復讐の終わり
クローバー男爵家の一室では惨劇が始まっていた。
寝台の掛布を捲って帯剣を突き刺した国王の脳裏には、シスルが看病疲れからノイローゼになり、自分の帯剣を奪ってグルナードを刺したという筋書きがあった。
しかし国王は己が突き刺した相手を見て、驚愕のあまり思考が停止する。
その耳に盛大な悲鳴が轟いた。
「いやああぁぁぁ! 誰か! 誰か来て! 国王陛下がシスルお嬢様を手に掛けました!」
寝台の枕元で叫び出した女の声は、国王の記憶にあるシスルの声ではなかった。
そして己が突き刺した人物もグルナードではなく、目の前で叫び続けるシスルだと思っていた女が言うには、寝台で横たわっていた者こそシスルだという。
何が何だか解らず混乱する国王がその場にペタンと尻もちをついたところで、バタンと扉が開かれた。
「シスル! ああ! どうしてこんなことに! 国王陛下がシスルに謝罪をしたいというから娘の部屋へお通ししたというのに、まさか刃を向けられるとは!」
女の叫びと共に飛び込むように入室してきたアドニスは、寝台の上で変わり果てた愛娘を見ると悲痛な叫び声をあげ、その声に誘われるようにわらわらと隣室から人々がなだれ込んでくる。
実はこの日、クローバー男爵家では昨日亡くなった英雄グルナード・ブラックサレナ将軍を悼む人々が集まっていた。
英雄として痩せ細った身体を衆目に晒したくないというグルナードの遺言で、遺体は亡くなってすぐ密かに火葬されており、今日の昼過ぎになって彼の訃報の連絡を聞いた人々が献花のために足を運んでいたのである。
早すぎる夫の死に憔悴したシスルは自室で休んでおり、皆が彼女の隣室にてグルナードの死を嘆いている所で、人々は侍女の悲鳴を聞きつけたのだった。
「ブラックサレナ将軍が亡くなったことで憔悴し、寝台で休んでいたシスルお嬢様を国王陛下がいきなり刺したんです!」
シスルと似た髪色をした侍女の説明に、人々は寝台の上で夥しい量の血液に沈むシスルと血塗れの帯剣を握りしめたまま床に座り込んだ国王を交互に見る。
すぐさま状況を理解した人々によって国王に厳しい視線が注がれた。
「ち、違う! これは……これは何かの間違いで、とにかく違うのだ! そ、それよりブラックサレナ将軍が死んだ? だと?」
要領を得ない言い分と、知っているはずの事実をさも今知ったかのように驚いたふりをして口にする国王に、人々は呆れを隠せない。
既に昼前には街の人々にもグルナードの訃報が伝えられたのに、国王が知らない訳がないと憤慨する者さえ現れ、国王の置かれた状況は益々悪くなってゆく。
勿論、クローバー男爵家ではグルナードの死亡届を王宮へ提出している。しかしそれが何かの手違いで国王の許へまだ届いていなかったことなど、与り知らぬことであった。
「しらじらしい! 夫を亡くした娘に謝罪を、と護衛までも遠ざけられたので信頼した私が愚かでした」
憎悪の混ざった眼差しで国王を責めるアドニスに不敬だと言うのも忘れ、国王は言い訳を始める。
「儂は、将軍が死んだことなど知らない! それにこの女を殺すつもりはなかった!」
「この期に及んでまだシラをきるとは……! その手に持っている血塗られた帯剣が娘を殺した動かぬ証拠でしょう!」
「こ、これは……違う! 違うのだ!」
まだ握りしめたままだった帯剣にはべっとりと血糊が付いており、国王は慌てて放りだすが、最早誰の目から見ても彼がシスルを刺したことは明らかだった。
「何故、何故シスルを……この子ばかりが何故、こんな辛い目に……」
寝台に血塗れで横たわる娘を抱きしめてアドニスが譫言のように問いかける言葉に、人々が憐みながら顔を見合わせる。
「王太子殿下がシスル様に横恋慕した末に凶行に及んで、貴族牢に入れられたから恨んでいたんじゃ……」
「え? それただの自業自得でしょう? それなのに逆恨みでシスル様は刺されたの?」
「自分の息子の凶行を棚に上げて、無実の令嬢を刺すなんて国王は人でなしだ」
「それに婚約破棄騒動だってシスル様は巻き込まれただけで冤罪だったんだろ?」
「ブラックサレナ将軍だって王太子に刺された傷が元で亡くなったのに……」
「なんて酷い奴らなんだ! 幾ら王族でも許せる限度を超えている!」
不穏な空気が一気に張りつめる中、殺人を擦り付ける所を見られたら困るという身勝手な考えで、護衛を応接室で待機するよう命じてしまっていたため国王を守る者はいない。
いや、悲鳴を聞いてすぐに駆け付けたものの、室内の状況と人々のあまりの剣幕に廊下で動けずにいたのである。
怒りを露にした人々は、そんな右往左往する護衛達を目敏く見つけると口々に言い募った。
「衛兵、何をしている! この人殺しを捕えろ!」
「国王だろうが、人殺しは犯罪だ! 親子揃って卑劣な奴らめ!」
護衛がたじろぐ中、悪意など向けられたことのなかった国王は、鬼気迫る群衆の迫力に恐怖を覚える。
床に座り込んだままの国王の周囲に、ジワッと生温い液体が広がった。
「うわっ、国王が漏らしやがった!」
「くっせぇ! 最悪だ!」
「これがこの国の王なの! とんだ恥晒しね!」
「なんて情けない! 反吐が出る!」
侮蔑と嘲笑の的となった国王へ人々が口々に罵る一方、アドニスはヒューヒューとか細い息をするシスルを抱き寄せると嗚咽を漏らしながら娘の名を呼び続けていた。
「……シスル……シスル……」
何度目かの呼びかけに、薄っすらと瑠璃色の瞳を見せたシスルは眉尻を下げると力なく微笑んだ。
「お父さん……ごめんね」
自分の死期を悟っているらしく、まるで昔のような言葉遣いで謝罪を述べた娘にアドニスの顔が歪む。
腹部から流れる大量の赤い血が、急速に娘の生を奪ってゆく。
もう助からないことは誰の目から見ても明らかで、せめて最期は親子の邪魔をしないようにと周囲の者たちも遠巻きにしてくれている中、アドニスとシスルは小さく言葉を交わした。
「酷い娘だ。お前も私より先に逝くなんて」
「どうか……約束……を、おねが……い。お父さん、死な……ないで……ね。……ご…………さい」
「本当に……酷い娘だ。………………シスル!」
アドニスの娘を呼ぶ声とともにダランと垂れ下がった白く細い腕に、周囲の者達はシスルが儚くなったことを知る。
困惑を浮かべる護衛と、事情を知らされた王宮文官によって派遣されてきた騎士団に国王が連行された後も、夫である英雄グルナードと同様に王族の理不尽な凶刃に倒れた彼女を憐れんで、すすり泣く声がいつまでもやまなかった。




