願い~シスル視点~
シスルは死んでしまった心で、憎んでも憎み切れないほど許せないグルナードへ笑顔を向ける。
妻になるのが夢だったと伝えても半信半疑で自分に靡かない男に献身的に尽くし媚を売り続け、街で元部下に絡まれた時には彼を手中に収めるためにしたくもない擁護をし、その後身体も開いた。
油断させるために、絶望を味わわせるために覚悟していたことだ。
何も知らないまま凌辱された母と姉、その他大勢の無残に殺された人々に比べれば、自ら進んで身体を差し出すなど何てことはない。
けれども痛む胸は誤魔化せず涙が零れた。
あの男はそれを破瓜の痛みと嬉しさからだと誤解したようで、微笑みながら反吐をはきたくなったものだ。
それもこれも全ては絶望を味わわせるために。
そうしなければ死んでいった母と姉に顔向けができないと思った。
それでも殺したはずの心が痛くて痛くて悲鳴を押し殺す日々だった。
そんな時にミムラスは、やってきてしまったのだ。
彼に笑いかけるわけにはいかなかった。
彼の手を取るわけにはいかなかった。
そうなるように仕向けたのは全て自分だったから。
殺人未遂とはいえ一方的な横恋慕で英雄を手に掛けようとしたミムラスは、きっと廃嫡されるだろう。
だがミムラスの行く末を思うとそれで良かったのかもしれないと、自分達と同じ地獄を味わわせるため生かしている憎いグルナードの看病をしながらシスルは考えた。
クローバー男爵家が婚約破棄騒動の慰謝料としてクロッカス侯爵と王家に支払った金貨には秘密があった。
実は粗悪な鉛を大量に含んだ所謂贋金だったのである。
アドニスが優秀で文字通り血反吐を吐くまで働いたとはいえ、何の後ろ盾もない商人が男爵の地位にまで成り上がれたのは、戦争特需だけでなく贋金を元手にしていたからに他ならない。
復讐が完遂するまでの間だけ露見しなければいいという考えの元、今までは国外に流通しそうな貨幣だけは本物を使用し、監査や査察の際に莫大な賄賂を渡したり、書類を改ざんしたりと巧妙に隠蔽して、隠し通すことに成功していた。
だが、外国と莫大な取引があるクロッカス侯爵へ贋金を流したことで、この国に流通している金貨やその他の貨幣のほとんどが粗悪な贋金にすり替えられていることが判明するだろう。
大量の通貨を伴う交易が行われた際には、当然その国で監査が入るものだ。
支払われた金貨が粗悪品だと知られれば当然その国からは制裁を受け、周辺国からの信用は地に落ちる。経済は回らなくなり、ただでさえ貧困にあえぐこの国では暴動が起きるに違いない。
暴徒と化した民衆は手始めに目立つ商家や貴族の別邸に押し入り略奪を始めるだろう。クロッカス侯爵家が所蔵する豪華客船と称した奴隷船など格好の餌食である。
そんな時に、一度は国王による揉み消しで罪を免れたクロッカス侯爵の船から拷問された跡のある奴隷の死体が見つかれば、恨みの怨嗟は彼と彼の一族のみならず王族へも波及するはずだ。その先の未来に待つのはクロッカス侯爵と国王の無残な最期だろう。
だがその時に王太子の位を返上していればミムラスだけは助かる見込みがあるかもしれなかった。
事態はシスル達の思い描いた通りのシナリオで進んでいくと思っていたし、当初はミムラスも暴動のさなかに命を落とすことになるだろうと考えていた。
それなのにシスルは彼の命が消えなくて済むことにホッとしてしまっていたのだ。
しかしミムラスが心を病んだと噂を聞いた時、シスルは、自分は罰を受けなければならないと思った。
彼を助けたいと願ってしまった罰、そして彼を愛してしまった罰を。
空色の髪を振り乱し姉の名を吐血しながら呼び続ける母親と、未成熟の身体を貫かれ泡を吹いたまま焦点の合わない瑠璃色の瞳で虚空を見つめ動かなくなった姉。二人が襤褸切れのようになって動かなくなってゆく様が、苦痛に歪んだ顔が、代わるがわる脳裏に浮かび、許せない、許せない、と繰り返し叫ぶ声が聞こえる。
あんな酷い目にあわされても柱時計に隠れたシスルの事を最期まで悟らせなかった二人が、そんなことを言うわけがないことは解っている。
母は子を、姉は妹を守るため、自ら犠牲となってシスルを守ってくれたのだから。
復讐だってきっと望んでいなかった。
けれど、シスルの心は許せないと繰り返し叫び続けている。
それはきっと、一番許せないのが、見ていただけで動くことができなかったあの日の自分だからだ。
3歳の子供が出て行っても餌食になっただけだろう。
けれども柱時計の中で、恐怖からじっと惨劇を見ていることしかできなかった自分が情けなくて申し訳なくて、消してしまいたいくらい憎かった。
父親であるアドニスは助かったシスルを抱き締め謝罪を繰り返し「お前だけでも生きていてよかった」と泣いてくれたけれど、シスルは自分を嫌悪し続けた。
だから復讐することにした。
母と姉を手に掛けた奴らに同じ苦しみを味わわせれば、汚い自分が少しだけ綺麗になれる気がした。そのために心を捨てたはずだった。
それなのにおめおめとミムラスに絆されてしまった。
自分の恋心を自覚した時シスルは吐いた。
復讐を誓ったのに、なんて浅ましく、不義理で、唾棄すべき人間なのだろうと自分を許せなかった。
ミムラスは断罪を受けるべき側だ。
直接の罪はないが彼はこの国の王太子なのだから。
そう頭では解っている。
それなのにミムラスを助けたいと願ってしまう自分が抑えられない。
好きだと自覚してしまった心は厄介なことこの上なく、醜い感情を捨てようとして吐いても吐いても出てくるのは苦い胃液ばかりで、胸に残る恋慕が消えてなくなることはなかった。
シスルはもう自分がどうしたらいいのかわからなくなってしまった。
だから、そう、だから、シスルは復讐の最期に罰として自分が死ぬことを選んだ。
予定では国王にグルナードを殺させるつもりだったのだが、代わりに自分が死ねば更に民衆の王家に対する不信感は増すはずだ。
アドニスは何度も止めたが、頑として譲らないシスルについに折れ、さめざめと泣き続けた。
燃え盛る屋敷から助け出されたあの日と同じように、泣きながら謝罪を繰り返す父親に申し訳ない気持ちになったがシスルの決心は揺らがなかった。
グルナードへ復讐を決めた時もアドニスは必死に止めた。
自分の娘が汚されることを望む父親などいない。
本当は薬物などで誤魔化して白い結婚のまま攫うつもりだったのを、シスルが独断で変更したのだ。
娘の悲しい決断を知った父のアドニスは既に十分苦しんでいる。そして本当は彼こそ自身の死を望んでいる。
そのことをシスルは十分すぎる程解っていた。
今まではシスルとシスルの願いである復讐を叶えるために生きていたが、シスルが死んでしまえばきっとアドニスも後を追ってくる気だろう。
だがそんな父親の望みを無視して、さらに残酷なお願いをしようとする自分は何て身勝手なのだろうと思うが、シスルはどうしても大切な人達に生きていてほしかった。
あの日、受けとることが出来なかったミムラスから差し出されたシロツメクサの花の残骸を思い出しながら「ごめんなさい」と呟く。
幼い頃の記憶にある揺り籠のような心地よい父親の腕の中で、シスルの意識は深淵なる闇の中に溶けていった。




