英雄の代償
15年前の戦争開戦時、グルナードは小隊の部隊長に過ぎなかった。
しかしグルナードには野心があった。
戦争という軍人が出世を望むならば千載一遇の好機を彼は見逃さず、次々と敵を屠っていった。戦時下特有の非日常はグルナードと彼の部下から理性を奪い、非人道的な方法や民間人への暴行略奪は日常茶飯事で行われ、他の部隊より抜きんでた戦果をあげていった。
当時、蛮族と呼ばれた隣国へ突如侵攻した軍隊は、主要都市を次々に壊滅させていったものの、首都陥落間際に厳しい抵抗にあい、指揮官級の将校が次々に倒れていった。
そのため僻地戦で手柄を挙げ、民間人を含めた敵兵を斬殺した数だけなら軍内一と言われたグルナードが、平民出身ながら異例の将軍に抜擢されたのである。
その人事は平民出身の兵士たちの士気を大いに上げ、彼らはグルナードに倣えと斬殺・虐殺を極めた。その殺戮の凄まじさは隣国の首都を流れる大河が人々の流した血で真っ赤に染まったほどだったという。
結果、隣国は焦土と化し、戦争を勝利に導いたグルナードは祖国で英雄となった。
敵国の人間には大きな傷跡と恨みを残して。
だが、それは軍人として仕方がなかった行為であり、戦争が終わった今、責められる謂れはない。しかも既に15年もの月日が経っているのだ。
「せ、戦争だったんだ! 仕方がないだろう!」
男爵家の使用人達が敵国の人間だったと悟ったグルナードは、薬のせいで身体に力は入らないが眼球を動かすことや話すことは可能なようなので憤然と反論する。
そんなグルナードへシスルは可愛らしくコテンっと首を傾げてみせた。
「戦争だったから仕方がない? でも私達の国は戦争を望んでなんかいませんでしたよ。蛮族と一方的に蔑まれ、ある日突然侵略されて、気がついたら大切な人を奪われていたんです」
いつもは抱きしめたくなるシスルの可愛らしい仕草が今は何か空恐ろしい。
それに笑みを浮かべてはいるが居並ぶ使用人達からは異様な空気が漂っており、加えて痺れが増す自分の身体と、15年前の戦争の恨み節を聞かされ、置かれた状況の拙さを漸く理解したグルナードは叫ぶように言い募った。
「そんなこと……そんなこと知らない! 助けてくれ!」
グルナードにしてみれば蛮族討伐のための戦争だと聞いていたのだ。
上官に言われるまま、隣国の者達は自分達と相いれない思想の蛮族だから、殺られる前に殺るのは当然だと邁進した。本当は心のどこかで彼らが自分達と同じ人間と解っていても、知らないふりをして出世のために残虐な行為を繰り返していたことに気が付いたのは、戦争が終わって赤く染まった大河を見た時だった。
終戦後、部下の中には精神を病んだ者が多数出た。グルナードでさえ、剣を握ると数多の人間を殺した感触が蘇るようになり、早々に退役せざるを得なかったのである。
だが戦争だったのだ。先程、グルナードが訴えたように仕方がなかったのだ。
それに15年も前の戦争をほじくり返して、今更復讐どうのこうの言われても理不尽だと助けを乞うたグルナードに、シスルは冷たく聞き返す。
「でも助けてほしいと言った人に、貴方は何をしたんですか?」
シスルの問いかけに応えたのはグルナードではなく使用人達であった。
「降伏すれば命は助けるって言われて投降した俺の祖父は殺されたな」
「命乞いをした甥は拷問された後に放置されて死んだよ」
「助けてと言った男の子の口にナイフを突っ込んで嗤っていたよね」
「私の母は……命は助けてもらえたわ」
地獄に光明を見つけたような気がして視線をそちらへ向けたグルナードと、母の命は助けてもらったと言った使用人の目が交錯する。
視線が合ったのはまだ齢若い使用人であった。
グルナードは懇願するように必死に視線を送る。
しかし、その視線に返されたのは底なし沼のように昏く澱んだ瞳だった。
「ええ、確かに命は助けてもらえたわ……人間としての尊厳は殺されたけれど!」
絞り出すように声を荒げた使用人は、汚物でも見るようにグルナードへ吐き捨てる。
顔は笑っているのに、荒ぶる声音は限りなく低く、まるで獣の唸り声のようであった。
「甚振られ弄ばれ、心を病んだ母は私の目の前で自ら命を絶ったわ。そうね、皆と違って私は直接肉親を殺されたわけじゃない。けれど母を死に追いやったのは紛れもなくアンタよ! ……だからね、あの日、母がされたことをアンタにもしてあげる。旦那様とお嬢様がアンタをここへ連れて来てくれるって言うから、私は今まで生きてきたんだもの!」
狂おしいまでの怒気と憎悪をぶつけられて、グルナードは恐怖する。
逃げ出したくても痺れる身体が言うことを利かず、恥も外聞もどこかに吹っ飛び、みっともなく妻の名前を叫んだ。
「う、うわあぁぁ! シスル! シスル! 助けてくれ!」
震える手を懸命にシスルへ伸ばそうとするが、いくら力を入れようとしても痺れる腕はピクリとも動かない。
一方のシスルはそんなグルナードを微動だにせず見下ろすだけで、瑠璃色の瞳は冷たい輝きを湛え、夫を気遣う色は見られなかった。
そのことに気が付いたグルナードの瞳が困惑するように揺れ動く。
この状況が自分を陥れるためにシスルによってつくられたものだと、事ここに至ればグルナードにだって察しがついた。
けれどまだシスルが自分を騙していたことが信じられない。
「……俺の妻になりたいと言ったのは、嘘だったのか?」
否定して欲しいと願い、縋るようにシスルへ訊ねれば、静止していた彼女の眉が不快気に上がった。
「あら? 貴方の妻になりたかったのは本当ですよ。私、嘘はつきません。だって嘘をついたらいけませんって、子供の頃に大好きな母と約束したんですもの」
「では、何故!?」
「何故? この状況でわかりませんか? 英雄とも言われたお方ですのに随分と察しが悪いんですね」
呆れたように言い放つシスルに、グルナードの心臓が嫌な音を立てた。




