妻の過去
妻になりたかったのは本当だと言われ安堵したのも束の間、相変わらず自分を見下ろしたまま助ける素振りを見せないシスルに不安が募る。
彼女が発した英雄という言葉に憎悪が籠っているような気がして、その先を聞きたくないと思っていても、あんなに尽くしてくれたシリルが自分を裏切るはずがない、と自分に言い聞かせる。
しかしそんなグルナードの微かな期待は見事に打ち砕かれた。
「貴方の妻になりたかったのは、復讐をするためにその方が都合が良かったからです」
残酷な真実にグルナードの心は木っ端微塵になりながらも、それでも諦めきれずに、いつも撫でていた空色の髪へ手を伸ばそうとするが、やはり身体が痺れてままならない。
その様子を冷たい視線で見つめたシスルが、グルナードが触れたいと願った空色の髪を手にとりサラサラと靡かせて呟いた。
「貴方がいつも撫でていたこの空色の髪も綺麗だと褒めていた瑠璃色の瞳も、私の大好きだった人達と同じ色なんですよ。ねぇ、ブラックサレナ将軍、本当に覚えてないですか? 貴方がまだ将軍などという大層な地位ではなく、部隊長として地方都市を攻めていた時のことですよ」
グルナードを視界に映しながらも、どこか遠くを見るように端然と告げるシスルの声は先程までの冷たさだけとは違い、憂いと悲しみが混じる。
「あの街で私の家は大きな屋敷でしたから目をつけたのでしょうね。侵攻の際、民間人は殺さないと吹聴していたくせに屋敷を襲い、逃げだそうとした使用人達を次々に殺していった貴方の部隊は、館の奥に潜んでいた空色の髪をした私の母と、瑠璃色の瞳をした姉までも手にかけた」
明かされた過去に、グルナードは必死に記憶を弄る。
薄っすらと思い出すのは、己の出世と快楽を満たすため非道な行いを繰り返していた若い頃の自分。そして、侵攻した隣国で見つけたひときわ大きな屋敷と、そこにいた若く美しい女と幼さがまだ残る大人になる手前の少女。
グルナードの記憶の中で、あの時の女の髪と少女の瞳が、目の前で佇む愛する妻の纏う色と重なった。
「ま、まさか……まさか、君は……」
自分の行いを思い出し、目を見開くグルナードだったが、シスルはそんな彼など気にも掛けずに過去を、抱えてきた想いを、ぶちまける。
「あの日、屋敷が襲撃されたと知った母は、私達姉妹が逃げる時間を稼ぐため貴方達に向かっていった。そして姉は……子供部屋があるのに子供がいないと騒いだ貴方達の声を聞いて、当時三歳だった私のことを大きな柱時計の中に隠すと、自分は囮となって出ていった。
柱時計の隙間から、何人もの兵士に輪姦され壊されてゆく母と姉を見つめることしかできなかった私の気持ちが解りますか? 身体の弱かった母は血を吐いていた! 姉はまだ10歳だった!」
それまで淡々と話していたシスルの声が震え、気がつけば瑠璃色の瞳からは涙が零れて一筋の跡を作っていた。
それでも彼女は過去を語るのを止めなかった。
拳を握りしめ一度だけ大きく深呼吸をして冷静さを取り戻したシスルは、また遠い目になり語り続ける。
それはグルナードに犯した罪を自覚させるためというよりは、遠い過去にあった非道な出来事と、幕が開けた断罪へのプレリュードを遍く自身に言い聞かせるためのように見えた。
「母と姉を嬲り殺し金目の物をすっかり強奪した貴方の部隊は、証拠を隠滅するために屋敷に火を放つと嗤いながら去って行った。炎と煙の中、ショックで動けずにいた私は父に助け出されました。
商談で家を留守にしていた父は戦争が始まったと聞いて慌てて帰国したばかりでしたが、自分の危険も顧みず燃え盛る屋敷の中へ飛び込むと私達を懸命に探してくれた。それでも火の回りが早くて、やっと見つけた私を抱えて逃げるのに精一杯で、母と姉の無残な遺体は屋敷と共に灰になってしまいました」
自分の空色の髪を撫でつけ寂しく微笑んだシスルに、グルナードは項垂れる。
あの頃は、奪った金品を上官に差し出すと地位が上がり、人を殺せば殺すほど名声が高まっていったことに味を占め、強奪と凌辱は常習化していた。悪いことをしている自覚はあったため、痕跡を残さないように襲った屋敷には必ず火を放っていたのも事実である。
だがまさか、愛する妻の家族を手にかけていたなど考えもしなかった。
「迫りくる敵軍を搔い潜って、何とか逃げおおせた私と父は復讐を誓った。全てはこの国に、貴方に復讐するために。
ですが元平民なため社交が苦手で、家自体も困窮していた20歳も年上の貴方と結婚まで漕ぎつけるのは苦労しました。それに初夜の時の釣れない貴方の態度も誤算でしたわ。ケダモノのような貴方のことですから、好みではない貧弱な身体でも見境なく襲ってくるかと思いましたのに」
グルナードへ軽蔑と嘲笑の眼差しを向けつつも、どこか他人事のように話すシスルは困ったように片手で頬を抑える。
「献身的に尽くしても中々靡いてくれなくて困り果てていたんですよ。復讐を待ちわびている使用人の皆さんにも立つ瀬がなくて、いっそ貴方の元部下達のように足がつかないように攫って拷問するだけでもいいかと思い直したりもしたのですが、それだと心理的制裁が軽すぎるでしょう? 貴方には絶望しながらこの世の終わりを迎えてもらわなくては、死んでいった方々と釣り合いが取れないもの」
淡々と紡がれるシスルの言葉に、グルナードの心臓が物理的ではない痛みに突き刺された。
溺愛していた妻に、こんなにも自分は恨まれていたのかと思うとやるせなかった。
しかし口を吐いて出た言葉は謝罪ではなく、僻むような言葉であった。
「俺を……愛してると言ったではないか……」
「まぁ! 英雄ともあろう方が嘘はいけませんわ。私、貴方を愛してるだなんて一言も言った覚えはありません。虫酸が走るほど嫌悪しているのを隠すのは大変でしたけれど、私は嘘なんて吐いていませんわ」
弾かれたように言い返したシスルにグルナードは眉を寄せる。
今の今まで自分はシスルに愛されてると思っていたのだ。それがまさか一言も愛していると言われていなかったなど考えられない。
グルナードは「違う! そんなはずはない!」と必死に記憶を手繰り寄せた。
グルナードと一緒になれて嬉しいと言った。
妻になるのが夢だと言った。
どれだけ邪見にしても献身的に尽くしてくれた。
失礼な元部下にも毅然と立ち向かってくれた。
人殺しの自分を蔑まなかった。
王太子より自分を選んでくれた。
考えれば考えるほど、シスルが自分に向けた愛は本物にしか思えない。
しかしシスルの言う通り、幾ら思い返してみても彼女から愛していると言われた記憶がみつからない。
「嘘だ、嘘だ、嘘だ、嘘だ……!」
受け入れたくない現実に脳がシャットアウトして、自分自身に思い込ませるように呟き始めたグルナードは、既に麻痺が全身に広がり指先一つ動かせないため、机に突っ伏したままである。
「ねぇ、グルナード……」
不意に聞こえた、貴方でも将軍でもなく名前を呼んでくれた声に、グルナードが眼球だけを動かすと、シスルがこの部屋へ来る前まで見せていた可愛らしい笑顔を向けてくる。
その笑みにグルナードは一縷の希望を見出した。
今までの言動は、質の悪い冗談だと、ちょっとした悪戯だと謝罪してくれれば笑って、は無理だが許してあげようと口角を上げる。
「シス……」
「苦しんで苦しんで、地獄に堕ちろ!」
愛しい妻の名前は最後まで言うことは叶わなかった。
耳に木霊したシスルの呪いの言葉に愕然としたグルナードを、笑みを消し能面のように無表情な顔になった使用人達が取り囲む。
「ひっ……!」
「ああ、その顔が見たかったんです。貴方も最後に大好きな私の笑顔が見られて良かったですね」
晴々と笑ったシスルの視線の先には、まさに顔全体を絶望と恐怖で埋め尽くしたグルナードがいた。
シスルはそのまま声にならない絶叫をあげるグルナードに背を向けると、振り返る素振りも見せずに颯爽と部屋を後にしたのだった。




