life 24〔運命の再会はただの姉妹です〕
静まり返った館の裏側で。
慎重に歩を進めていると、使用人が使うであろう木製の扉が見えてきた。
――わずかに、開いている。
……カグヤさんが?
そんな忍びの技に感心しながら、息を殺し、その隙間に体を滑り込ませる。
館内は、外の湿った土と緑の匂いから一変し、磨き上げられた床のワックスと、微かな香料が漂っていた。
先ほどまで鳴り響いていたけたたましい警報の余韻か、空気そのものが奇妙に張り詰めている気がする……。
やや暗がりに目を慣らしながら、周囲の様子を窺う。
足音を消すために敷かれたであろう廊下の分厚い絨毯が、かえって得体の知れない不安すら煽ってくる、――そう思った矢先に。
背後で、音がした。
いや、音というよりも、空気がふわりと動くような微かな気配。
見回りの、それともカグヤさんが戻ってきたのか――。
反射的に腰に手が動き、素早く身を翻す。
「――誰、……ェ」
喉が、瞬時に凍りつく。
薄暗い廊下の、窓から差し込む僅かな光に照らされて、立っていたのは屈強な警備でも、忍びでもなく。
「……モシお姉ちゃん?」
聞き覚えのある、けれど、こんな所で絶対に聞くはずのない声。
そう、目の前に居たのは、宝石商の母を手伝い、真っ当な商い職に継いたはずの――妹。
――エイミーだった。
なんで、なんでエイミーが、こんなところに……?
先日に聞いた話が脳裏をよぎる、けれど、今はそれどころではない。
頭の中で無数の疑問符、そして抜剣しかけた間抜けな姿勢で、ただ呆然と立ち尽くす状況が続く。
と、先に空気を変えてくれたのは妹の方だった。
「……お姉ちゃん、だよね? なんで、こんな所にモシお姉ちゃんがいるの……?」
エイミーの大きな瞳が、信じられないものを見るように、揺れている。
「ぇ、ええと。そ、それは……」
何か言い訳を探すものの、気の利いた言葉は全く浮かばない。
というかは、むしろ妹が居ること自体、オカシイのでは。と。
「……エイミーは、どうしてこんな所に……?」
文字通りの苦し紛れ。ただ真っ直ぐに妹を見て、全く同じ質問を返す。
途端に妹の眉がピクッと動き、さっきまでの戸惑いから一転し、あからさまに視線を泳がせ始める。
「わ、わたしはその……、領主のロエン様との商談があって、そのことで……」
商談。そういえば――。
「――露天、だったかな……? 出店をしたって、兄さんから聞いたけど……」
「ェ。クノロ兄さんから? イツ」
「昨日、偶然街で会って……、その時に」
「そ、そう。――モシお姉ちゃんは、騎士のお仕事は……、どうしたの?」
今度は自分が視線を逸らす番となる。
「ボ、ボクは……ええと、休暇中かな……」
お互いに、ただの現状報告。
しかし明らかに歯切れは悪く。
薄暗い廊下にて、ゆっくりと気まずい沈黙が場の空気を覆う。
奇妙なことに、今の今までなんともなかったワックスのニオイすらも、妙に気になり始め。自身の、心音が、やけに煩く。
あの時と同じ、感じもする――。
▽
あの日。
騎士として王都で就職するために旅立つ、前日の夜だった。
「なんで、なんで言ってくれなかったのっッ?」
普段は母親譲りの愛想の良い笑顔を絶やさない妹が、ボクの自室の扉を勢いよく開け放つなり、怒鳴り込んできた。
「お姉ちゃんの天職が……騎士だったって、――どうしてずっと黙ってたのッ?」
そう言う妹の瞳には、一目で分かるほどの涙が溜まっていた。
ボクは荷造り中だったが手を止めて、ベッドの端に座ったまま、困り果てて眉を下げることしかできなかった。
「ッ……、わたしと一緒に、お店を開こうって言ってたのは、嘘だったの……?」
「……嘘じゃ、ない。けど、天職は神様が決めたことだから……」
「そんなの……っ」
エイミーは、唇を噛み締めて俯いた。
そして床でポタリと小さな音が、――聞こえた気がする。
「母さんも、父さんも、クノロ兄さんも……みんな商売職で、お姉ちゃんだけ違うなんて。オカシイよ……」
震える声。
……大丈夫、エイミー。
何故その一言が、言えなかったのだろう。
たぶんそれは、妹が言う様に、ボクは変だからだ。
本当に、神様はいったいボクに、何をさせたいのだろう……?
△
――未だ、沈黙が場の空気を覆う。
重苦しい空気が、二人の間に見えない壁を作っているかのように、どちらからも積極的には相手を見ようとしない。
エイミーの唇が微かに震え、何かを言おうと開閉する。けれど、言葉にはならない。
結局はボクの耳に届くことはなく、ただ妹の焦燥だけがひしひしと伝わってくる……。
ただ自分も同じだ。
気の利いた言葉どころか、息継ぎすら忘れてしまいそうなほど、喉もカラカラになってきた……。
――そんな膠着状態を破ったのは、廊下の奥からバタバタと、分厚い絨毯にすら受け止めきれないほどの、ひどく慌ただしい足音、が。
廊下の方から飛び出してきた、のは、フリル付きのエプロンを揺らしたこの館のメイドらしき人物――だった。
息を乱しながら、顔面は蒼白にし、こちらへと駆けてくる。
そして、彼女の視線がボク達を捉えた瞬間。
ギュッと分厚い布が擦れる音を立てて、ピタリと、メイドらしき人物の足が止まる。
「……ぇ?」
驚くその目が、大きく見開かれる。
瞬時に、メイドの表情が驚愕から、明らかな警戒、と恐怖に染まっていった。
続けて肩を跳ねさせて後ずさり、震える指先が、ボクへと向けられる。
「ひっ……! し、侵入者ッ? な、なんでこんな時に……っ」
こんな時……? いや、――それよりも。
「違うんですっ!」
慌てて両手を振って否定するものの、誰がどう見ても今のボクは怪しさで満点。
「そちらの方は……エイミー様? っ、まさか、アナタ方はグルだったの……ッ?」
「「ェ?」」
思わず、姉妹で声が綺麗にハモる。
――そうか。
この異常事態の中、どう見ても関係者ではない不審なボクと、商談の客であるはずのエイミーが向き合っているのだ。
「違いますっ! ボク達はそういうのではなくて、妹とは、その……!」
「そうですっ! わたし達は、じゃなくて! お姉ちゃんは、その……!」
二人して、なんとか弁解しようとするものの、互いが詳しい事情を知らないために、口から出る言葉はしどろもどろ。
結果、さらに胡散臭い感じが増してしまったのを相手の反応からも感じ取る。
ぁぁ――、ただでさえ気まずい姉妹の再会が、まさかこんな形で泥沼化するなんて。
と。
そう思った矢先。
館のメイドらしき相手が、怯えとは全く違う、低く切羽詰まった声を漏らす。
「わたくしは急ぎ、アヤネ様のところへ向かわねばならないのです……ッ」
同時に彼女が纏っているフリル付きのエプロンを、小さく翻す。
すると布擦れの音に混じり、チャキッという金属音が薄暗い廊下に響いた。
見れば、その手に握られていたのは――鈍く光る、短刀。
「ェ……?」
と。隣でエイミーが、信じられないものを見たように息を呑む。
自分はというと、状況をのみ込むよりも早く。
ドンッ!
力強く踏みしめる、重い音が聞こえた。
瞬間メイドの姿が掻き消える。
――速い。
信じられない速度で、館のメイドさんがボク達との距離を詰め寄る。
しかもヒヤリとするほどの殺気も。気がつけば、メイドはボクとエイミーの目の前――で頭上高く振り上げられた刃が、鋭く瞬く。
即座、ヒュッと空気を裂く音と共に容赦なく、ボク達へ向かって、短刀が一直線に振り下ろされた。
*
呼吸を薄く引き延ばし、影から影へと身を浸す。
忍び、生きる者にとってはかえって自然の森よりも姿は隠しやすい。
天井の梁、柱の陰、わずかな死角……。
シロ達と別れた後、カグヤは単独で、……館の奥に足を踏み入れていた。
歩みを進めるたび、館内に漂う雰囲気と相まって心地よい高揚が忍びの自己肯定感を震わす。――と。
突如として、けたたましい警報音が鳴り止む。
カグヤは殆ど隠れている表情すらも変えず、瞬時に壁のタペストリーの裏へと身を滑り込ませた。
直ぐに、慌ただしく廊下を駆け抜ける複数の足音が近辺にやって来る。
館内で働いている者達が状況に合わせて動き出したのだろう。
そんな中、忍びは気配を完全に殺したまま、素早く滑るように移動を開始する。
――辿り着いたのは、一見すると他と変わらない、薄暗い廊下。
だが、明らかに空気が違う。
見るからにあやしい壁の一部、不自然に途切れ、中途半端に開け放たれたままの回転する仕組みを持つ――扉。
隠し部屋だ。
(……ここですね)
カグヤは細い目をさらにすがめ、音もなく、部屋の中へと――進み入る。




