第一幕 七
帳場の前を離れてから、華はしばらく自分の袖を見ていた。
森で土についた跡が、薄い布の肘に残っている。荷馬車の縁へ手をかけたときの汚れも、落ちきっていない。
破れてはいない。
けれど、これからも同じ服だけで歩くなら、水場がどこにあるかも、洗ったあとに何を着るかも考えなければならない。
華は布袋から黒い板を出した。
レオンが横を見る。
白い棒で、板に自分の上衣らしい形を描く。次に、袖の汚れを指す。それから通りの向こうに並ぶ店を指した。
言葉になっているかは分からない。
ただ、レオンは板と華の袖を順に見た。
すぐには歩き出さなかった。通りの先を二つ指し、それから華を見る。
どちらへ行くか、ということらしい。
片方には果物や乾いた豆を積んだ台がある。もう片方には、色の違う布が、軒先から何枚も下がっていた。
華は布の方を指した。
レオンは頷かなかった。それでも、そちらへ歩き出した。
*
店の中には、布だけでなく、畳んだ上衣や、紐でまとめた足首までの裾が並んでいた。
壁際の棚には、小さな留め具や針らしいものもある。店の奥では、年嵩の女が布を広げ、細い棒の先で端を押さえていた。
女はレオンの顔を見ると、短く何か言った。
次に、華を見た。
視線は華の髪や靴、今着ている服へ向いた。見慣れないものを確かめているのかもしれない。意味までは分からない。
華は黒い板を開いた。
さっき描いた上衣の隣に、もう一つ、少し長い形を描く。袖を指し、膝のあたりを指す。それから棚にある濃い色の上衣を見た。
女は棚から二枚を下ろした。
一枚は薄く、今の服に近い形だった。もう一枚は、腕を通すところが広く、丈が膝より少し上まである。布は重いが、指で押してもすぐには皺にならない。
華は二枚を触った。
店の外では、朝の掃除をしている人の服も、荷車を押している人の服も、今の自分より厚かった。森を歩いたとき、枝へ引っかかった薄い袖の感触を思い出す。
華は濃い方を持ち上げ、自分の肩へ当てた。
女が何か言い、両手を広げる。
華は腕を伸ばした。
女は上衣を華の上から重ね、袖の長さを確かめる。少し長いらしい。折り返す仕草をして、もう一度華を見る。
華は鏡らしい磨かれた板へ目を向けた。
そこには、森で目を覚ましたときと同じ服の上に、知らない形の上衣を重ねた自分が映っている。
似合うかどうかより、動けるかどうかを見た。
肩が上がる。腕も曲がる。丈は歩くときに邪魔をしない。
華は女を見る。
上衣の端を持ち、黒い板に描いた形を指した。それから自分の胸を指す。
これでいい。
たぶん、そう伝わった。
女はレオンへ何か尋ねた。
レオンは華ではなく、上衣と女の指先を見た。少し考えてから、腰の袋を出す。
華は手を上げた。
レオンがこちらを見る。
黒い板の端に、水差しのそばで覚えた印を写す。次に、自分の衣服を指す。汚れた袖をつまむ。
洗う場所があるか、聞きたい。
そうしたつもりだった。
レオンは板を見た。すぐに答えず、女へ短く話す。
女は奥の方を指した。そこには布を張った低い仕切りがあり、脇に桶が置かれていた。女が水を汲む仕草をしてから、両手で何かを擦り合わせる。
華は、その動きを見た。
ここで洗えるのかもしれない。
今は、それで十分だった。
レオンが金属片を卓へ置く。女は上衣を畳み、紙のようなものに包んだ。
華は包みを受け取った。
伝わったかどうかは、最後まで確信できなかった。
それでも、女は華が欲しいものを棚から探してくれた。
自分で選んだものだった。
*
店を出ると、華は包みを腕に抱えた。
レオンは少し先で立ち止まり、華を見る。黒い板はまだ華の手にある。
華は水の印をもう一度見た。
上衣を選ぶことも、洗う場所を尋ねることも、言葉だけではできなかった。
けれど、板と、目の前にあるものを並べれば、相手へ渡せるものが少し増える。
レオンは通りの先を指さず、華を見るだけだった。
華が歩き出すのを待っている。
華は黒い板を布袋へ戻し、包みを抱え直した。
それから、レオンの横へ並んだ。




