life 25〔村人の勘、ただ村人である私の、勘〕
*
メイドさんが俊足スキルで消え去った後、私は力なく鉄格子に頭を預け、ただただ、遠い目をして床を眺めていた。
と、鳴り響いていた大音量の警報ベルが、唐突に鳴り止む。
幻聴なのか、キーンとしばし残る耳鳴り。
そして最後は、隠し部屋の独特な静寂だけが――残る。
……ふぅ。
半ば諦めて、呼吸を整える。
その時。
音も無く、本当に何の予兆も無く、目の前の床に落ちている私の影に、別の影が重なって思わず「ぇ?」っと顔を上げる。
すると鉄格子のすぐ外側に、目出しの真っ黒な布に身を包んだ正体不明の人物が、まるで最初からそこに居たかのように微動だにせず立っていた……。
ハ、に、忍者……? ジャパニーズNinjaが、何故か目の前に居る。
いや待って。なんでこんな洋風の館に、コテコテの忍び装束の方が?
すぐには脳内処理が追いつかず、瞬きすら忘れて、フリーズ――していると。
その真っ黒な布の向こうから、声が響いた――。
「――お怪我はございませんか? アヤネ様」
感情を削ぎ落としたような、低く、けれど氷のように透き通った声。
「……えっと、どちら様でしょうか?」
「はい。拙者は、アヤネ様をお助けに参りました、忍びの者です」
淡々とした口調で告げられるその言葉に、私の頭上では更なるハテナが量産されていく。
しかしながら。
「そうですか……、助けていただけるのなら、大変助かります……」
戸惑いつつも、背に腹は代えられない庶民の精神で、湧き上がる疑問を一旦隅に追いやり、なんとなく、目の前の状況を受け入れることにした。
「承知いたしました」
忍びの者とやらが、瞳を細めて静かに頷く。
「して、アヤネ様。この檻を開放する手段に、何か心当たりはおありでしょうか?」
「手段……」
そう言われて、先ほどのドタバタ劇が脳裏をよぎる。
「……さっき、メイドさんが部屋を出ていく前に……“装置の解除は地下の管理室”にって、言ってたような」
言ってなかったような……。
「地下の管理室、ですね」
たぶん。
「分かりました。では、直ちにそちらへ向かい、仕掛けを解除してまいります。アヤネ様は、今しばらくこちらでお待ちを」
言って、忍びの者がスッと身を沈める。
あ、行っちゃう。――その前に。
「あの! 最後に一つ……!」
「はい、……何でしょうか?」
ピタリと、忍びの者の動きが止まり。
鉄格子越しに、その深い色の出で立ちを見つめて問う。
「……ここへは、一人で来たのですか?」
「いえ」
忍者が瞬き一つせず、僅かに首を横に振る。
「門衛騎士のモシ・ロヒノ殿と、月狼――の御子様を、伴っております」
一瞬、思考が完全に停止する。
「お二方ともにアヤネ様を酷く案じておいでです。故に、一刻も早くお救いいたします」
「ぇ? あ、ちょっと!」
今回は私の制止も聞かず。忍者がふわりと風のように身を翻し、シュッ、という微かな音だけを残して掻き消える。
「……行っちゃった」
再び訪れる、隠し部屋の冷たい静寂。
けれど、私の頭の中はそれどころではなく。
「シロさんと、モンちゃん……?」
何故、二人が領主の館に来ているのか?
というか、どうやって私の居場所を突き止めたのだろうか?
いやいや、それよりも。
騎士と、神獣と、忍者って。
何、そのパーティー構成。思いっきりジャンルが渋滞しているんですけど。
……助けに来てくれているのは、心底ありがたいのだけども……。
なんていうのか、嫌な予感がする。
これってもしかして、……村人の勘?
――はぁ。
「まったくもって、わけわかめ」
ただ村人である私の周囲で、またしても理解の範疇を超えた事態が勝手に進行しているのは確かだ。
ひんやりとした鉄格子に三度、額を押し当てながら、私は更に深まっていく謎に、ひときわ大きく、長いため息をこぼすのだった。
*
先ほどから耳をつんざくような防犯装置の警報音が、館中に鳴り響いている。
普段は静寂と気品に包まれている廊下も、今は使用人たちの慌ただしい足音と、ざわめく声が入り乱れ、張り詰める空気となっていた。
「アヤネ様は一体どこへ行かれたのだ……」
領主ロエンは、焦燥感から額にじわりと汗を浮かべ、廊下を急ぎ足で進む。
陛下を応接室に残してまで飛び出してきたのだ、万が一にも彼女の身に何かあれば、取り返しがつかない――。
「――そこの者っ」
向こうから息を切らして駆けてきたメイドの姿を捉え、ロエンは声を上げて呼び止める。
「は、はいっ! ――だ、旦那様っ?」
ビクッと肩を揺らし立ち止まったメイド、が領主の方を見てからソレと認識し二度驚く。
「……アヤネ様について、何か知りませんか?」
「アヤネ様――そ、それが……っ! アヤネ様は防犯装置の仕掛けに巻き込まれまして、鉄格子の檻に閉じ込められてしまっているのです!」
「なんとっ? ……何故」
想定外の報告に、ロエンの目が大きく見開かれる。
「アヤネ様に怪我はないのかっ? すぐに、助け出さねば……!」
「お怪我はないそうです! ただ、檻を開けるにも地下の管理室で仕掛けを操作する必要がありますので、今、別の者が急ぎ地下へと向かっておりますっ」
そう言ったメイドの言葉に、ロエンの領主としての思考が鋭く回転する……。
――館の防犯装置が作動したというのは、単なる事故か? それとも、この騒ぎ自体が、何者かの陽動である可能性も。
「……マズいかもしれませんね」
ロエンの表情が、険しいものへと引き締まる。
「この混乱に乗じて、外から悪意ある賊が入り込むかもしれません。万が一に備え、すぐに正面へ警備をまわすよう、手の空いている者に伝えてください」
「ぇ。か、かしこまりましたっ!」
メイドは深く頭を下げ、再びパタパタと慌ただしい足音を立てて廊下の奥へと去っていく。その後ろ姿をしばし見送った後、ロエンはギュッと拳を握る。
「わたしも、急がねば……っ」
誰が地下へ向かったにせよ。
――自らも足で事態に尽力しなければ。
ロエンは、ヒンヤリとした薄暗い廊下を地下階段へと向けて、力強く歩み始める。
*
一方、その頃。
館の敷地内に広がる庭、その茂みでは、月光色の少年――人の姿を模した神獣、月狼が、忌々しげに塞いでいた両耳からそっと手を離す。
「……ようやく止んだか。人の子の造りし物は、いつもけたたましくてかなわん……」
先ほどまで響いていた音はまさに暴力、直接脳を揺さぶるように、耳障りだった。
ようやく取り戻された静寂に、少年は安堵の息を吐き、月光の髪を僅かに揺らして心地よさそうに目を細める。
だが、その平穏も束の間。
「――その辺の茂みも探せっ、不審な者が潜んでいないか調べておくんだ!」
と、館の正面扉が乱暴に開け放たれる音と共に、慌ただしい声と、地を蹴る複数の重い足音が解放される。
少年の鼻がスンスンと小さく動き、焦りと緊張が入り混じった汗のニオイが風に乗って届く……。
「……ぬ? なんの騒ぎだ……?」
訝しげに視線を向ければ、完全武装する警備兵たちが数人連れ立って、血相を変えながらこちらの方角へと向かってくる。
ガチャガチャと鳴る鎧の音が、無遠慮に落ち着いたばかりの鼓膜を裂く。
「……ふむ」
アヤネの救出に向かった二人を待つ身としては、ここで無用な騒ぎを起こし目立つわけにはいかない。
少年はスッと身を沈め、深く生い茂る植え込みの中でその小さな体を隠す。
そしてただじっと、鋭い灰色の瞳だけを葉の隙間から覗かせ、近づいてくる警備兵たちの動向を静かに見つめる。
*
鋭利な銀の光がひらめく。
ボクは反射的に妹を巻き込んで身を屈める。ヒュッと冷たい風切り音が耳元を掠め、直後、さっきまで自身の首があった空間を刃が通り過ぎていく。
すぐさま体勢を立て直し。
両腕を広げて、背後に妹をすっぽりと隠すように相手と立ちはだかった。
相手は――メイドは、一切表情を崩さず、まるで業務の一環であるかのように淡々と佇み、手の短刀を構え直している……。
ただ、その眼光はなにやら獲物を値踏みするように。
「……ほう。まさか、わたくしの一撃を躱すとは」
廊下に、メイドの冷ややかな声が響く。
「その淀みない身のこなし……。どうやら、ただコソコソと忍び込んだだけの賊ではなさそうですね」
微かな称賛を込めた言葉。
しかし――。
ドッドッドッドッドッ!
――ボクの内心は、とんでもなくパニック状態に陥っていた。




