↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/30

第一幕 七

 帳場の前を離れてから、華はしばらく自分の袖を見ていた。


 森で土についた跡が、薄い布の肘に残っている。荷馬車の縁へ手をかけたときの汚れも、落ちきっていない。


 破れてはいない。


 けれど、これからも同じ服だけで歩くなら、水場がどこにあるかも、洗ったあとに何を着るかも考えなければならない。


 華は布袋から黒い板を出した。


 レオンが横を見る。


 白い棒で、板に自分の上衣らしい形を描く。次に、袖の汚れを指す。それから通りの向こうに並ぶ店を指した。


 言葉になっているかは分からない。


 ただ、レオンは板と華の袖を順に見た。


 すぐには歩き出さなかった。通りの先を二つ指し、それから華を見る。


 どちらへ行くか、ということらしい。


 片方には果物や乾いた豆を積んだ台がある。もう片方には、色の違う布が、軒先から何枚も下がっていた。


 華は布の方を指した。


 レオンは頷かなかった。それでも、そちらへ歩き出した。


     *


 店の中には、布だけでなく、畳んだ上衣や、紐でまとめた足首までの裾が並んでいた。


 壁際の棚には、小さな留め具や針らしいものもある。店の奥では、年嵩の女が布を広げ、細い棒の先で端を押さえていた。


 女はレオンの顔を見ると、短く何か言った。


 次に、華を見た。


 視線は華の髪や靴、今着ている服へ向いた。見慣れないものを確かめているのかもしれない。意味までは分からない。


 華は黒い板を開いた。


 さっき描いた上衣の隣に、もう一つ、少し長い形を描く。袖を指し、膝のあたりを指す。それから棚にある濃い色の上衣を見た。


 女は棚から二枚を下ろした。


 一枚は薄く、今の服に近い形だった。もう一枚は、腕を通すところが広く、丈が膝より少し上まである。布は重いが、指で押してもすぐには皺にならない。


 華は二枚を触った。


 店の外では、朝の掃除をしている人の服も、荷車を押している人の服も、今の自分より厚かった。森を歩いたとき、枝へ引っかかった薄い袖の感触を思い出す。


 華は濃い方を持ち上げ、自分の肩へ当てた。


 女が何か言い、両手を広げる。


 華は腕を伸ばした。


 女は上衣を華の上から重ね、袖の長さを確かめる。少し長いらしい。折り返す仕草をして、もう一度華を見る。


 華は鏡らしい磨かれた板へ目を向けた。


 そこには、森で目を覚ましたときと同じ服の上に、知らない形の上衣を重ねた自分が映っている。


 似合うかどうかより、動けるかどうかを見た。


 肩が上がる。腕も曲がる。丈は歩くときに邪魔をしない。


 華は女を見る。


 上衣の端を持ち、黒い板に描いた形を指した。それから自分の胸を指す。


 これでいい。


 たぶん、そう伝わった。


 女はレオンへ何か尋ねた。


 レオンは華ではなく、上衣と女の指先を見た。少し考えてから、腰の袋を出す。


 華は手を上げた。


 レオンがこちらを見る。


 黒い板の端に、水差しのそばで覚えた印を写す。次に、自分の衣服を指す。汚れた袖をつまむ。


 洗う場所があるか、聞きたい。


 そうしたつもりだった。


 レオンは板を見た。すぐに答えず、女へ短く話す。


 女は奥の方を指した。そこには布を張った低い仕切りがあり、脇に桶が置かれていた。女が水を汲む仕草をしてから、両手で何かを擦り合わせる。


 華は、その動きを見た。


 ここで洗えるのかもしれない。


 今は、それで十分だった。


 レオンが金属片を卓へ置く。女は上衣を畳み、紙のようなものに包んだ。


 華は包みを受け取った。


 伝わったかどうかは、最後まで確信できなかった。


 それでも、女は華が欲しいものを棚から探してくれた。


 自分で選んだものだった。


     *


 店を出ると、華は包みを腕に抱えた。


 レオンは少し先で立ち止まり、華を見る。黒い板はまだ華の手にある。


 華は水の印をもう一度見た。


 上衣を選ぶことも、洗う場所を尋ねることも、言葉だけではできなかった。


 けれど、板と、目の前にあるものを並べれば、相手へ渡せるものが少し増える。


 レオンは通りの先を指さず、華を見るだけだった。


 華が歩き出すのを待っている。


 華は黒い板を布袋へ戻し、包みを抱え直した。


 それから、レオンの横へ並んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。