たちの精神は限界を迎えつつあった。

 と。


「――今宵でなかったことをせめてもの幸いと思え」


 静寂の底を震わせる、深く重い獣の声が響く。

 それは慈悲ではなく、ただの事実の宣告だった。

 もしここが本来の夜、神獣の力が最大となる時間帯であったのなら、警備兵たちはすでに塵すらも残っていなかっただろうと……。

 次いで、神獣が大きく顎を開く。

 頭上に浮かぶ巨大な満月が、まるで重力に引かれるように歪み、神獣の口腔へと吸い込まれていく。

 空を支配していた膨大な光の塊――純粋な月の力が、その巨体の中へと飲み込まれる。

 ゴクリ、と。

 喉が鳴る音すら、警備兵たちには美しい音色に聞こえた。

 ――直後、神獣の喉の奥で、限界まで圧縮された月の光が、爆発的な輝きを放つ。

 もはや、逃げる暇などあるはずもない。

 狙いは目の前の無礼な警備兵たち、そして彼らが背後の館へ。

 神獣の顎が眼前の標的に向け、開け放つ。瞬間、圧縮された月光の奔流が、轟音と共に全てを真っ白に塗り潰した。


  *


 視界が、ぐにゃりと歪んだ。

 いや、視界だけではなく、思考そのものが水に落ちたインクのようにぼやけ、じわじわと暗闇に溶け出していく。

 指先から感覚が抜け落ち、体は鉛のように重い。

 なんだろう、この感覚……でも、知ってる。

 ずっと昔に経験した、ひどく理不尽な感覚だ。

 薄れゆく意識の中で、埃を被っていた記憶の蓋が開く。それは、前世の記憶。

 私は元ブラック残業のOLで、来る日も来る日も、会社のデスクにかじりついていた。

 終電すらとっくに無くなった深夜のオフィス。青白いモニターの光だけが点灯する中で突然、胸の奥を乱暴に鷲掴みにされたような感覚があって、そのまま意識がブツンと途絶えた……。

 恐らくは過労死、というヤツだったのか?

 今となっては、もう随分と昔の記憶。前世の自分の顔すら曖昧になっている、けれど、命の灯火が強制的に吹き消される瞬間の、あの圧倒的な無力感だけは魂にこびりついて離れなかったらしい。

 そう、今、私はあの時と全く同じ感覚を味わっている。

 ずるずると深い泥沼に引きずり込まれるような、抗いようのない死へのカウントダウン。

 あぁ、私はこのまま死んでいくんだ。

 てか……何故? と問う気力すら、もう湧いてこない。

 私はただの村人で、理不尽な天職の縛りの中で、それでも自分なりのスローライフを満喫しようとしていただけなのに。

 どうしてこんなことになっているのか、全く分からない。

 ……結局は、また――途中で。

 訳も分からず唐突に人生を強制終了させられるのか。

 やっぱり、世界の仕様なんてのは――クソだ。

 そんな自虐的な悪態すらも、やがて完全な闇へと飲み込まれ――。私の意識は、完全に。

 深く、泥沼のように底へと沈んでいく、意識の中。

 不意に微かな音が、耳を打った。

 ……誰かの、声? もとい、ざわざわと、大勢の人の声が折り重なって聞こえてくる。

 これも、走馬灯なのだろうか……?

 しかしその声は闇に溶けて消えるどころか、徐々に輪郭を帯びて賑やかに。

 やがて現実の音として、はっきりと鼓膜を震わせ始める。


「どうやら、間に合ったみたいですね……」


 直後、私を縛り付けていた重い感覚がふっと晴れた。


「――っ」


 小さく息を吸い込み、瞼をゆっくりと開く。

 視界に飛び込んできたのは、見慣れた青い空と――。


「アヤネ様っ……!」


 呆然とする私の視界を塞ぐように、シロさんが現れる。

 その顔には、深い安堵と痛切な心配の表情がハッキリと見て取れた。

 そしてふと周囲を見渡せば、シロさんだけではない。

 館の主である、領主ロエン様や、私を置いて駆け出していったメイドまでもが揃って取り囲み、祈るような様子で窺っているではないか。


「えっと……皆さん、お揃いで……どうしたんですか?」


 完全に状況が分からずに置いてけぼりを食らっている、よね?

 その上で、心配そうな無数の視線を浴びながら、何気なしに周辺を見る。

 ェ。

 ――そこは凄惨な瓦礫の山だった。

 洋風の館は? ……見る影もなく。

 瓦礫の中心で、なぜか私は仰向けに横たわっていた。

 つい先ほどまで館の隠し部屋で捕らえられていたはずなのに、ナゼこんな吹き晒しの瓦礫の中にいるのか、全く事の経緯が理解できない。


「……えっと、シロさん? これは、一体どういう状況ですか……?」


 私は恐る恐る尋ねる。と、シロさんは困惑したように首を振った。


「ボクも、よく分かってません……。突然、光が……」


 シロさんは言葉を切り、周囲の無惨な瓦礫へと視線を巡らせる。


「ただ、気がついた時には館は跡形もなく。アヤネ様も……」


 言いかけて、シロさんは言い淀んだ。

 その顔には痛切な色が浮かぶ。


「……私が?」


 促すように聞き返すと、シロさんは少し迷った後、言い辛そうにして口を開く。


「アヤネ様は、瓦礫の下敷きに……、その……死に掛けてました」


 その言葉に、私は自分の両手を見下ろし、ペタペタと全身を触ってみる。

 腕にも足にも、擦り傷一つない。どこも痛くないし、衣服が汚れているくらいで、完全に無傷だ。

 と私が不思議に思って首を傾げていると、傍らに立っていた領主様が一歩前へ出てくる。


「我が家に代々伝わる、伝説の治療薬を使用いたしました」

「……伝説の、治療薬?」

「ええ。死んでさえなければ、いかなる状態からでも命を繋ぎ止めることができる家宝の秘薬です。本当に間に合ってよかった……」


 そう言いつつ、ロエン様が心底安堵したように大層な吐息を漏らす。

 いやいやいやいや。

 なに、ただの村人に、そんな神話級っぽい超レアな薬を使っちゃってんのッ、絶対もったいないでしょ!

 もっと国の一大事とか、勇者が魔王にやられそうな時とかにとっておくヤツじゃないの。

 とはいえ、命の恩人に対してそんな本音をぶつけられるはずもなく。

 私は内心の激しい動揺を必死に押し殺し、引きつりそうになる頬を引き上げて、作り笑いを浮かべる――。


「――そ、そんな貴重なお薬を……本当にありがとうございます、ロエン様。命を救っていただき、感謝してもしきれません」


 上体だけを起こしたまま、深く、丁寧に頭を下げる。


「何を仰いますか。アヤネ様は、この世界で唯一の村人様なのです。お助けするために全力を尽くすのは当然の事ですよ」


 私はもはや、曖昧に頷くことしかできなかった。

 世界で唯一の村人。

 そんな理不尽な天職の縛りの中で、私はただ自分なりの平穏なスローライフを満喫しようとしているだけなのに……。

 吹き晒しの瓦礫の山の中、私はなんとも言えない複雑すぎる心境で、青い空を見上げる。

 と、不意に視界の端で何かが動いた。

 月光色、の髪を揺らし、少年の姿をした神獣がひょっこりと姿を現す。


「――モンちゃん?」


 思わずその名を口にすると、少年は満面の笑みになる。


「どうやら一件落着したようじゃな」


 自信満々と告げられるも、私はただ目をパチクリとさせて。

 一件落着? 何が?

 しかしながら、思い返せば、ただの村人である私は、いつも知らぬ間に状況に巻き込まれてばかりだ。

 きっと今回もまた、私だけが蚊帳の外で、いつの間にか事態が収拾し、勝手に何かが終わってしまったのだろう。

 ……――まぁいいか。

 私は小さく息を吐き、もう一度青い空を見上げる。

 主人公でも勇者でもない、ただの村人。

 理不尽な縛りに振り回されるのは御免だが、こうして生き延びて無事に日常へ戻れるのなら、それで十分じゃないか。

 自分だけが状況を理解していないという圧倒的な置いてけぼり感を抱えつつ、今回の騒動も、こうしてひっそりと幕を閉じる。

 が……はて、何か忘れてるような? 気も、――しないか。







 

次回の話で【私村人】の【第一章】が終結いたします。


又、終結後は投稿を暫く休止し別作品の物語を進める等したいと思っています。

※なにとぞ、ご理解のほど宜しくお願い致します。m(_ _)m

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