第一幕 八
布屋を出ると、華は包みを腕に抱えたまま歩いた。
店の中で見せた黒い板は、もう布袋へしまっている。それでも、ときどき袋の口を確かめるように指が触れた。
レオンはその横を歩きながら、次に何を済ませるかを考えた。
宿の部屋は取ってある。食べるものも、今夜の分まではある。新しい上衣も手に入った。
それで、華が街でひとりになって困らないわけではない。
道を聞けない。硬貨の違いも分からない。水を頼むことさえ、今朝まではできなかった。
だが、店で華が示したのは、必要なものを待って受け取るだけの動きではなかった。
汚れた袖を見せて、板へ形を描いた。並んだ布の中から、自分で一枚を選んだ。洗う場所も、あの細い印と身振りで尋ねようとした。
通じたかどうかを、華自身は分かっていない顔をしていた。
それでも、試した。
なら、次に何を要るかも、こちらだけで決める必要はない。
*
宿へ戻る途中、レオンは水場のある共同の洗い場へ寄った。
石の縁に桶が並び、二人の女が布をすすいでいる。壁際には、昨日見たものと同じような小さな灯りがあり、その下の金具から細い水が落ちていた。
華は立ち止まり、その水を見た。
レオンは上衣の包みと、華の汚れた袖を見る。洗う場所を尋ねたとき、布屋の女が指した桶と、手を擦る動きが頭に残っているらしい。
ここも似たものだと、華は自分で比べている。
レオンは洗い場の端を指した。それから、水を受ける桶を指し、黒い板を示す。
華は布袋から板を取り出した。
水の印の横へ、今度は自分の服らしい形を描く。次に、袖の汚れを指す。
近くにいた女の一人が、板を覗き込んだ。
華は少し身を固くしたが、板を引かなかった。
女は華の上衣を見て、空いた桶を指す。続けて、自分の手元の石鹸らしい塊を持ち上げ、布を洗う動きを見せた。
華はその動きを見た。まだ近づかない。だが、桶と石鹸らしいものを順に見て、女へ小さく頭を下げた。
言葉は通じない。
それでも、何をすればいいかは、さっきより分かる。
レオンは洗い場の隅に寄せられた長椅子を指した。華が板を握ったまま、そちらを見た。
待つか。自分でやるか。
選ばせるには、まだ足りないものが多い。水の扱いも、洗う順番も、ここで誰に断ればいいかも、華は知らない。
だから今日は、見せるだけでいい。
レオンは自分の水袋を外し、桶へ水を受けた。布を濡らし、石鹸らしい塊を少し使い、汚れた箇所を擦る。すすいで、絞る。
華はその手元を見ていた。
途中で、黒い板へ何かを書き足す。水の印の下に、桶らしい形と、布を絞る手を描いている。
レオンが終えると、華は濡れた布を指した。それから、自分の上衣の包みを抱え直し、首を横に振る。
今は洗わない。
そういうことらしかった。
新しい服を先に着るのかもしれない。洗うのは、そのあとにするつもりかもしれない。
レオンは頷いた。
*
宿の帳場で、レオンは明日の朝の食事を頼んだ。
女将が華を見て、何か尋ねる。
レオンは華の方を見た。
華は黒い板を持っていた。少し考えてから、今朝のパンの印を探す。白い棒で、その隣に小さな印を一つ足した。
女将が板を見て、台所の方を指す。次に、指を二本立てた。
華は二本の指を見る。自分とレオンを指してから、小さく頷いた。
女将は帳場の奥へ消えた。
レオンは硬貨を置く。
華はその手元を見ていたが、硬貨へは手を出さなかった。
今の華には、払うものがない。
だから自分が払う。
それは、特別なことではない。森で見つけた人間を、言葉も分からない街へ連れてきた。寝る場所と食べるものを用意するのは、その続きだ。
ただ、いつまでも自分が選び続けるのは違う。
今日、華は上衣を選んだ。洗い場では、見たものを板へ残した。宿の女将へも、自分で印を出した。
必要なものを渡して終わりではない。
華が何を知らず、何を知りたがるのかを、これからは見なければならない。
帳場を離れると、華は新しい上衣の包みと黒い板を抱えていた。
レオンが廊下を指す。
華は少し遅れて、部屋の方へ歩き出す。
その背中を見ながら、レオンは自分の鍵を掌で転がした。
明日も、まずは見せる。
そのあとで、華が何を選ぶかを待てばいい。




