life 27〔忍び難きを忍び、それぞれの護るべきもの〕
空気を裂き、メイドの短刀が鋭い刃鳴りとともに迫る。
しかし、丸腰で逃げ回る一方だった先ほどまでと違い、盾の表面で激しい火花を散らし、必殺の一撃を弾き返す。
その後の踏み込みも異常なほど速く無駄がない、が、騎士の思考を取り戻した今のボクには、相手の動きがはっきりと見えていた。
メイドがボクの隙を突こうと、右へ左へと俊敏に立ち回るも、自ら退くことはなく、急所を狙う鋭利な殺気を伴った攻撃のすべてを冷静にさばき、受け流す。
続く数合の激しい打ち合いの末、次第にメイドの動きに明らかな変化が表れ始めた。
一切表情を崩さず、氷のように冷たく凍りついていた表情がわずかに歪み、獲物を値踏みしていた冷ややかな瞳にも焦りの色が混じっている様に見える。
尋常ではない速度を維持していた動きも、ことごとく攻撃を無力化されるうちに、荒い息遣いに――。
「ッ」
――相手から小さな舌打ちの音が漏れる。
ボクは次に備え、剣を握りしめて待ち構える……。
そして彼女も気づいたのだろう。
トンッ――、と。
分厚い絨毯を踏みしめていた足がピタリと止まる。
次いで、乱れた呼吸を整えようと肩を上下させながら、メイドは悔しさをにじませた眼で、ボクを鋭く睨みつけた。
「……なぜ、反撃してこないのですか?」
業務の一環のように淡々としていた声に、明らかな苛立ちが混じっている。
「その身のこなし……ただの賊ではないと見ましたが、こちらを仕留める隙はいくらでもあったはず。アナタは、一体何が目的なのですかッ?」
ぇ。
「も、目的なんてありません! ボクはただ、アヤネ様を助けに来ただけですからっ!」
盾の裏で息を整えながら、正直に答える。
「……詭弁ですね」
冷たく言い放ち、メイドが短刀を持つ腕をスッと下げる。
――?
「わたくしの刃をことごとく弾き返すとは。これほど腕の立つ者が入り込んだのは久方ぶりです。その、実力だけは、認めてさしあげましょう」
そう言うと、メイドは懐から鈍く光る小さな筒状の物を取り出す。
……笛?
彼女は、それを躊躇いなく唇に当て、強く吹き鳴らした。
ピィィィィィィィィィィッ――!
甲高く奇妙な音が薄暗い廊下に反響する。
少し、耳の奥はキーンと痛むが。
……何?
盾を構え直し、いつでも動けるよう足に力を込める。が、メイドは襲いかかってくる気配もない。
笛を吹き終えた後、その場で静かにこちらを見据えているだけ。
いったい何のために?
もしかして、何かの合図……?
疑問が脳裏をよぎり、少しだけ視線を彷徨わせた――その時。
――ゾクリ。
全身の産毛が逆立つ感覚。
背筋が凍りつくような、どす黒く重い殺気が、正面からではなく……まったく別の方向から急激に膨れ上がる。
「っ!」
考えるよりも早く直感で、身体を動かしていた。
素早く身を翻し、咄嗟に盾を前面へ突き出す。
ガギィィィンッツ!
すさまじい金属音と共に、腕の骨が軋むほどの暴力的な衝撃が盾から全身を襲う。
「くぅっ……!」
足の裏で絨毯をズルズルと削りながら、なんとか、踏みとどまる。
――重い。今の一撃は、これまでの相手のものじゃない……!
と盾を少しズラし、視線を上げる。
そこには、これまでのメイドとは明らかに違う――新たな人物が立っていた。
*
壁を蹴り、廊下の装飾を足場にして上部へと跳ぶ。
直後、拙者がほんの一瞬前まで居た空間を“実体を持った刃”が音もなく横薙ぎに切り裂いた。
その後も鋭い鉄の音が、後から遅れて追いかけてくる。
「ムッ」
眼下で、片手に古びた書物――魔導書を開いて持つ館の主、領主ロエンが忌々しげにこちらを見ている。
領主であるはずのこの男、身体的には決して秀でるもののない。
忍びの歩法をもってすれば背後を取って、その首筋に刃を添えることなど造作もないこと。攻め入る隙も、幾度となくある。
なのに、全く手出しができない。
それほどに、この男の持つ力が異質すぎる。
「ちょこまかと……っ」
ロエンの眼が、再び暗がりに潜む拙者の存在を正確に捉える。
領主の視線と空間が交差した、まさにその刹那。
ギィンッと、何もない虚空から、唐突に“実物の剣”が顕現し胴を両断せんと襲いかかる――。
「ッ……!」
――戸惑いを押し殺し、強引に上体を逸らして刃をやり過ごす。
異質、しかし既にその能力は把握できている。
目で見たものを切り裂く。それが、あの魔導書から得られる力……。
ゆえに視界に捉えられた瞬間に実物の刃が出現し斬撃が飛んでくる、下手に攻撃へと転じ、姿を完全に晒すことも致命傷になりかねない異質な力。
だが攻め入る隙はある。
とはいえ、あの執念深い眼光に捉えられれば最後、刃は即座に顕現し、切り裂かれる。
……再度、己の輪郭を闇へと溶かし。
いずれその時はと、息を潜めながら、現状はひたすらに領主の視線と斬撃から逃げ回るしか、ない。
*
「そこだっ! 捕らえろ!」
「くそっ、なんてすばしっこいガキだ!」
館の敷地内に広がる庭で、警備兵たちの怒号が響き渡る。
完全武装した警備兵たちが数人連れ立って、血相を変えながら、一人の子供を躍起になり追い回す。
しかし、彼らの手がその小さな体を捉えることはない。
月光色の髪を揺らす少年――人の姿を模した神獣、月狼は、警備兵たちの包囲網をいともたやすく、まるで児戯でも楽しむかのようにかいくぐっている。
前後左右から伸びてくる手、威嚇で振り回される武器――を、しなやかな動きがひらりひらりとすり抜けていく。
ガチャガチャと無遠慮に鳴る鎧の音を立て、重装備の大人たちが連携しても、全く触れることすらできない、異常な素早さに。
警備兵たちは次第に困惑と疲労の色を見せる。
……それにしても、しつこい。
少年の、鋭い瞳が呆れて細くなる。
先ほどまでは神獣の頭の中をチーズのことが占めていたが、目の前で必死になる人間たちを見ている内に、そろそろ何とかしなければならないと考えるようになった。
無論、本気を出せば、警備兵など神獣にとっては相手にもならない。
正面から強引に一掃して瞬く間にカタをつけることは容易い。
だが少年はそれを良しとしなかった。
無闇に血を流し、これ以上の騒ぎを起こせば、同じ人間であるアヤネが間違いなく悲しみ、嫌がるだろう。それは、アヤネの救出に向かった二人を待つ身としても、理由に繋がる。
「ええいっ、ちょこまかと逃げ回るな!」
……やれやれ。
警備兵の腕を身を沈めてかわしつつ、月狼はどうしたものかと内心でため息をつく。
力に任せて蹂躙するのは簡単だが、アヤネに嫌われずに、この場を穏便に収めるにはどうするのが正解なのか……。
答えの出ない悩みを抱えたまま、少年の姿をした神獣は陽光が燦々と降り注ぐ庭を跳びはねる。迫りくる、警備兵たちの捕獲をひたすらに避け続ける、しかなかった……。
*
軋む腕の痛みに堪えながら、視線を上げる。
そこには、これまでのメイドとは別の――新たな三人のメイドが立っていた。
先陣に立つ一人は、メイド服がはち切れんばかりの筋肉質な体格をした大柄な人物。その片方の手には、鈍く光る無骨なナックルダスターが握られていた。
さっきボクの盾を強打し、腕を破壊せんばかりの衝撃を与えてきたのは、間違いなく、この人だと思える。
そんな大柄なメイドの後ろに控えるのは、小柄な二人のメイド。
背格好から顔立ちに至るまで瓜二つで、一目で姉妹だと分かる容姿をしている。
……あの笛は、この人達を呼ぶためだったのか。
一人を相手にするのでギリギリだったというのに、状況は最悪の、四対一……。
圧倒的な数の不利に、絶望感がシロの胸を締め付ける。
しかし、ボクの背後には、妹のエイミーもいる。
――決して退くわけにはいかない。
震えそうになる足に強く力を込め、金属の重みを掌に感じながら、ボクは再び盾を構え直し、剣の切っ先を真っ直ぐに彼女達へと向ける。
「ほう、この状況に置かれてなお、戦意を喪失しないとはアッパレです」
そうは言うものの一切表情は崩さず、淡々と佇みながら、彼女も手の短刀を構え直す。
「……ただの賊ではないようですが。アヤネ様のため、ここで確実に排除させていただきます――」
――それを合図に、筋肉質のメイドが拳を鳴らして正面から力強く踏み込んでくる、小柄なメイド達は左右へと素早く散開し。
たちまち四つの鋭利な殺意が、一斉に、ボクへと襲いかかってきた。
……アヤネ様のため? あれ、ボクは何のタメに戦っているのだろう。
瞳が捉える新たな戦慄に瞳孔は大きく、更に見開かれる。




